龍谷 2007 No.63
古都・湖都 歩く 仏の教えを支えに、天秤棒一本から身を起こした 近江商人魂にふれる

西川甚五郎邸の蔵


最後の近江商人といわれる―伊藤忠兵衛記念館

 「江州音頭」の発祥地として知られる豊郷町は、湖東地方に位置する街道町。その旧中山道に面して、ひときわ目を引く板張りの黒い塀がめぐらされた大きな屋敷。それが、伊藤忠商事や丸紅の業祖・伊藤忠兵衛家の本家である。
 初代・忠兵衛は、呉服太物商を営んでいた家、紅長に1842(天保3)年に誕生する。彼は17歳で持ち下り商いを始め、後に、貿易・銀行・保険業に関与し、豊郷村の村長も務めるなど、多彩な才能を発揮した。
 また、ここで生まれた二代・忠兵衛は、母の教育や英国留学で学んだことを礎に国際的にビジネスを展開し、現在の「総合商社」の基盤を築いた。
 現在記念館として公開されている忠兵衛の本家には、初代、二代の愛用品を始め、多くの資料を展示。当時のまま残された佇まいからは、忠兵衛の活気あふれる暮らしぶりや、それを支えた初代の妻・八重の奮闘ぶりを偲ぶことができる。


店の間、そこから続く中の間や奥の間、女中部屋など、
店の間、そこから続く中の間や奥の間、女中部屋など、
商家の間取りが一目瞭然。
仏間にしつらえられたりっぱな仏壇。篤い信仰心をもち、
仏間にしつらえられたりっぱな仏壇。篤い信仰心をもち、
忠兵衛は、毎日朝夕に奉公人とともに「正信偈( しょうし
んげ )」を唱えていた。

明治40年につくられた、当時では珍しい西洋風バスルーム。
明治40年につくられた、当時では珍しい西洋風バスルーム。
初代忠兵衛の功績を偲ぶ「くれなゐ園」には、彼の肖像をはめ込んだ碑が立つ。
初代忠兵衛の功績を偲ぶ「くれなゐ園」には、彼の肖像をはめ込んだ碑が立つ。

伊藤忠兵衛記念館
入口では、実際に使用されていた提灯が出迎えてくれる。
伊藤忠兵衛記念館
滋賀県犬上郡豊郷町大字八目128-1

休館日: 日、月、水、金曜(臨時休館があるので、事前に連絡が必要)
開館時間: 10:00〜16:00
入館料: 無料
問い合わせ: TEL.0749-35-2001(財)豊郷済美会


家訓を貫いた生粋の八幡商人―西川甚五郎邸

 水運で賑わった八幡堀や、城下町の面影が残る新町界隈。近江八幡は今でも、商人の町に育まれた独自の文化が息づいている。
 近江商人を代表する人物であり、ふとんの「西川」(西川産業)の祖である西川甚五郎の屋敷は、日牟禮神社にほど近く、八幡堀に沿って静かな佇まいを見せている。
 西川家の歴史も、天秤棒を担いで歩く行商から始まった。西川家の初代・仁右衛門は1566(永禄9)年、19歳のとき商売を始め、後に近江八幡町に店を構えた。西川家発展の原点は、それまで単色であった蚊帳に萌黄色をつけ販売したことであり、以来、「蚊帳の西川」として名を上げた。
 本店を任された四男・甚五郎も、浄土真宗に基づく商業倫理を貫いた。近江や上方の産物を関東へ、関東・東北の原材料品を上方へ流通させる商法は、双方の産業発展にも大きく貢献。「峠が険しければ険しいほど、行商に行く商人の数は少なくなる」と、積極的に活動した八幡商人魂は、いまも西川産業の商売の基本として、脈々と受け継がれている。

皇族がご逗留された格調高い和室。
皇族がご逗留された格調高い和室。
フランス風の洋室。当時最もモダンといわれた内装、調度でつくられた。
フランス風の洋室。当時最もモダンといわれた内装、調度でつくられた。

文献を見ながら説明される財団顧問の田中良三さん。
文献を見ながら説明される財団顧問の田中良三さん。
邸の裏手にある八幡堀。
邸の裏手にある八幡堀。
かつて水上交通の要所であった水路に沿って白壁土蔵や、八幡瓦の工場が立ち並び、昔にタイムスリップしたよう。

西川甚五郎邸(非公開)
滋賀県近江八幡市大杉町17

企業の社会的責任が問われている昨今、「三方よし」に代表される近江商人の商業倫理。それは、仏教、特に浄土真宗の教えを基盤とした倫理であり、すなわち、本学の建学の精神とも共通するものである。近江商人の街への旅は、浄土真宗の精神を見直すよい機会となるのではないだろうか。

―近江八幡の名物―
「でっち羊羹」の老舗

和た与

 1863(文久3)年の創業以来、でっち羊羹(1本260円)を作り続けている老舗。でっち羊羹という名前の由来は「値段が安く丁稚でも買える」からだそう。竹の皮に包んで蒸した羊羹で、竹皮がほのかに香るあっさりとした味わい。
 里帰りした丁稚たちが、再び奉公先に帰るときに土産としたことから、全国に広まった。ここにも、近江商人の姿を偲ぶことができる。
でっち羊羹


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