龍谷 2005 No.60

教員Now 法学部教授/西倉一喜 中国から、アジアから、日本と世界を見据える行動派の元ジャーナリスト

法学部教授 西倉一喜
法学部教授 
西倉一喜(にしくら・かずよし)

1947年8月埼玉県生まれ。
東京外国語大学中国語学科卒業後、共同通信社に勤務。
北京、ワシントンの支局長を務める。
2005年から現職。
専門は政治学、ジャーナリズム論。
著書に『アジア未来』(共同通信社)、
『中国・グラスルーツ』(めこん)などがある。


発見のプロセスを学ぶと世界が広がる

 今年4月に着任したばかり。ジャーナリストからの転身だ。
 前期には『中国の政治論』、後期からはさらに視野を広げて『アジアの政治論』を受け持つ。経済は高度成長を続けているが、政治の民主化は足踏み状態の中国は、結局どう変わっていくのか、そして日本も含めアジアの国々はどうなっていくのか、を考えていく講義である。
 「正解は1つではないから、学生とインタラクティブ(双方向型)な講義でありたい。事実関係を調べた上で自分はどう思うのか、を重視しています。高いところから見る、地べたから見る、像が立体になるように、いろいろな見方や方向性があっていい」
 毎回、レポートの課題を出す。例えばSARS騒動時、報道統制を敷いた中国政府に対して、ある中国人医師が告発をした。西倉教授が示すヒントは、その医師の名前だけ。学生はあらゆる手を尽くして調べ、考えをまとめ、文章にするというわけだ。
 毎週200人以上のレポートを読み、コメントを書くのは大変、と言いながらも、「不思議なことにレポートを読んでいると、書いた学生の顔が浮かんでくる」とうれしそうに笑う。
 「今の中国で起こっていることは、過去に韓国や台湾でも起こっていた。変化を自分で発見してもらいたい。大学は方法論を学ぶところ。発見へのプロセスが分かると、いろいろなことに役に立って自分の世界が広がりますよ」


日本は中国とアメリカの架け橋に

 教授自身の世界は広い。
 共同通信社の特派員として、激動時代のアジア各地をつぶさに取材し、情報を発信してきた。
 「アジアに興味を持ったのは、高校時代にアメリカ留学を経験した時。当時、圧倒的に強くて豊かなアメリカで暮らして、逆にアジア人としてのアイデンティティを自覚した。パールバックの『大地』を読んで感動したことが、中国に興味を覚えたきっかけかな」
 しかし、当時は文化大革命の真っ最中で入国はかなわない。じっとチャンスをうかがううち、80年から1年間、社内研修の制度で中国に留学を果たすことができた。その時の体験をまとめた『中国・グラスルーツ』は、第15回(1984年)大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。しかし、その本のおかげで中国から10年間も入国禁止をくらったそうだ。
 その後、北京支局長兼ウランバートル支局長を経て、ワシントン支局長も経験。
 「ラッキーだと思いましたよ。中国の存在感が大きくなってきましたから、中国を理解している者がアメリカを担当することが大事だという認識がマスコミ界で強まった。中国がどうなっていくのか、誰にも分からないけど、位置的にも歴史的にも日本はアメリカと中国の架け橋にならないといけない。粗削りだけどスケールが大きいアメリカ人と中国人は似ていますよ」


個人的な友だちを持つことが日中友好のカギ

 今年になって、反日デモなど日本と中国の関係は微妙な状態が続いている。
 「日本と中国は経済的に複雑に入り組んでいるから、仲良くしないと共倒れになって損しちゃう。問題はいろいろあるけど、それを乗り越えていくしかない」
 では、仲良くする方法は?
 「個人的な友だちを持つこと。友だちがどれだけいるかが日中関係のカギ。本音で話をすると相手に対するイメージが変わるし、考え方が違っても学び合える。何かの事件が起きても、友だちの顔が浮かべば国対国の反日、反中国ということにならないと思いますよ」
 多くの中国人留学生が学ぶ龍大キャンパス。せっかくの好環境を生かして、積極的に混じり合い、友だちになってほしいと願う。
 ジャーナリスト志望の学生がよく研究室を訪ねてくるそうだ。
 「新聞記者になるには人が好き、というのが前提。そして愛嬌、度胸、野次馬根性、自分の言葉で語れる表現力も大事な条件」だという。そういえば「初めまして」のあいさつから、人を惹き付けるフレンドリーな笑顔がずっと絶えない。
 京都の北白川にあるマンションからバイクで通う。
 「毎日、違う小道を選んで走っています。鴨川の東側は制覇したから、次は西側。いやぁ、龍大が京都にあって良かった」
 現在、一週間の半分ずつを京都、東京で過ごす。研究室の本棚にはアメリカ人の夫人とお嬢さんの写真が飾られている。ふと周囲を見ると、10キロのダンベルが2つと折りたたみ自転車を発見。中国ではシルクロードを単独走行し、また外国人として初めて自転車で北朝鮮を横断した行動派だ。
 「体を動かすと頭がすっきりする。時間があれば龍大体育館のトレーニングセンターで鍛えていますよ」
 筋肉モリモリ、ジーンズが似合う58歳だ。


ゴビ砂漠地帯を自転車単独走破
1981年、北京留学中の夏休みに中国西部の甘粛省酒泉から敦煌までの約500キロを自転車で単独走破(写真は自動シャッターで撮影)。「雲の動きが速く、風が鳴っていた。この直後、ゴビ砂漠地帯では珍しい暴風雨に襲われ、近くのオアシスの集落に避難した」と当時を振り返る。



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