龍谷 2007 No.63

「龍谷大学第5回青春俳句大賞」入賞作品の発表です!

第5回を迎えた龍谷大学の青春俳句大賞。
今回も全国各地から延べ46 949人、91 281句もの力作が寄せられました。
厳正なる選考を行った結果、見事に入賞を果たした作品をここに発表します。



【評・茨木和生】
  かかりつけのお医者さんの診察室。名前を呼ばれて診察室に入ると明るい海の絵に変わっていたので、夏の来たことを感じたのだ。日ごろからよく見ることにつとめていたことの成果である。





【評・寺井谷子】
  残しておきたくない写真なのか、貼ってしまわずに密かに持っていたい写真なのか。おそらく後者であろう。「晩夏光」で、夏の思い出の大切な一葉であろうことがわかる。




【評・有馬朗人】
  石榴(ざくろ)はインド北西部からイランにかけての地帯が原産地である。大航海時代の船員たちが活躍した海岸に沿って石榴がよく実る。そのような気持ちで石榴を食べているのである。




【評・ウルフ スティーブン】
 短命の蝉をものの哀れの象徴として扱っている。命の盛りの時期に鳴り響く壮大な合唱も、やがては静まりながら最後の一声となる。簡潔な英語の中に美しさがあり、そのはかなさは人間の命をもまた重ね合わせて示唆している。





【評・山田弘子】
  日本地図は壁に貼られているのか。南北に連なる列島の南東は太平洋のブルー。扇風機の風はまるで太平洋から届くようである。物の位置関係による切口が新鮮。



【評・有馬朗人】
  四月に新しい学期が始まる。セーラー服も折り目が正しく、新鮮な気持ちで勉強している。その頃、桜が美しく咲き、セーラー服の生徒たちを祝福しているようである。



【評・大峯あきら】
  ポプラの木の上に止まった、夏雲を下から見上げたところ。雄牡な夏の感じとともに、一種の危機感がある。





【評・茨木和生】
  キャンプ場に張ったテント、寝付かれないからだろうか、寝袋のまま顔を外に出して、たくさんの星のなかからとんで来る流れ星を見ている。貴重な体験を句に詠みとめている。



【評・山田弘子】
  昔私を噛んだ忘れられない犬。でも、今では随分老いぼれ、草紅葉の道をとぼとぼと歩いている。「くさもみじ」と平仮名表記にして、一句の視覚的バランスを考えたあたりにも感心。



【評・寺井谷子】
 テニスか、バドミントンか。多分テニスであろう。激しいラリーの後の短いタイム。ガットの「ゆるみ」に焦点を当てたところが秀逸。「油蝉」が焦燥感を掻き立てる。





【評・有馬朗人】
  机が幾つか並んでいる。しかし椅子が一つ足りない。その机で勉強していた人が椅子とともに消えたような悲しみ。沖縄の烈しい戦で亡くなった人々を心から悼む気持ちが出ている。



【評・大峯あきら】
  犯行現場から犯人の指紋が見つかった。「水澄むや」という季語によって犯罪を捉えた珍しい作。



【評・山田弘子】
 寒露(十月半ば)の頃、北方から南下する鷹の群は沖縄群島のあたりで休憩する。その何千何万の鷹が、柱をなす壮観さを「空の色塗り替えて」と表現。写生による迫力である。






【評・ウルフ スティーブン】
  アイスクリームが地面に落ちるやいなや、そこに向かって始まるアリ達の行進。敏感な知覚、組織的な行動力をあれほど小さな生き物がどうして持ち得るのか。全ての生き物に繋がる、生存への飽くなき力を感じさせる。簡潔ながら多くを語る句である。



【評・ウルフ スティーブン】
  心なく捨てられた空き缶が風に吹かれ、こともあろうに安全をはかる横断歩道に転がるさまは、人間が人工的に生み出すものはそれなりの責任を必要とすることが、自然の意図と営みによって諭される。



【評・ウルフ スティーブン】
  嵐が去ると、姿を消していたツバメ達は元いた電線に戻って再び留まっている。鳥も人間も非日常的な出来事がどんなに心身に挑みかかろうと、その後はまた自分の居場所で生き続ける。自然のサイクルを感じさせる句。






【評】やじろべえがうまく釣合いを保って倒れずに立っている。その左右へ公平に光をあてながら、日が長くなってゆくのである。やじろべえが日の光を釣合せているようで面白い。



【評】都会から来て山村留学をしているのは作者だろうか。山腹に開かれた中学校へは登り道を歩く。汗をいっぱいかいて歩く、それがかえってさわやか。新しい生活から生まれた作品。



【評】何気ない日常の風景の中にふと感じる感覚。生きる上で、人は歳を重ね、もう若返ることはないということに気付く。悔いもあり、満足感もある人生が他人の中にさりげなくよぎる。



【評】惨烈な沖縄戦の跡にも歳月は夏草を生い茂らせた。その草原の中に、何ものかのシンボルのように立つ一本の大樹。



【評】水中のものは角度によって大きく見える。自分の白い裸足の大きさ。それは「虚」であっても、確かに成長している自分自身の確認。初夏の感覚が瑞々しく伝わってくる。



【評】思わず笑みがこぼれる一句。棚からぶらぶらと下がって風に揺れる糸瓜が、かあさんに見え、ばあさんに見えてくるのだ。どうやら面長の家系らしい。作者の親愛の情が伝わってくる。





【中学生部門】
群馬県 前橋市立桂萱中学校
埼玉県 北本市立東中学校
東京都 明治大学付属明治中学校
大阪府 東大阪市立新喜多中学校
兵庫県 神戸龍谷中学校

【英語部門】
東京都 学習院女子中等科

【高校生部門】
大阪府 大阪府立千里高等学校
徳島県 国立阿南工業高等専門学校
愛媛県 愛媛県立松山中央高等学校
長崎県 長崎県立長崎工業高等学校





選考委員
選考委員
厳正なる審査が行われた選考会風景
厳正なる審査が行われた選考会風景

有馬朗人
有馬朗人

元文部大臣。
日本科学技術振興財団会長。
俳誌「天為」主宰。


 龍谷大学青春俳句大賞も五回目になり、きちんと定着してきた。中学生部門はほぼ例年並みと思う。高校生部門は毎年水準が上がってきているようである。ただ、まだ中学生的な発想の句が多かったので、もう一歩高校生らしい見方が欲しい。大学生は第一回、第二回に比べて格段の進歩があった。本来、大学生は一般人と同格として扱うべきであると考えている。その点からはもう一歩努力が欲しい。




茨木和生
茨木和生

俳人協会理事。
大阪俳句史研究会理事。
俳誌「運河」主宰。


 第一回青春俳句大賞の作品と比べてみると、何と作品が充実していることかと目を見張っている。その当時、中学生だった生徒は高校生に、高校生だった生徒の過半数は大学生になっているはずだから、継続して作句しているひとがかなりいるのではないかと思う。俳句は、「継続が力なり」と言われているが、この大会の作品を通してもなるほどと思われる。中学生の作品に新鮮さが、高校生、大学生の作品に質の高さが多く見られたことが何よりも心強い。



ウルフ・スティーブン
ウルフ・スティーブン

龍谷大学国際文化学部教授。
俳句研究、翻訳を行なう。


 第5回の英語部門には、前回から3倍増となる延べ800人から延べ1500句をいただきました。投句の多さに驚くとともに、質の向上にも目を見張りました。中学や高校の先生方の熱心な励ましやご指導があったに違いありません。俳句はその言葉の中に込められる知覚や感情がその神髄ですから、日本人の英語俳句は、英語圏の英語俳句コンテストにも引けを取るものではなく、きらめく句、純粋なる句は普遍的な喜びを与えてくれています。



大峯あきら
寺井谷子

大阪大学名誉教授。哲学者。
同人誌「晨」代表


 詩という世界は常識世界の延長ではありません。言葉で言えない世界が言葉になる瞬間に生まれるものだからです。だから直感と言葉とはいつも幸福な関係にあるのではなく、せめぎ合いの関係にあります。俳句を作る苦心も快楽も共に、そこから来るわけです。大人だけが常識的なのではなく、若い諸君たちでもやはり常識でしばられています。作句のいとなみとはまさにその常識に対する挑戦に他なりません。



寺井谷子
寺井谷子

現代俳句協会副会長。
俳誌「自鳴鐘」主宰。


 第五回を迎えて、寄せられる作品が、確実に成長していることを実感した。このことは、何より嬉しいことであった。第五回といえば、第一回に中学生だった生徒は高校に、高校生だった生徒は大学に進んでいる。中学三年生だったならば、大学生として作品を応募しているかもしれない。喜びは、単に毎回のよき作品に出会うというだけでなく、このような積み重なりを実感出来ることにもあろう。



山田弘子
山田弘子

日本伝統俳句協会理事。
俳誌「円虹」主宰。


 青春俳句大会も今回で五回目。回を重ねるごとにしっかり地に足が着いてきた感じです。青春の日々にとって俳句が何であるかを伝える力を感じさせる作品が多かったように思います。これはやはり本気で俳句を学ぶ姿勢の人たちが増えてきたことを物語っています。
  柔軟な感性の間に、しっかりと自然と向き合い感動する心、日本語のもつ弾力性を身につけて頂きたいと願っています。とても心弾む選句ができたことを嬉しく思います。



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