対談 科学と仏教の共通項から探る「生命」
対談


中村桂子(なかむら けいこ)
1936年東京生まれ。東京大学理学部化学科卒業。三菱化成生命科学研究所部長、早稲田大学教授を経て、現在、JT生命誌研究館副館長。大阪大学連携大学院教授。ゲノムの解読から生命の歴史を解く生命誌を提唱。著書「あなたの中のDNA」(早川書房)、「自己創出する生命」(哲学書房)、「生命科学者ノート」(岩波現代文庫)ほか多数。
上山 日々進化する自然科学のなかでも、とくにDNAを基本にした生物研究が大きな関心をよんでいます。今日は生命誌研究者の中村桂子先生に遺伝子研究などのお話を伺いながら、仏教学の分野から、生命について語り合う「サロン」に参加させていただきたいと思います。
 さっそくですが、人間は40億年の歴史を積み重ねてきたといわれますが、最近の遺伝子の解明で、その時間の経過が一挙に縮まって、生命の秘密が急に明らかになりはじめたように思えるのですが。

中村 どうなんでしょうか。ギリシャ時代の哲学者やおシャカさまが仰っていたことと、本質的には変わらないのではないでしょうか。細かい物質的なことは解明されましたが、生命の本質がわかったとはいえないと思うのです。

上山 ほう、そうですか。仏教者のなかには、おシャカさまがそんなことはとっくに仰っている。科学はそれを実証しただけだ、などというものがいるけれど、ずいぶん失礼ではないかと思っていたのですが(笑)。

中村 昔はおシャカさまやアリストテレス、プラトンなど大天才にしかわからなかった。今は私のような凡人にもわかる。ですから、20世紀の後半に生きて良かったと思いますね。誰にでもわかる状況になりましたが、本質はまだわかっていないと思います。考えるための素材はたくさん得られましたが、わかったかといわれると…。

上山 そうですか。科学でわからないことがあることがわかったということでしょうか。

中村 まだそこまでもいっていません。

上山 龍谷大学に理工学部ができて良かったと思うことの一つは、科学で何もかも解明できるわけではないということを教えられたことです。

中村 本当にそうですね。これまでの科学は、わかりやすいところを明らかにしてきたので本当の自然の理解はこれからです。

上山 村上和雄著の『生命の暗号』を読んで知ったのですが、生命の設計図である遺伝子はわかったけれど「生命の本質」は多分これからもわからないだろうと言っておられますね。
中村 「生命誌」は遺伝子を設計図と見ていないのですが、いずれにしてもわからないから私たちの仕事があるわけです。今ちょうど、とても複雑なところにいます。

上山 素人から見ると、いかにもわかってきたな、すべての解明に近づいているな、という印象をもつのですが。

中村 たとえば、生命とは何か、定義はまだできないものなのです。生き物に共通する性質が少しずつ見えてきて、今、おもしろいところです。

上山 そんなものですか。

中村 生き物なら持っているという特徴を四つあげると、まず、" 私"と外とに必ず区切りがある。水のように境界がわからないことはありません。区切りはあるけれど外から物やエネルギーや情報を取り入れたり出したりできる開放系です。代謝をします。すると必ず変化しますね。生まれて成長したり進化をする。そして一番大切なのは子孫をつくれる。こうした生き物の特徴を調べていくのが、私たちのやろうとしていることです。

上山 現状ではそうでしょうけど、最終的にはすべてをわかろうとする目的意識のようなものはあるのではないでしょうか。

中村 わかりたいという気持は確かにありますが、正直、全部わかりたいとは思っていません。科学で大事なのは「問う」ことなのです。偉大な科学者はとても良い「問い」を探した人です。たくさんの不思議の中から問いを探すことがオリジナリティであって、「解く」ことはだれがやっても同じです。それが科学者の大事な仕事。誰もが生き物に興味をもって、宗教、音楽、それぞれの方法でアプローチされるわけですが、科学は積み重ねていけるところが魅力です。アリストテレスは天才だけどDNAを知らない、私は知っている。今だからできる一番面白い問いを探すのが楽しいのです。

上山 たまたま出会うのではなく、探すのですか。

中村 もちろん探します。出会いはありますが、自分で求めなければ出会えません。この「考える」過程が大事で楽しい。わかったらそれには興味がなくなり、次のわからないことを探していくわけです。
上山 よくわかります。しかし、興味の対象が次々変わっているように見えても、底辺ではつながっているのではないでしょうか。

中村 そうですね。自分の中では必らずつながっています。科学は完全に積み重ねなんです。哲学などはひとりひとりの思想がありますが、科学は万人に共通のものを与えられて積み重ねていける、そこが面白いところです。

上山 そのことは理工学部が大学にできてよくわかりました。文学部とはだいぶ違うなって(笑)。

 ところで先生がやっていらっしゃる「生命誌」という分野はこれまでなかったのが不思議なくらいですね。

中村 そうですね。生き物の歴史と関係を調べ総合的に見ていこうという当たり前のことですから。

上山 今まで科学はヒストリーを排除してきたのではないでしょうか。

中村 はい。博物学はナチュラルヒストリーと呼ばれるように、もともと自然を知る学問はヒストリーだったのです。ところがニュートン以来、いわゆる法則性を探し分析的な方法論が主流になってきました。同じ頃にデカルトが心身二元論を唱えて、生物体を機械として分析し、性質を明らかにしていく方法がこの300年間に進められました。それでDNAまで来たわけです。
 私はメカニズムを分析していくだけで生物を考えることに疑問を持ち「ゲノム」の中に入っている歴史と関係に注目しました。ゲノムは、ある生物の細胞がもっているDNAの総合です。あらゆる生物がDNAの情報を基本にして生きているという点では共通ですが、ヒトにはヒトゲノム、チンパンジーにはチンパンジーゲノムがあり、人でも一人ひとり違うゲノムをもっています。つまり共通性と多様性を結びつける鍵です。ゲノムを単位として生き物の歴史物語を書きたいと思っています。

上山 最近は、生物だけでなくて宇宙誌、地球誌などという言葉も盛んに使われていますね。

中村 本来、自然は、太陽も星も昨日とは違います。どうやって生まれ、育ち、死んでいくのか、生物を含めて、ヒストリーから自然を見るのがそれこそ自然なのではないでしょうか。
上山 仏教でも、アーラヤ識という潜在意識があって、そこにすべての経験が蓄積されているという思想があります。ヒストリーという考え方は、起こるべくして起きたと考えられますね。

中村 この300年の科学は素晴らしい成果を出したと思います。しかし、機械として見るだけではつまらないので、もう一回歴史的な見方を積み上げて、新しい展開をしようということです。

上山 先生は「人と自然とが乖離していたが、DNAを基本とする点では人も他の生きものたちも同じで、人間も自然のなかの一員であるということがわかってきた。科学が古代の日常感覚を実証したのだ」といっておられますね。

中村 私の恩師である江上不二夫先生が、1970年に生命科学という分野をつくられる時におっしゃったのは、生物学は動物、植物、微生物、というように縦割の研究だったのが、DNAがわかってから動物や植物も基本的に同じということになった。基本的なことを調べないといけない。生きているとはどういうことなんだろう、という問いを立てようということです。
 なぜ、70年代にそういう考えが起こったかというと、人間が良かれと思ってやってきたことが、困ったことをひき起こすことに気がついたからです。例えば公害等ですね。そこで悪いことをする科学技術を否定する声も出てきた。

上山 反科学主義というものですね。

中村 しかし、もう一つ、科学技術は人間だけがもつ素晴らしいものであり、これからは、人間も生き物であることを基本にして、生き物が暮らしやすい科学技術を考えていこうという選択があります。それで、70年から生命科学をやり始めたのですが、現実は変わらない。悩みましたね。結果、生き物を機械のように分析するのではなく、歴史的存在としてつかまえればどうかと気づいて、「生命誌」を提唱し、1993年に生命誌研究館をスタートさせたのです。
上山 生命誌の「誌」には、いろいろな意味がこめられているのですね。
 仏教からみれば、やっと科学は自然と人とが一体であることに気がついたのかという感じなのですが。

中村 基本的にはわかっていたかも知れませんね。ただ、現実に社会に働きかける場合、二つのことが必要です。一つはコンセプト、もう一つは方法です。コンセプトだけですと説教になってしまい、方法だけだと暴走する恐れがあります。コンセプトと具現化する方法を一致させるのがなかなか難しい。悩んだ結果、DNAを、遺伝子を単位にするのではなく、総体のゲノムでみよう。ゲノムを、つまり生命の単位である生命子と考えることで、コンセプトと方法が私の中で合体したのです。
 それを行なう場所は、研究所ではなく研究館でなければいけないと思いました。「館」つまりホールです。音楽に例えると、楽譜である科学論文を演奏してみせるホールが必要です。どんな立派な指揮者や演奏家の演奏も素人にも楽しませてくれる。科学も同じにしたいと思いました。

上山 大学でもそうですよ。どんなすばらしいことを言っても、学生たちがわからなかったら何にもならない。最初からわかっているものはいないのですから。皆な最初は素人なのですから。

中村 そうですね。大学もぜひホールにしていただきたいですね。最高のプロがそこで仕事をしているが、だれにでもわからないといけない。象徴的な意味ですが、私の願いは研究所も大学もホールにすることなんです。

上山 それが「開かれた大学」という意味でしょう。

中村 ですから科学につきものの「啓蒙」や「普及」という言葉は嫌いです。小澤征爾が指揮をする時に音楽を啓蒙するっていいませんね。科学も同じで、最高級のことをやって皆が楽しめばいいと思っています。これまで科学の演奏法をだれも開発していませんので難しいのですが、幸い、若いスタッフたちが一生懸命やってくれています。

上山 演奏していただくのはいいのですが、聞き慣れていないんですよ(笑)。科学の演奏に聴衆がついてこれないということもあるでしょう。

中村 そうなんです。でもクラシック音楽も何度か通っているうちにわかってきますから、あまり急がずに、そういう文化を創っていくしかないと思っています。
上山 それにしても、生き物がすべて同じDNAをもっているというのはすごい発見ですね。仏教には「万物同根」という考え方があります。

中村 そうですね。その思想は具体的にいつの時代に生まれたのですか。

上山 おシャカさまの基本的な考え方ですから、2千500年前でしょう。それが科学的に実証されたということは素晴らしいことですね。

中村 2千500年たって、実はこういうことだったとわかったわけですね。現存の生き物のゲノムを調べると、歴史が入っています。そこが一番おもしろいことなんです。昔は化石を調べないといけませんでしたが、アリ、チョウ、人間、今のものを調べれば材料はいくらでもあるのですから楽です。

上山 仏教では「業」という思想があるのですよ。過去の行為の蓄積です。しかし、現在の私がすべてそれに支配されるのではなく、自分で変えていくことができるというのがおシャカさまの考えです。この点、先生がDNAは「私を創出する」存在だといわれることとイメージが重なり、興味をひかれました。
 ところで、素朴な質問をしたいのですが、遺伝子操作という問題がありますね。仏教では本来与えられた条件のなかで、いかによりよく生きるかということを目指す宗教です。遺伝子治療が進みガンなどの難病が治るのは結構なことですが、人間がいわゆる「神の領域」にまで踏み込んで、" 生命"を自分ごのみに操作したり、弱いものを淘汰したりしないかと心配です。「共生」でなく「排除」にならないでしょうか。

中村 生き物としてよく考えればそうはならないと思っています。生き物社会は、多くの競争者がいて甘いものではありません。皆それぞれ懸命に生きています。懸命に生きた結果、皆で上手に一緒に生きる「共生」というシステムができた。ただその場合、環境に適応した強いものが生き残る。ところが人間は、弱い子や病気をもつ人も助けて皆で生きるという非常に難しい選択をしたわけです。

上山 最近は、親が子どもを虐待などの現象も起きていますが。

中村 人間はとにかく他の生き物と違う選択をしてきた。弱い遺伝子が残っても、それでいこうという選択です。ただし、病院で管をたくさんつけるような医療が本当の選択かは考えなければいけないことです。

上山 私は人間に対して厳しい見方をしています。やはり、もともとは自己中心的で、自分のためには人を殺めかねない。
 他の生き物は同種では殺し合わないものだといわれますが、人はなぜ殺し合うのでしょうか。本当に遺伝子に欠陥があるのでしょうか。

中村 脳の働きでしょうが、まだわからないですね。遺伝子だといってしまうところまでわかっていません。
上山 人間が選択したのは、皆が平和に命を全うすることのできる「共生の世界」を作ることであったはずですね。

中村 そうですね。ある程度自然を変えながら、いかに自然と共に生きるか。とくに日本人は「和を以って貴しと為す」という良い選択をしてきました。しかし、それは一生懸命頑張らないとメなあなあヤになってしまう恐れがあります。皆で意見をいい、ぶつかり合いながら探していくものではないでしょうか。

上山 大賛成ですね。それぞれ違う意見や生き方でありながら、皆がまとまっていく。ある時は反対し、ある時は妥協しながら。いわゆる多様性と普遍性の統一ということでしょうか。

中村 最後は和にもっていく。競争と和は両立するものだと思います。競争しながら和を探していくことですね。

上山 ダメなものを蹴落としていくのではなく、日本が選択した「和」を大事にしたいですね。人間の自己中心の心は「煩悩」といって悪の根源なんです。人間は皆なそれをもっている。だから、科学を技術にし、さらに悪用してしまう。ところが、科学者は、人間はそんな悪いことは決してしないと案外、楽観的な方が多いようですね。

中村 私はペシミスティックオプティミスト、悲観的な楽観主義者だと思っています。考える課題は山ほどありますが、40億年の生き物の歴史から学び取れると思っています。

上山 歴史の中でどういう知恵を出してきたのか、それを学びたいですね。

中村 人間は生き物であるがゆえに、自然という複雑なものを直感的にわかる能力をもっています。小さな子どもでも花はきれい、虫の命はいたずらに奪ってはならないことを知っています。それが「生き物感覚」であり、それをもって行動することが基本でしょう。「生き物感覚」は小学校に入る前までにもたせておかなければいけない。「生き物感覚」が体に入っていたら、今のような色々な問題は起こらないと思いますね。

上山 その感覚は小さいときお母さんときちんと接することで生まれてくるのではないでしょうか。

中村 そうです。ですからわざわざ遠い山へいったり、海へ行ったりする必要はないのです。近くの公園は子どもにとっては大きな自然なんですよ。毎日お稽古事に通うより、この感覚をきちっと入れて、それにプラスして芸術や現代科学を学んでいけば、高校生になって「なぜ、人を殺してはいけないのか」がわからないということは起こりません。DNAを知らなくてもいいのです(笑)。
上山 そうですね。私は小さい時に、おばあちゃんから聞く「お話」がとても大事だと思っています。

中村 そう思いますね。「誌」には歴史物語という意味を込めています。お話の中には、生き物感覚が上手に込められているものが多いですね。ストンと体に入ってくるのは物語ですね。お経も物語でしょう。読めない人にはお坊さんがお話をなさいますね。

上山 そうです。ミャンマーやスリランカなどの仏教国では、子どもたちにいつもおシャカさまのお話を聞かせていますね。それが基本的な倫理観を育てているようです。

中村 それが大事だと思いますね。それをやらないでDNAやコンピュータの勉強をしても意味がない。

上山 今は、日本は科学を発達させなければいけないからといって、集中的に補助金を出したり、特別に科学者養成をしたりする傾向がありますが、やはり人間的な基礎が大切ではないでしょうか。

中村 そうですね。今、教育を根本から変えていかないとダメだと思います。

上山 本能的にもっているメ美しいヤとかメかわいそうヤとかの心がちゃんと機能するためには、それが枯れかけている今の子どもたちの心に水をやることが大事なんですが、大学生になってからでは無理でしょうか。

中村 なかなか難しいでしょうね。

上山 小さい時におばあちゃんに連れられて手を合わせたという経験も少なくなってきていますからね。

中村 そうですね。そのあたりが鍵でしょうね。

上山 人間は生物の仲間であることを前提に、すべての生命を基盤にした知の再構築をしないといけない時期ですね。先生が言われているように、たしかに「生命」は「スーパーコンセプト」です。

中村 それができる準備がやっとできたということでしょうか。

上山 今、龍谷大学では「人間・科学・宗教」というコンセプトで新しい研究組織を作ろうとしています。そこでもう一度、これまでの人間を外にした学問体系を洗い直したいと思っています。
大阪府高槻市のJT生命誌研究館ギャラリーで。
生命誌(バイオヒストリー)の視点から、多様な生き物の世界や具体的な研究をコンピュータを駆使した映像等でわかりやすく紹介している。
現在は特別展示として「オサムシ研究からのメッセージ〜見えてきた新化の姿」を開催中(今年9月まで)。

所在地  大阪府高槻市紫町1−1(JR京都線「高槻」駅から徒歩10分)
電  話 0726(81)9750
開館時間 10時〜16時半(入館は15時半まで)。 日曜・月曜休み。
入場無料 
http://www.jtnet.ad.jp/BRH/