龍谷 2008 No.66

古都・湖都 歩く 京都市指定有形文化財 「杉本家住宅」をたずねて

大店の風格が感じる表構え。祇園祭のとき、この住宅は伯牙山のお飾り場となる。

市内最大規模の堂々たる京町家

 京の中心部、烏丸四条の交差点から南西へしばらく歩くと新町通がある。四条通から一本南の綾小路通との交わりからさらに西に向かうと風情ある佇まいの京町家が目に入る。ここが、京都市指定有形文化財の「杉本家住宅」である。
  杉本家は、もとは「奈良屋」という屋号を持つ呉服商で、京呉服を仕入れて関東地方(主に千葉市)で販売する「他国店持京商人」として栄えた。1743(寛保3)年に烏丸四条下ルで創業し、1767(明和4)年に現在地に移った。
  現在の建物は、蛤御門の変の「元治の大火」のあと、1870(明治3)年に再建されたもの。下京における大店の建築遺構として、きわめて高い価値を誇っている。
  主屋は、表屋造りの形式を備え、京格子、出格子、大戸、犬矢来、土塗りのむしこ窓など、昔ながらの京町家のたたずまいがそのまま残されており、市内に現存する町家にあっては最大規模に属する。
  各一間半の床と棚を設けた座敷、独立棟として張り出した仏間のほか、12畳はあるという広い台所は、一般的な町家よりもかなり大きな間取りで、奈良屋が大店であったことがうかがえる。
  当代で9代目という杉本家の初代は伊勢の農家の出身で、14歳のときに同地の西本願寺門末・教誓寺をたより、教誓寺と縁のあった順照寺の了瑞に伴われて上京、門徒である呉服商・奈良屋勘兵衛方に奉公にあがった。
  その後、独立を許され、39歳のときに、烏丸四条下ルに「奈良屋」を創業し、新右衛門を名乗った。杉本家では、創業日の8月5日を「宿場入り」と呼んで、毎年祝ってきた。初代は顧客を拡大して基盤を作り、二代新右衛門は下総の佐原に初めての江戸店を出店するなど、関東での販路を定着させていった。

江戸から明治時代、千葉・佐原店で使用した看板。
江戸から明治時代、
千葉・佐原店で使用した看板。
柔らかい日差しが差し込む細目格子。
柔らかい日差しが差し込む細目格子。

西本願寺の直門徒としての役割

 奈良屋と西本願寺の縁は並々ならぬものがある。三代目から六代目までは、西本願寺の直門徒として「勘定役」を任されるまでになり、門徒のなかでも、大変重要な役目を担っていた。
  門徒としての帰依も大変厚く、杉本家にはその信仰をうかがわせるならわしが今も残り、それは家の造りにも色濃く残されている。一年の始まりである元日の朝は、まず、仏間に勢揃いした家族が家長から仏前で手をあわせ、新年の挨拶を交わし一年が始まる。
  神棚・恵方棚を設けていないのも、商家としては珍しいことで、家内に神は混在させないという、信心深さの表れである。
  仏間は、四畳半を外陣として、西に一畳半ほどの内陣を設けている。
  さらにその奥には三畳分の広さの板敷の内々陣があり、内陣と内々陣の境の上部には、20世広如上人の御親筆による「法性閣(ほっしょうかく)」の額が掲げられている。
  仏壇は、浄土真宗の寺院で、御影堂、阿弥陀堂の伽藍を東に面して配置するのと同様に、東向きに据えられている。
  さらに、仏間の内陣の地下には、仏壇を災害から守るため、切石を積み上げて築いた穴蔵があり、この間取りの構成は現存する町家の中でも唯一の例と言われている。これは元治の大火の際に、仏壇を持ち出せなかった反省に立って、造られたものだという。

法性閣の額。
法性閣の額。
黒漆真塗の框を三段に重ねて設えた仏壇。
黒漆真塗の框を三段に重ねて設えた仏壇。


仏間に面した仏庭。
西本願寺の北能舞台の白州を模した仏庭

 さらに、仏間の横には仏庭があり、黒い滑石(なめりいし)が敷き詰められている。広さからいえば、坪庭といえる大きさだが、一般的な町家の坪庭とは異なる意味を持っている。
  庭一面の滑石は、西本願寺の北能舞台の白州を囲む賀茂川石と同じ種類の石で、草木を配さない独特の造りである。水を湛えた銅の水盤を据えた庭は、親鸞上人の教えに基づいた、信仰の鏡としての特別な庭とも言える。このように、杉本家と西本願寺の縁は長い歴史に裏打ちされた深い関係を保っているのである。
  杉本家では、昔から家に伝わるしきたりを守り、一年を通じて様々な年中行事をおこなっている。春は桃の節句の雛飾り、五月は端午の節句、夏の祇園祭では、矢田町伯牙山保存会によって守られる伯牙山という山のお飾り場として、通りに面した「店の間」に、祭りに関する懸想品が飾られる。
  ふだんは会員向けのみの公開だが、年数回、一般公開もおこなっている。この10月には、一般向けの催しも開催の予定。ぜひ、この機会に京町家の歴史と文化を肌で感じてみてはいかがだろう。


町なかに残る
昔ながらの図子と路地


 杉本家住宅周辺は、昔ながらの町並みが残るところ。杉本家のすぐ西には、綾小路通から四条通まで通り抜けられる「膏薬図子(こうやくずし)」がある。
  江戸後期の地図にも載っているという膏薬図子には、昔、空也の念佛道場があったと伝えられ「空也」が転化して「膏薬」という名になったといわれる。
  また、膏薬図子の中間にはT字形の路地があり、突き当たりには小さなお地蔵さんも祀られ、京都らしい風情が感じられる。

T字形の路地 膏薬図子
膏薬図子から入り込んだT字形の路地。
京都では「ロージ」と長く伸ばして言う。
行き止まりの「路地」には呼び名がつかない。
  綾小路通から四条通へ抜けられる膏薬図子。
通り抜けのできる「図子」には“膏薬”図子のように名称がつく。

朱地金子笹鹿子紋雲模様婚礼衣装
朱地金子笹鹿子紋雲模様婚礼衣装
財団法人奈良屋記念杉本家保存会

京都市下京区綾小路通新町西入ル矢田町116番地 問合せ:TEL 075-344-5724
※見学は保存会会員とその同伴者の方(予約制)。ただし年数回、一般公開の催しを開催。
【催しのご案内】
10月14日〜19日まで「杉本家に伝わる婚礼衣装展(二)-祝儀袱紗の図案と染めと刺繍の美」を開催。
※財団では、文化財保存を目的として広く一般の方の会員を募集しています。
  会員には保存会の主催する行事等の案内、機関誌の送付あり。問い合わせは保存会まで。


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