龍谷 2007 No.64

龍谷大学の新たな飛躍に向けて
これまで本学は長期計画のもとで、全学が一丸となって改革に取り組み、今日の龍谷大学を形作るに至っている。
その長期計画の立案・推進に携わられた歴代学長、千葉乗隆先生(第12代学長)、信楽峻麿先生(第13代学長)、上山大峻先生(第15代学長)と、本年4月に第17代学長として就任した若原道昭学長により、これまでの改革と大学の発展、そしてこれからの龍谷大学を担う学長への期待が語り合われた。
龍谷大学の新たな飛躍に向けて

信楽 峻麿 若原 道昭
●第13代学長
信楽 峻麿(しがらき たかまろ)
在職期間1989(平成元)年4月1日〜1995(平成7)年3月31日
広島県出身
龍谷大学大学院文学研究科真宗学専攻修了、文学博士、専門は真宗学
●第17代学長
若原 道昭(わかはら どうしょう)
1947年生まれ。京都大学大学院教育学研究科博士課程満期退学、82年龍谷大学短期大学部講師に着任、助教授を経て92年から教授、短期大学部長や副学長を務める、2007年4月から学長、専門は教育哲学

上山 大峻 千葉 乗隆
●第15代学長
上山 大峻(うえやま だいしゅん)
在職期間1999(平成11)年4月1日〜2003年(平成15)3月31日
山口県出身 
龍谷大学大学院文学研究科博士課程修了、文学博士、専門は仏教学
●第12代学長
千葉 乗隆(ちば じょうりゅう)
在職期間1983(昭和58)年4月1日〜1989(平成元)年3月31日
徳島県出身 
龍谷大学文学部国史学研究科修了、文学博士、近世仏教史専攻、専門は近世仏教史


先駆的改革により 幾多の苦難を乗り越え 総合大学の礎を築く

若原 本日は、お忙しいなかお集まりいただき、誠にありがとうございます。この4月に学長に就任して以来、与えられた責務の重さを実感しております。私はここにおられる上山先生が立案され、神子上前学長から引き継いだ第4次長期計画を推進していくと共に、この計画が創立370周年を迎える2009年をもって終了することから、次代の大学改革に向けた構想を立案することも大事な役割であると認識しています。このようなときに、これまで本学が取り組んできた長期計画の立案に携わり、また推進してこられた歴代学長から、その時々のことを伺い、龍谷大学をさらに発展させていくためのご教示をいただきたいと考えています。

千葉 私は、第2次長期計画の立案の際には学長として、その責を担ったのですが、学長事務取扱という立場で、当時12カ年計画と称していた第1次長期計画の立案にも携わりました。当時は学園紛争も冷めやらぬころで、本学は深草に新たな学舎と学部を設けたばかり。財政的には不安定で、教育環境も未整備のなか、多数の学生を入学させ、その収入で大学運営を維持しているような状況でした。そのため学生の不満も多く、学生自身の家計も厳しいなかで、学費の設定は毎年、団交を通じて行なっていました。
 このような状況を打破し大学財政の安定化を図るために計画されたのが、12カ年計画でした。学生数を教育環境に見合うよう適正規模に抑えるとともに、学費を計画的に上げていくスライド制学費を導入。当初、学生からの反対も多かったのですが、教育環境が整っていくことにより、その不満も解消されていきました。そして計画どおり大学の財政基盤も安定化することができるようになりました。

信楽 私は当時、学生生活委員として学生と折衝することが仕事のような日々を過ごしておりましたが、改革に対する千葉先生の奮闘振りはすさまじいものであったと記憶しています。その改革が軌道に乗り、本学の財政が安定し始めたときに、教育内容を整備しようとしたのが第2次長期計画でした。

千葉 12カ年計画で導入したスライド制学費は当時斬新なもので、財政的な安定が見込まれるようになりました。そこで次に教育内容の向上に取り組むべく、立案・推進したのが第2次長期計画でした。
 この第2次長期計画で、今では一般的となりましたが、セメスター制やGPA制度、そして学部を横断する共通コースなど、アメリカの大学で取り入れられていた制度を、日本では本学が先進的に導入したのです。

若原 第2次長期計画は88年度のカリキュラム改革で実際に導入され、今日に継承されています。
 千葉先生が学長をされていた、ちょうどこの計画時期に滋賀県と大津市から誘致があり、瀬田学舎開学を決定されたのですね。

千葉 第2次長期計画は、その斬新さから当時の文部省からも注目されていました。財政的な安定を果たすとともに、教育内容の充実にも取り組む姿勢が社会的に評価され、滋賀県や大津市からの誘致につながったのだと思います。本学にとっても、この誘致は重要なものであり、特に理工系学部を設置するという県や市の要望に応えることは、有意義なことでした。

上山 私も当時は瀬田学舎、特に理工系学部の設置については委員として携わりました。本学は浄土真宗の精神を建学の精神とする大学ですが、仏教と科学の関係や、社会に開かれた場で活躍を求めていく仏教という観点に立って、その教学を拓いていく必要があると考えていたのです。
 当時は創立350周年を迎える時期にあり、「人間・科学・宗教」というコンセプトのもとで、その記念事業が推進されてきました。人間と科学、人間と宗教という関係は学問としても注目されていたのですが、この三者を結ぶことこそ本学の役割であると考えられたわけです。

若原 上山先生が立案された第4次長期計画においても初期の段階で、人間・科学・宗教総合研究センターが設置され、このセンターのもとに文理融合や様々な学問領域が学際的に連携し合う研究が推進されています。その原型が、理工学部を開設しようとする段階で形作られていたわけですね。
 ところで瀬田学舎開学時に理工学部の設置とあわせ、文学部社会学科を母体として社会学部を設置しましたが、これも地域の要望だったのですか。

千葉 ひとつの学舎に一つの学問分野だけを設けるよりも、異なる分野と共存する方が望ましいと考えました。このことは理工学部の設立に関わった理工系の先生方からの要望でもありました。特に仏教系大学である本学が、これまでの伝統を継承していくためにも、文学部の中でも特に社会科学系分野として展開してきた社会学科を瀬田学舎で学部として展開することにしたのです。

信楽 本学は、創立350周年の際に様々な事業を実施しましたが、そこでは理工学部だけでなく社会科学系学部も、宗教を中心に各々の専門性を活かした教学事業を行ないました。これこそが龍谷大学の建学の精神の明確な具現化に向けた取り組みであり、総合大学としての龍谷大学の幕開けではなかったかと思います。


規模の適正化と教学の発展 さらに、社会的に評価される大学をめざして

千葉 乗隆
●第12代学長
千葉 乗隆(ちば じょうりゅう)
若原 瀬田学舎開学と仏教系大学では初となる理工学部の設置により名実共に総合大学となった本学は、これに相応しい大学改革を推進すべく第3次長期計画をスタートさせたわけですが、これは信楽先生のもとで進められたのですね。

信楽 私が学長に就任したのは、瀬田学舎開設と理工学部・社会学部を設置した1989年。新しい龍谷大学がスタートした時期とも言えます。学園紛争時の学生との対立や財政的支援を得るための浄土真宗本願寺派との交渉など、第3次長期計画に至るまでに本学は様々な厳しい局面を乗り越えてきました。その苦労を踏まえながら、新しい龍谷大学の創造をめざし、この第3次長期計画を推進することが私の責務でした。

上山 第3次長期計画では、理工学部という新たな教学基盤に加えて、さらに地域の発展に寄与すべく、1991年に龍谷エクステンションセンター(REC)が設置されました。今日では大学の一般的な役割となっている産学連携や生涯学習などを推進するセンターを、率先して設けたのです。地域の中で展開し、地域とともに発展するという大学のあり方は、社会的にも注目され、龍谷大学の特色を打ち出すことになりました。

若原 第3次長期計画では、臨時的定員増にも取り組み、学生規模の拡大を推進されました。その結果が、今日の本学の大学規模の基盤になっています。

信楽 臨時的定員増は、当時の文部省との交渉の中で実現したもので、これにより本学の財政はより健全なものになりましたが、単に学生数を増やすだけでなく、学生にとって適切な教育環境を整えることにも注力しました。深草学舎4号館を建築しゼミ教室を多数設置するなど、少人数教育の実現にも取り組んだのです。
 大学規模の適正化と教学の発展という観点からみれば、瀬田学舎に国際文化学部を設けたことも第3次長期計画の重要な成果といえます。国際文化学部を設置するにあたり、当時の文部省の審査において、「仏教を基盤とする本学において、キリスト教やイスラムを加えた教学を展開するというようなことも国際文化学の役割」と説明し、高い評価を得ました。定員を増やすことが抑制されていた当時、国際文化学部の設置にともない定員増が認められたことは、色々な意味で意義のあることだと思っています。

若原 第3次長期計画によって現在の本学の体制はほぼ確立され、これを基盤に推進しているのが第4次長期計画であると認識しています。この長期計画を立案された上山先生は、どのように第4次長期計画を捉えられていますか。

上山 第4次長期計画では、総合大学として確立してきた龍谷大学が、社会的にも、教育・研究機能の点でも、評価される大学となるために、諸改革を進展させていかなければならないと考えました。例えば、先にも紹介されたように第4次長期計画実施後すぐに人間・科学・宗教総合研究センターを設置しましたが、ここでは学際的な研究を推進するにあたり、外部資源の活用や外部からの評価を得ることを前提とした研究を中心とすることにしました。現在、各研究センターで多岐にわたる研究が推進されていますが、これらの多くが文部科学省の私立大学学術研究高度化推進事業に採択されています。このように学外との関係の中で、これまで本学が培ってきた教学を、より充実・強化していくことが第4次長期計画における諸改革の本質であると考えました。
 第4次長期計画は現在も推進中であり、若原学長のもとで総仕上げされることとなりますので、それに期待するところです。ただこの計画の立案時に、私が嬉しかったことを紹介させていただきます。
 第4次長期計画では、各学部の教員や事務職員によって構成される企画員会議において、本学が目標とすべき基本構想が策定されました。その中で21世紀の大学像として「共生をめざすグローカル大学」が掲げられました。この「共生(ともいき)」という理念は今日の社会においても重要な考えであり、普遍的なものですが、もともとは仏教の考え方です。これがこの企画員会議の中で創案されたということは、真宗学や仏教学の専門家ではなく、様々な学部や部署に所属している教職員の中から発想されたということです。
 このように建学の精神が広く学内において浸透し、意識されているということがうれしく思えたのです。


建学の精神を活かしながら 世界的な視野に立ち 未来の龍谷大学を創造

信楽 峻麿
●第13代学長
信楽 峻麿(しがらき たかまろ)
若原 これまでのお話から、あらためて本学が先駆的に大学教学の充実に取り組んできたこと、そして諸先生が尽力されてきたことを再確認することができました。
 本年は大学全入時代の元年とも言われており、今後、ますます学生確保が厳しい時代となります。また一方では、大学の知的資源を社会に還元し、社会の発展に寄与していくという社会的要請が高まっています。このようななかで本学も懸命な努力をしていかなければなりません。また建学の精神のもと、いのちの尊さや人としてのあり方を考え行動できる学生を育成するとともに、社会に提起していくことが本学の重要な使命であると認識しています。
 そのためには、さらに改革を進めていくことが必要不可欠であろうと思っています。

信楽 これから大学改革を推進されるなかで、私が期待することは、「これこそが龍谷」というものを世界的視野に立って構築するということです。
 例えば、今日の世界情勢においてはキリスト教とイスラムの対立が見受けられますが、そもそも宗教は争ってはならないものです。実際に対立があるのであれば、そこに仏教が関与することによって、本来の宗教のあり方に立ち帰ることができるのではないかと思うのです。今の国際社会において求められるのは、宗教をグローバルな視点で研究することです。日本において有数の歴史を持つと共に、仏教を礎にした大学である龍谷大学だからこそ、世界的視野に立って研究者を集め、総合的に宗教を研究し、宗教本来のあり方を国際社会に提起していくべきだと思います。
 もうひとつ期待することは本学のネットワークの活用です。例えば、来年度から平安高等学校・中学校が本学の付属校となりますが、これに止まらず、より一層龍谷総合学園を活用することが考えられるでしょう。龍谷大学が世界を視野に展開するのであれば、総合学園加盟の学校に対しても門戸を開き、世界での龍谷大学の展開に、加盟各校の生徒を参加させるといった手だてを講じることも考えられます。

上山 大峻
●第15代学長
上山 大峻(うえやま だいしゅん)
上山 信楽先生のご指摘どおり、世界的視野での大学展開というのは、これからの本学にとって欠かすことができない要素と言えます。
 私は、本学の活躍分野を広げるとともに、教育機関として、あらためて本学の教育、特に建学の精神にもとづいての人間力の育成を充実させて頂きたいと期待しています。
 これからの時代には、自らを理解するとともに、異なる文化やそれぞれの人格を理解・尊重し、積極的に地域や世界の様々な場に出て、活躍していく人が求められるでしょう。本学にとってこのような人を育成していくことこそが建学の精神の具現化に他ならず、まさに本学の使命と言えるでしょう。

若原 最後に、これまで大学の発展に学長として携わってこられた先生方に、学長が果たすべき役割とはどのようなものかを、お聞かせ頂ければと思います。

千葉 瀬田学舎の開学や理工学部の設置は、当初、なかなか賛同を得られませんでした。実際、当時の本学の状況の中で、仏教系大学が理工学部を設置するということについて反対される方が非常に多かったのも事実です。そのような中にあって、私は瀬田学舎を開学し、理工学部を設置することが必要であると考え、これを実現させることができました。
 大学が発展に資する機会を得たときにこそ、学長自身の判断が必要となります。判断に至るまでには様々な意見を聞くことも大事ですし、十分に協議を重ねる必要もあります。しかしその機会を活かすかどうかは、学長が判断すべきことであり、そのことが学長に課せられた責任です。若原学長には、そのことを肝に銘じていただきたいと思います。

信楽 まさにその通りです。状況に応じて、様々な反対が生じるのはやむを得ません。その中で自身の責任で判断し、それに協力してもらえる方とともに推進していくことにより、大学を発展させていくことが学長の仕事なのです。
 私が学長として第3次長期計画を推進した時代は、それまでに比べると環境的には恵まれていたと思います。しかし、それでも取り組みたいと思う改革を断行するには環境的に不足がありました。逆に取り組めるだけの環境が整った時点で、その中核を担って頂けるような方がおられないということもありました。
 現在の本学は、取り巻く環境は厳しいものの大学の教学資源は整っていると言えるのではないでしょうか。厳しいようですが、その割には、安泰ムードが漂っているようにも見受けられます。今のような状況だからこそ、機会を逸することなく、打てる手だては全力を挙げて講じていくべきでしょう。

上山 学長として果たすべき使命についてはお二方が話されたとおりだと思います。さらに加えるとすれば、そのような判断を社会に示し、評価されることも重要だと思います。そういう意味では、もっと龍谷大学の取り組みを社会に発信していくことが必要ですし、学長がこれを牽引していかなければならないと思います。

若原 貴重なお話をありがとうございました。これまで学長として大学を先導し、今日の龍谷大学を築かれた先生方の実績から、あらためて自身の判断の重大さと責任を痛感いたしました。今後も、本学にとって様々な発展に資する機会があろうと思いますが、そのときには本日のお話を思い返し、学長として私自身の責務を果たしていく所存です。これからも本学の発展にご期待ください。

龍谷大学の新たな飛躍に向けて


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