信仰心を育んだ幼少時代
1866(慶応2)年、高楠は広島県御調郡八幡村字篝に沢井家の長男として誕生した。広島県は浄土真宗の信仰が篤い土地柄で、沢井家もまた熱心な宗徒であった。学才に恵まれ、5歳から祖父の清斎に四書・五経の素読を習い、10歳の頃には、詩経、唐詩選を朗唱するなど、当時の男子の教養として重んじられた漢籍に親しんだ。宮内尋常小学校下等第一級を卒業すると、弱冠15歳にして小学校の教員検定試験に合格し、宮内小学校の教員に就任。凡庸ならざる才能は、青少年の頃から大いに発揮されていたのである。
この頃の高楠は、国学の研究に力を注いでいたという。明治維新以降、急激に高まった廃仏毀釈の風潮の中で、 国学を学び、仏教の黎明を知ることは、自身を見つめ直し、仏教への敬慕をあらためる意味もあったのだろう。
高楠を龍谷大学の前身、普通教校へと導いたのも仏教の縁があった。同郷の学僧であり、いち早く京都で活躍していた日野義淵が高楠を呼び寄せたのだ。高楠は小学校の教員を辞し、1885年の春、普通教校の第一期生として入学した。普通教校が仏教研究だけでなく、英語にも重点を置き、国際人としての素養を養う目的で設立されたという背景も、高楠にとって魅力的であったのかもしれない。 |