龍谷 2005 No.60

Center for Digital Archives/かけがえのない文化遺産をデジタル技術で後世に伝える シルクロードの失われた壁画を復元 その制作過程を一挙公開!

千年の時を超え、色鮮やかによみがえった大回廊(画像提供:NHK)
千年の時を超え、色鮮やかによみがえった大回廊(画像提供:NHK)

今年2月、NHK『新シルクロード』の第2集『トルファン―灼熱の大画廊』で、
古典籍デジタルアーカイブ研究センターが取り組んだ
仏教壁画のデジタル復元が紹介された。
放映後の反響はすさまじく、何度も再放送されたほどだ。
また、NHK内での評価も高く、
100を超えるNHKスペシャルの中から、この番組が、
テレビ界のアカデミー賞とも言われる
アメリカのエミー賞への出品番組として選ばれた。
今回、番組制作に至るまでの経緯や、
デジタル復元の現場などを詳しく紹介しよう。


ウイグル語で「絵のある所」という名を持つ「ベゼクリク石窟寺院」
ウイグル語で「絵のある所」という名を持つ「ベゼクリク石窟寺院」(画像提供:NHK)
 デジタル復元に成功したのは、中国・トルファンにある「ベゼクリク石窟寺院」の中の第4号窟(NHKでは中国側の呼称を使用し、第15号窟として紹介)の仏教壁画15面。「古典籍デジタルアーカイブ研究センター」が、センター長である岡田至弘・理工学部教授を中心に、約1年の歳月をかけて完成した。
 現在の中国、新疆(しんきょう)ウイグル自治区トルファンの地に11世紀ごろ栄えた西ウイグル王国は、仏教を信奉し、石窟に華麗な仏教壁画を描かせた。しかし、イスラム教の浸透や、列強の探検家に持ち去られるなどして、壁画の多くは失われ、世界中に散逸してしまった。
 大谷探検隊のシルクロード探検と縁のあった本学では、NHKと共同で、この石窟のうち、特に文化的価値が高いといわれる第4号窟の壁画の断片データを収集し、それらを基にコンピュータ・グラフィックス技術で仮想的に復元することになった。


ジグソーパズルを完成させるような緻密さ

 この研究は、研究センターの2つのプロジェクトチーム(デジタルアーカイブ研究グループと、コンテンツ情報研究グループ)と、NHK新シルクロードプロジェクトチームが共同で、イギリスの大英図書館、ロシアのエルミタージュ国立博物館、韓国国立中央博物館、インドのニューデリー国立博物館、ドイツのベルリン国立インド美術館、東京国立博物館、龍谷大学学術情報センター、そして中国政府・ベゼクリク現地所蔵の壁画の情報を集めるところから始まった。
 これだけ多くの国の機関が協力することだけでも驚きだが、そもそもどうして壁画の断片がこれほどまでに分散してしまったのか。
 「壁画は重いので、各国の探検隊はラクダに積める分量だけを切り出して持ち帰ったのです。部分的に持ち帰るのなら顔のほうに価値があると考えるのは自然でしょう。持ち帰った個所は正直、適当だったと思いますね」(岡田教授)  各国から集められたコンテンツのデジタル化とネットワーク化により、研究が徐々に進んでいった。だが、各国に残る断片や図版資料は完璧なものばかりではなく、資料が失われている部分は、下絵の特徴や別の石窟の構造を参考にし、色合いや寸法をミリ単位で一致させ、1年の歳月をかけて完成させた。まさに気の遠くなるような作業の連続である。
 最新の画像技術を駆使し、世界初の3次元CGで再現された壁画は「誓願図」と呼ばれるもので、「前世の釈迦が、過去仏と遭遇する」という主題である。過去仏の足が汚れないようにと足元に自らの髪を敷き詰めたり、出家を志して髪を剃る姿などが、鮮やかな色彩で描かれている。
 NHKで放映された映像は、デジタル復元した壁画を、3次元のバーチャル・リアリティー(仮想現実)で画面上に表現している。あたかも狭い回廊内を歩きながら壁画を見ているような感覚をビジュアルに作り出し、石窟の暗さや、光の当たり具合まで、リアルに再現することにこだわった。

ジグソーパズルを組み立てるように、残存する壁画を丹念に継ぎ合わせる。
ジグソーパズルを組み立てるように、残存する壁画を丹念に継ぎ合わせる。(画像提供:NHK)


資料だけから復元された壁画も

 この復元に参加した1人に、仏教文化学を専門とする入澤崇・経営学部教授がいる。入澤教授にとって、壁画の復元は長年の夢であった。
 「なぜ私たち日本人が西域、シルクロードに惹かれるのか。それは、インドから日本に伝わった仏教の伝播の道だからです。そうした道をやってきた資料が、大宮図書館には数多く収蔵されている。加えて、写字台文庫をはじめ、自然科学をも含めた膨大な蔵書がある。この財産を有効に活用したかったのです」  本学では03年、今から80年ほど前に出版されたドイツのル・コック探検隊の報告書を中心に、現場の写真ではなく、紙の資料だけからベゼクリク石窟の壁画をCGで復元し、実寸大の陶板を2枚作成した。報告書に欠けていた部分は、ウイグル文化研究の専門家であった、百済康義教授(04年逝去)をはじめ、文学部の教員らが検証した。
 「龍谷大学の中で、違った分野の人同士で研究をしようという動きが起きました。大学としてどんな成果を出していくかを考えた時、仏教学、西域学の蓄積があるので、これを生かそうということになったのです」(岡田教授)  「大谷探検隊が壁画の現物を持ち帰っていたことと、龍谷大学に理工学部が誕生して、文系と理系でタイアップできないかと考えたことが、壁画復元のきっかけでした。質感にこだわられていた百済先生のご意見もあり、壁画に質感の近い陶板にして復元したのです」(入澤教授)  陶板として復元されたベゼクリクの壁画「誓願図」は現在、大宮キャンパスの図書館に展示されている。これは、ベゼクリク第9号窟壁画「ディーパンカラ佛授記(写真右)」「舟上の佛と隊商主(写真左)」の陶板復元品で、NHK『新シルクロード』で復元された第4号窟の仏教壁画の参考となったものである。
 高さ3.2m×幅2m、図書館の入口の左右の壁に展示された壁画は、シルクロードがインドから日本への仏教の伝播の道であったことを、訪れる人に認識させてくれる。
 「壁画をCGと陶板に復元しただけではなく、ほかにも展開できないかと考えていた矢先、NHKから協力の要請がありました」(岡田教授)


「舟上の佛と隊商主」
「舟上の佛と隊商主」
「ディーパンカラ佛授記」
「ディーパンカラ佛授記」
この壁画は、ドイツ隊によって持ち去られた後、第2次世界大戦の戦災で破壊されてほとんど現存しない。わずかに残された白黒写真をもとに、発掘当時の記録や、他の仏画を参考にしながら、復元を進めた。


NHKとの共同作業でよみがえった壁画

 03年に壁画を復元した際の資料を基に、NHKで放映する新たなCGの作業に取り掛かった。
 NHKとの協力で復元を試みた第4号窟は、最も文化的価値が高いと言われるものの1つ。しかし、その復元は困難が予想された。
 「1900年代に、すでに失われているものをどう復元したらいいのか。無い物はただ予想して描けばいいという話ではありません。似たものを描き起こしただけでは、本物とは言えません。各地に残っているデータをかき集めて比較し、下地の様子に至るまで、可能な限り本物に近く再現することを心掛けました」(入澤教授)
 壁画の欠けた部分は、さすがに工学的な技術だけで復元できるものではない。仏教壁画は、特定の主題に基づいて描かれているため、同じ主題のものを求め、古い探検隊のスケッチや、記述、トルファンのウイグル文化の宗教的背景、類似のものが他の石窟にあるかなどを調べた。
 結局、他の石窟の壁画のデータをも収集・蓄積することになった。気の遠くなるような話であるが、それをやらなくてはという強い使命感があったという。
 「私は89年にベゼクリクに行ったのですが、当時は第4号窟に入ることができず、悔しい思いをしました。今回はなんとしてでもやり遂げたかった」(入澤教授)
 失われた壁画と同一の主題の物をほかの壁画から探し、そこから失われた部分を推測する作業には、かなりの時間がかかった。
 「描かれた僧の衣の色、菩薩のネックレスの色まで、傾向を調べ、本来の色に徹底してこだわりました。比較検討した結果、確信の持てたものを、岡田先生に伝えました」(入澤教授)
 世界各地の博物館に収蔵された資料などのほか、戦前の古い写真集や、ル・コック探検隊が模写した書籍を古書市で探すなどして集めた。基となる画像データは2万点にものぼった。さらにそれを分割して、部分ごとに分類していく。
 「ロシアのエルミタージュ美術館所蔵の壁画が、大阪にやってきて展示された時に、見に行ったのです。ところが、思っていた色と違う。各地に散逸した同じ壁画なのに、色が違うのです。別々の修復によって、色が変わっていました。正直、参ったな、と思いました」(岡田教授)
 結局、顔料を分析して色を再現する際には、ベゼクリクに残された壁画の色を基準とした。しかし、ベゼクリクに残された壁画は、できた当初の鮮やかさに比べ、年月を経て退色している。それを工学的に推定し、現在の現地の退色に合わせた復元をした。
 「NHKはハイビジョンSRという次世代ハイビジョン用のカメラを使っています。このカメラで撮影すると、現行のハイビジョンより数段、高精細な画像を記録・再生できます。現物の色調を厳密に復元できるため、ベゼクリク、エルミタージュ、ニューデリーではこの技術で撮影されました。現在、ハイビジョンSR対応のテレビはありませんが、映像を後世に残すことを前提にしているのです」(岡田教授)
 百済教授がこだわった質感の再現にも、細心の注意を払った。
 「まず高い解像度で撮ってもらう。そして、CGで組んだ映像に、質感データを雑音(ノイズ)として載せるのです」(岡田教授)
 石窟内の暗さを忠実に再現する仕組みにも努力を惜しまなかった。
 「暗い石窟内の壁画が、ろうそくでどのように見えていたのかをシミュレーションする研究を進めました。見え方がリアルでないと現実味に乏しい再現になってしまいますから」(岡田教授)
 利用者が仮想光源(ペンライト)をろうそくの代わりに持ち、これを操作することで、仮想的に壁画の見え方が変化する表現方法が検討された。具体的には、仮想光源の発光部分をマーカーとし、そのマーカーを2台のカメラで撮影し、得られたステレオ画像を利用して、仮想光源の位置を推定し、推定された位置に応じた合成画像を表示するというものである。今後はさらに臨場感を高めるため、石窟内全体の照明効果を仮想的に実現できる方法を検討する予定だ。
 「ウイグルの人々にとって石窟寺院とは何であったのか。暗闇を人工的に作り出して、そこではいったい何が行なわれていたのだろうか、興味は尽きません。ベゼクリク石窟寺院は、赤を基調とした、ほかにはない特色を持っています。誓願図を壁一面に並べるという形式もベゼクリクにしかありません。しかし、これは回廊の一部にすぎません。本尊のある中央部はどうなっているのか、さらにベゼクリク全体はどうなっているのか。あるいは中央アジア最大のキジル石窟はどうなっているのか。まだまだ追究していきたいと考えています」(入澤教授)
 陶板とCGで復元されたベゼクリクの壁画を見た入澤教授には、ある思いが去来した。
 「この壁画には、さまざまな民族が描かれています。また、当時のトルファンには、仏教だけでなく、マニ教、ネストリウス派キリスト教など、多くの宗教が共存していました。世界で民族や宗教による紛争が絶えない今、かつてのシルクロードの繁栄と共存は、私たちに多くの示唆を与えてくれると思います」


「燃燈仏授記(ねんとうぶつじゅき)」。世界各国に散逸している。
「燃燈仏授記(ねんとうぶつじゅき)」。世界各国に散逸している。
デジタル復元によって、鮮やかによみがえった。
デジタル復元によって、鮮やかによみがえった。
(画像提供:NHK)


今後も進む研究に更なる期待が

 壁画の復元で一つの目的には到達したが、研究の進展はまだまだこれからだ。
 「今回の取り組みで、世界でもここにしかない貴重なデータが集まりました。その意味でも、ここにあるデータを提供してくれた各博物館に還元したいし、龍谷大学の宝として、特に文系の人たちの研究に積極的に活用してほしい」(岡田教授)
 岡田教授はデータベースの将来性についても、こう話す。
 「そのためにも、このデータベースを維持していくことが重要です。これまでは、どんなに研究しても、研究者個人が報告書を書いて終わりでした。もちろん私たちも過去の報告書を参考にしましたが、これからはきちんとデータ化し、もっと多くの人にこの研究を生かしてほしいと思います」
 今後はどのような研究の展開があるのだろうか。
 「ドイツに運ばれた壁画は、大半が第二次世界大戦で失われたと言われていました。ところが、最近になって、旧ソ連軍が持ち去ったものが、ロシアのエルミタージュ美術館にあることが判明しました。今後はそれを研究しようと考えています」(入澤教授)
 「石窟の壁画の再現には、まだ続きがありました。床も彩色されていたのです。床は土だと思っていましたが、そんなことはなく、どうやら靴を脱いで入ったようです。ドイツにその資料が残っているので、いずれは床も再現します。毎月のように海外と行ったり来たりになりそうです」(岡田教授)
 人類の偉大な遺産を保存するだけでなく、修復や、デジタルアーカイブ化によってより多くの人に身近なものとする。古典籍デジタルアーカイブ研究センターの試みは、これからも本学を代表する研究の1つとして、大きく発展していくだろう。


★日経BPムック「変革する大学」シリーズ『龍谷大学』(本誌25ページで紹介)より引用し、一部修正を加えた。


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