龍谷 2006 No.62
龍谷人

齋藤 佐織さん   病に倒れた父の言葉を
伝えるために〜
『いのちのふしぎ
言葉のスケッチ集』を
編集・出版

齋藤 佐織
(さいとうさおり)さん
1995年文学部哲学科哲学専攻卒業

 齋藤佐織さんの父、紘一郎さんが出張先の長野で突然倒れたのは1993年の秋。働き盛りの50歳の時だ。脳出血だった。それまでは経営コンサルタントとして、講習会などで全国を飛び回る生活。「人の話を聴くことが仕事でした。昼夜逆転の生活も度々で、ストレスもたまっていたのでしょう」と佐織さんの母の美津子さんは回想する。
 その後、右半身不随など14の後遺症が残り、現在もこれらに悩まされている。家族の生活も一変した。「昼は私が病院に通い、夕方から夜間は母が泊まり込んで付き添いました」と佐織さん。
 当時、佐織さんは3年生。「海外交流委員会」のまとめ役として幹部を務めていた。病院から大学に通う生活に、一時は大学をやめる事も考えたという。
 「哲学科を薦めた父から、必ず卒業しなさいと言われ、続けることを決心した」という佐織さんは卒業後、大阪市内の病院で医療事務と診療助手の仕事に就いた。
 「3年で治す」と公言し、リハビリに励んでいた紘一郎さんだったが、思うように回復しない。そんな時、佐織さんの姉に初孫の愛佳ちゃんが誕生。孫娘が生まれてから紘一郎さんの表情にも笑顔が戻り、一言ずつ話す言葉も長く続くようになった。新たな命に大いに刺激を受けたのだという。
 愛佳ちゃんと付き合って10ヶ月目に尊敬する先輩から「いまここにこうしてあることのふしぎ」という葉書が紘一郎さんあてに届いた。この時、紘一郎さんは生まれたばかりの命と自分の命を対比してふしぎな感覚に陥り、この言葉と同じ思いを感じたようだ。葉書を読んで、「これだ!」と気付いたという。
 「初めて愛佳が立った感動的な出来事は『あっ 立った 愛佳が立った』…これだけで伝わるのだと。それで僕は簡単な言葉を残し、表現していけばいいのだと思えたのです」と紘一郎さん。
 その後、言葉のスケッチを開始。佐織さんが言葉を聞き取り、書き継けていく作業を行なった。日がたつごとに、介護ヘルパーさんが聞き取れるまでに回復。4年後には次女の美結ちゃんが生まれ、2人の孫がリハビリのいい競争相手になっていった。
 孫の成長を綴った詩を中心にしたこの本は、同じ障害を持つ人たちにも励みを与えた。「父の気持ちをシンプルに語ったのがこんな詩になっているのかなと思います。『安らぎ・愛・幸せ・ありがとう』という一言は逆に深いんだろうな」と佐織さん。幼い頃からの会話の積み重ねで、父の一言から心を読み取れるようになった。
 家族の間には常に笑いが絶えない。「それは、たぶん父の明るく前向きで優しい性格のおかげです」と笑顔。紘一郎さんとは一心同体のような関係だ。
 今後も医療の世界で、また父の心の代弁者として、さらなる活躍が期待できそうだ。

佐織さん(後列左)と紘一郎さん(後列右)。
佐織さん(後列左)と紘一郎さん(後列右)。
『いのちのふしぎ 言葉のスケッチ集』
『いのちのふしぎ 言葉のスケッチ集』
エルピス社/1260円(税込)



武内 勇さん   社会の役に立ち、
世界に誇れる技術への
飽くなき追求

武内 勇
(たけうちいさむ)さん
株式会社ミレニアムゲートテクノロジー
代表取締役
1973年経済学部経営学科卒業

 めっき技術から生み出された独自の表面処理技術で画期的なハイテク製品をつくり出す「ミレニアムゲートテクノロジー」は、大阪で注目を集めるものづくりベンチャー企業だ。
 社長を務める武内さんの飽くなき探求心とものづくり≠ヨの想いが、同社を新たな分野へと挑戦させ、世界的にも注目を集める研究開発企業へ成長させた。
 大学を卒業後、家業のめっき業を継いだ。めっき業といえば、メーカーから発注される仕様に基づいた製品をつくる受注型産業と思われがちだが、何とか自社のめっき技術を社会の役に立たせるために、自社の持つ技術がどういった分野に応用できるのかニーズを探り、独自の技術開発に努力を重ねた。そして、難しいといわれたチタンへのめっき加工の技術開発に成功するなど、開発型企業への転換を遂げた。
 現在は、バイオやナノテクノロジーなどの先端分野にも独自の技術を活かし、世界的にも注目されているDNAチップの開発や、ナノ(10億分の1)メートル単位の微粒子にめっきを施す技術を開発している。
 ローテクととらえられるめっき技術を、あらゆるハイテク産業にも通じる基盤技術ととらえ、付加価値の高い製品を生み出すためのさらなる技術深化に余念がない。このことは「新事業挑戦者内閣総理大臣表彰」の受賞や、中小企業庁による「元気なモノ作り中小企業300社」に選定されるなど、各方面からの高い評価にも裏付けられている。
 その中で大事にしているのが人と人とのネットワークだ。「中小企業が単独で何かやろうとしてもうまくいかない。何かやりたいと思ったら、その分野に関係する人に話を聞き、様々な人の力を借りること。顔を合わすことで、いろいろな事が見えてくる」と武内さん。
 現在、企業と大学とが共同で研究を行なう「産学連携」に力を注いでいる。自分を磨いていなければ、人からの信頼は得られず、ネットワークは広がらないというのが持論。自分の考えを信じ、常に実践し続けることが何よりも大事なのだという。
 武内さんが考えるものづくりとは「単につくったものを売って利益をあげることではない。自身が持つ技術を駆使して社会に役立つものをつくることが大事。世に送り出した製品が社会の役に立ってこそ、ものづくりの技術は生かされるのです」ときっぱり。
 このことは大学時代に触れた仏教精神からも学んでいるのだという。
 これからの夢は「あらゆる産業を支える基盤技術が日本にはたくさんある。めっき技術もその一つ。これらの技術をより高度化させ、付加価値の高い世界に誇る技術を築いていきたい」と熱く語ってくれた。

株式会社ミレニアムゲートテクノロジー
株式会社ミレニアムゲートテクノロジー
大阪オフィス:大阪市中央区谷町3-2-11 FLAGS 8F
本社工場:大阪市平野区加美北3-5-24
http://www.mg-tec.com



倉橋 陽子さん
会社経営にヨガ講師、多忙な毎日なのに、それを感じさせないさわやかな笑顔。
  budokon(武道魂)で
日本文化の良さを
気付いてもらいたい!

倉橋 陽子
(くらはしようこ)さん(旧姓:渡辺)
有限会社show-ten代表取締役、
budokon JAPAN代表
1996年社会学部社会学科卒業

 大阪府河内長野市でwebを中心とした企画会社を経営するかたわら、ヨガの講師や「budokon JAPAN」の代表を務める。
 倉橋さんとヨガとの出会いは大学4年生から始めたスノーボードでのけががきっかけ。実は彼女、滑ることの楽しさに目覚め、競技に専念するために2年半勤めた会社を退職したほどのスノーボーダーでもあるのだ。
 競技生活は5年間。2001年にはジャパンオープンで4位入賞を果たすなど、国内の大会で活躍した。しかしその間、4回も骨折。ヨガを知ったのは、最初の肋骨骨折時だ。週2回ヨガ教室に通うようになった。ヨガの呼吸法や瞑想法のおかげで、集中力が付き、体をコントロールしやすくなり、競技のプラスになった。手首粉砕骨折を機に競技生活にピリオドを打ったが、スノーボードは今も続けている。
 budokon(武道魂)は、ロサンゼルスでのヨガ雑誌取材の際に、ワークショップで初めて体験した。武道をアメリカ人から習うことが面白く、また日本の良さにも気付かされ、それを広めたいと思った。budokonは動作もユニークで、ヨガより宗教色が無い点が受け入れられやすいというが、日本での認知度はまだまだ低い。これまで創始者のシェイン氏を日本に招いてイベントを行なうなど、少しずつ裾野を広げている。
 ヨガの魅力を倉橋さんは、「好きや嫌いなど対峙する二極の感情に惑わされず、ニュートラルな心情でいられることですね。『こうあるべきだ』などといった見えないものに縛られなくなりました」と話す。「ヨガ」と「会社」、どちらも自分が源となってゼロから作りあげてきたところにやりがいを感じているそうだ。
 東銀座に9月オープンのスタジオ運営やbudokonのプロモーションは大変だが、時間と場所、肩書きにとらわれることなく、「こんな人でもできるんだ」ということを感じてもらい、人にチャンスを与えられる実験台的存在でありたいと彼女は強く思っている。

budokon(武道魂)


※budokonとは、ヨガと空手などの武道を融合させた新しいホリスティックトレーニング。ハリウッドの人気スターに武道を指導していたキャメロン・シェイン氏が約4年前に考案したもの。
■ 有限会社show-ten 
      http://www.show-ten.co.jp/
■ budokon JAPAN  
     http://www.budokon.jp/
■ 株式会社terakoya  
      http://www.terakoyadojo.jp/

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