龍谷 2007 No.63

シリーズ龍谷の至宝4 須弥山儀

須弥山儀

須弥山儀
 須弥山の須弥とは梵字「Sumeru」(スメール)の音写で妙高と訳される。古代インドの宇宙観で、一須弥世界の中心にある高山を指す。仏教ではこの須弥山説を踏襲しており、江戸末期にはこれを一般に易しく理解させるため、リンが鳴り太陽と月が時計仕掛けで動く模型を考案した。これが「須弥山儀」である。
 仏教宇宙観は「倶舎ぐしゃ論」(5世紀頃、世親作)に詳しく、それによると宇宙空間(虚空)には巨大な風輪が浮かんでおり、その上に水輪が、さらにその上には金輪こんりんが浮かんでいる。水輪と金輪の境目は「金輪際」と称され、金輪上には海水が満ちてあり、最外周は海水が流出しないように鉄でできた鉄囲山てっちせんで囲まれている。金輪の中央には金・銀・瑠璃・玻璃の四宝でできた須弥山がそびえ立っており、その高さは海抜8万ヨージャナ(1ヨージャナは約7Km)。その周辺を九山八海くせんはっかいが交互に存在し、八海には八功徳水はっこうどくすいが満ちている。海中の四方にはそれぞれ東勝身洲とうしゅうしんしゅう南贍部洲なんせんぶしゅう西牛貨洲さいごけしゅう北倶廬洲ほっくるしゅうの4島があり、我々人間は南方の贍部洲に住んでいる。ただし、この地下には恐ろしい八大地獄が待ち構えているという。この贍部洲のみを模型にしたものが「縮象儀しゅくしょうぎ」であり、本学大宮図書館に一基のみ存在する。
 江戸末期、西洋の地動説が広まることにより、仏教の権威が失われることを誰よりも危惧したのは仏教界であった。殊に天台宗の普門律師円通は『佛國歴象編』などを著し、仏教界の危機意識はあまりにも低いと憤慨し、仏法護持の信念を述べている。円通の揺ぎない梵暦普及の精神は、彼の高弟である天竜寺の環中禅機、その孫弟子である萩の永照寺倶舎晃厳らによって引き継がれた。
 環中らの高弟は嵯峨林泉寺に所蔵されていた円通の掛け軸をみて、師匠の信念を受け継ぎ、これを是非とも実際に動く模型にしたいと願望した。そこで弘化年間の当時、からくり細工人としては本邦随一の名声を博していた「からくり儀右衛門」こと田中久重(東芝創立者)に製作を依頼したのである。弘化四年着工し、嘉永三年見事これを完成した。
 こうして円通による梵暦普及の精神は環中によって引き継がれ、環中が発注製作した「須弥山儀」と「縮象儀」は晃厳が引き継ぎ所有した。その後これを晃厳の次男である村上孝雄師が譲り受けられ、西本願寺の大学林(現龍谷大学)に寄贈された。「六條学報」第76号には村上孝雄師の寄贈書目として「須弥山儀器械」、「縮象儀器械」が他の関係資料と共に揚げられてある。
  (文・青木正範 大宮図書館司書)
 

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