ホット●アングル
 
経済

「国際化時代の開発経済学を研究し、
   人材を育成するスリランカの頭脳」

経済学部
ラクシュマン W.D.教授 59歳
「開発経済学」を担当する。スリランカの出身で、龍谷大学には昨年着任した。

 経済学研究科で大学院生の指導をするほか、学部でも3、4年生を対象に「特別講義」を受け持つ。授業は英語で行われ、レポート提出も、もちろん英語である。

「今年は学部の授業で16人の学生が登録しましたが、信じられないことに(笑)、現在まだ12人が残って頑張っています」

 元コロンボ大学学長。オックスフォード大学で博士号を取得した研究者である。コロンボ大では、日本との学術交流を推進。龍大には88年、社会科学研究所の招きでプロジェクトに参加し、半年間滞在した。コロンボ大学をはじめスリランカと龍大の教育・研究の交流は、ラクシュマン教授の尽力によるところが大きい。さらに、スリランカでは初めての地域研究教育プログラムとして、日本研究学科をコロンボ大学大学院に設置させた。

「スリランカは、イギリス植民地時代の伝統が固定化していました。新しい学門体系を総合的にアプローチして、新しい人間を育てる必要があった。それを具体化したのが、日本研究プログラムなのです」

 次代に向けての日本とスリランカそしてアジアの関係。

 なぜ、日本なのか――

「私のネットワークに、分野は違いますが日本の研究者が多くいたこと、日本企業からの奨学金、そして龍大もキーパートナーとなって動いてくれました。ワイフのプロモーションも大きかった…」

 なんでも、夫人は、スリランカの高校で初めて日本語教育を手がけた人だそうだ。現在は約30の高校で日本語が教えられているが、その先生たちの70%は夫人の教え子だという。数回の短い来日期間や、帰国後の日本大使館の教室で学んだだけで日本語をマスターした、まさに語学の達人。

 ラクシュマン教授が日本の大学生を教えるのは龍大が初めて。学生たちの印象は――

「学術的な興味はスリランカの学生と比べてはるかに弱い。それは、いわゆる大学の大衆化で教育を受ける人の割合が高いことや、書物以外の知識を得る方法が多いからだと思います。スリランカではほんの一握りの大学卒業者でも、良い成績をとらないと就職できませんから、一生懸命勉強します。日本は企業が伝統的に大学での教育を問わないのも理由でしょう」

 しかし、期待もある。

「キャンパスライフを謳歌しながらも、問題意識の芽ばえは感じられます。平和で余裕があるからこそ、他国に関心が向く。グローバライズした経済状況の中で、自分がどう機能するべきかをしっかりと考えて欲しい。日本の学生がリーダーとなるには、欧米に見習うのでなく、日本ならではのユニークさ、固有性を客観的に評価しながら、開発途上国と関わって欲しい」

 そのためには、発信できる言葉、コミュニケーションできる言葉を習得する必要があると付け加える。

 夫人とふたり、深草学舎のすぐそばで暮らしている。

「ワイフがいないと生きていけない」の言葉に、おやおや、ごちそうさまと思ったが、「言葉の面で」とニッコリ。

 現在の生活を、「研究者として専門領域を質的に高め、広めるバージョンアップに有意義な時期」として満喫しているそうだ。
 
経営

「教授法の工夫・改善で、自分で考え、
          問題解決できる学生を」

経営学部
西川 浩司講師 36歳
 授業では白板を使わない。拡大したコンピュータの画面を利用し授業を進めていく。

「白板に字を書いている間は学生たちはじっとして待ち、学生たちが写している間はぼくが待つ。その沈黙の時間が無駄。見て、聞いて、書くを同時にやる能力も必要だしね」

 研究領域は縦軸に国際経営史、横軸にイノベーション。演習では「企業もアタマが固くなるのか」、「イノベーションの実際から何を学ぶか」がテーマである。

 「企業は人の集まり。人の頭が固くなると過去にしがみつき活力をなくす。だからこそ変革が大切。しかし変革は成功を保証するものではなく危険を伴う。この危険な行為にいかにふみきるかが企業の課題。最近の企業は失敗をおそれて変革しないことよりも、変革をしないと失敗するということを認識しつつありますね」

 最先端に見えるが、実は過去の検証が学問の基礎。過去の成功例、失敗例を分析し、それを現代に生かそうと言う姿勢だ。

「就職に直結する専門知識を与えることより、学生たちが自分の頭で考え、疑問を持ち答えを導き出そうとするよう仕掛けています。これから何が起きても不思議でない時代。自分で解決していける人材が必要だと思うんですよ」

 一方で龍大全体の教育改善を推進する「FD(Faculty Development)センター委員会」のメンバーのひとりで委員の最年少。教育効果をあげるため積極的にコンピュータ利用をという方向で、教職員相手の実践指導を行っていく。「おこがましいですが龍大の発展は、まず教員の意識改革からと思っています」

 研究室にも自宅にもたえずジャズが流れている。音楽なしでは生きられないそうだ。

 研究は夜中(11時ころから朝5時まで)にやるので睡眠不足と、妻と2人の子への家族サービスには苦労している。
 
理工

「鉄腕アトムのような賢いロボットを目指す
             龍大のお茶の水博士」

理工学部
堤 一義教授 46歳
 ロボット犬アイボが超人気、介護ロボットの登場。ロボットの活躍が夢ではない時代になってきた。

 理工学部の堤研究室でも「賢いロボット」作りが進められている。

 ところで、ロボットの世界の「賢さ」って?

「失敗を重ねて進化しながら学習できるロボット、つまり自分のなすべきことを選択できるロボットです。章太郎君がリモコンで動かしていた鉄人28号ではなく、自分で考えて行動する鉄腕アトムを目指しています」

 さて、堤研究室の現・鉄腕アトムは6足歩行ロボット。意外と大きく大型犬ほどもある。足が6本なのは安定感を重視したため。でこぼこ、斜面など、環境によって歩き方を変えることができる。その動きは昆虫のようでもある。あらかじめコンピュータで模擬的な動きは計算済みであるが、思いがけない動きをすることもあるそうだ。

「おっ、賢い!という動きをした時が一番うれしい!」と龍大のお茶の水博士は目を輝かす。

 堤研究室のスローガンは「生物に学ぶ知能システムの構築」。実際の生物の体や動き、進化をお手本に構成した“ニューラルネットワーク”(神経回路)と呼ばれる手法を使う。

 スローガンに共鳴して現在、学部生11人、大学院生3人が学ぶが、教授との世代の違いは明白で「ガンダムを作りたい」と入った学生もいる。

 子どもの頃から「動物好き、虫好き、機械好き」だったとか。小学生の頃から“半田ごて”を持っていたほどの、正統派ラジオ少年を自認。

 将来を模索中の大学時代、パソコンの心臓部であるマイクロプロセッサーの登場でデジタル時代の幕開けとなったが、

「デジタルの発展はわかっていたけど、アナログ回路の連続性のような面白さがない。いずれまたアナログに戻るはず。神経の回路というのはまさにアナログ、生物と機械の接点のような研究室があったので門をたたきました」

 ロボット作りは龍大へ着任してから。

「こうしたハードウエア作りは時間がかかる、予算がかかる、ケガをするなど効率は必ずしもよくありません。また、最近のコンピュータは非常に高性能ですから、シミュレーションでかなりのことが解るようになってきました。しかし、作ってみて初めて明らかになることも多く、やはりハードウェア作りはとても大切なんですよ」と意気込む。

 自身もアナログ的?

「情緒に流される、気配りをしてしまう…やっぱりアナログですね」

 次の鉄腕アトムは4本足。アニマロイド・ロボット(動物型ロボット)が次々誕生しようとしている。
 
社会福祉

「現場にも学生にもグンと迫って
           福祉の時代を引っぱる」

短期大学部
加藤 博史教授 50歳
 穏かな笑顔を絶やさず、学生たちの席にグッと近寄って授業を進めていく。社会福祉の道を歩き続ける優しさと根気とを感じさせる。社会福祉史、社会福祉原論、精神保健福祉論、援助技術各論などを教えている。

 同志社大学文学部社会福祉専攻を卒業後、14年間高槻にある「光愛病院」(精神病棟300床)で勤務していた現場経験が大きい。その後京都文教短大を経て98年から龍大の教授に。 社会活動が幅広く、精神障害者のための授産や地域支援を行う「社会福祉法人京都光彩の会」理事長、「社団法人京都ボランティア協会」副理事長、「NPO法人宇治市の精神保健福祉をすすめる会」理事長など、一貫して精神障害を持つ人々の支援活動を続けている。

「ぼくは富山県砺波市出身。何と言っても富山は真宗王国。父が早く亡くなり、母と祖母に育てられてきた。大きな自然と信仰の風土。若いころからいつかは疎外された人たちの立場に立った仕事をしたいと思っていました」と言う。

 中でも最も遅れている精神障害者の支援がテーマ。「目や耳の不自由な人や、知恵遅れの人は各40万人。この人達の福祉はある程度すすめられてきましたが、精神障害者は218万人と言われ、いままで世間から隔離されてきました。でも軽いノイローゼまで入れると10人に1人は精神的に病んでいるという大変な時代。だれもがそういう要素を抱えてるんですよ」

 学生たちにはそうした疎外された人への共感と、協働する力を身につけてほしいと願っている。

「高齢者介護が脚光を浴び、就職に有利だからと福祉の道を選んできた学生は驚くでしょうね。まず現場、現実を見せます。すると、変わりますね。幸い、心の優しい学生が多い。学生の感受性から私が学ぶところも多いんですよ」

 やっと福祉が人ごとでなく自分のこととして考えられる時代に入ってきた。親鸞聖人を慕い「同朋同行」(私も一緒)がモットーだそうだ。