人に勝つより、自分に勝て-。
近代柔道の祖、嘉納治五郎の言葉だ。山田さんには、まさにこの言葉がふさわしく思える。乳児のときに高熱が原因で聴覚に障がいが残り、そのハンデに負けないようにと両親から勧められた柔道に小学生の頃から打ち込んできた。龍谷大学在学時には柔道部の副キャプテンを務め、3年生の時に全国大会ベスト16に入る実績を残している。
そして2008年5月、フランス、トゥールーズ市で開催された「第13回世界ろうあ武道選手権大会」において、山田さんは柔道男子100キロ以下級優勝、無差別級3位と海外の強豪を相手に大活躍をした。日本人選手の個人戦優勝は1979年の第1回大会以来、29年ぶりの快挙だった。
「今回が初出場の大会でしたが、自分の柔道をすれば必ず結果はついてくると信じていました。もちろん、優勝できた事もうれしいのですが、同じハンデを持つ人達が自分の事を見て『がんばればここまでできるのだ』と、いろんな事にチャレンジする勇気を持ってもらえたらうれしいなと思うのです」
身長175センチ、体重98キロ。無差別級に出場する選手としては決して大きな体格とは言えない。海外選手のなかには2メートルを超える長身の選手もおり、その体格差を乗り越えて結果を出していくのは並大抵の事ではない。山田さんは、柔道を通じて学んだ『諦めない気持ち』が国際舞台での好成績につながったと話す。
「物事を継続していく事の大切さ、身体だけではなく精神的な強さも目標とする武道の教えが自分をここまで導いてくれたのだと思います。そして、自分を応援してくれる家族や職場の方々、学生時代の友人達の支えがあってこそ、ここまでがんばってこれたのだと思います」
現在は、滋賀県警察本部の職員として機関誌の編集などに携わり、仕事の合間を縫って柔道の練習を続ける忙しい毎日を過ごしている。
「幼稚園に通う頃から、将来の夢を聞かれると『警察官!』と答えていました。地域の安全のために一生懸命に働いているおまわりさんの姿に憧れていたのです。聴覚障がいを持っているため、警察官ではなく職員としての勤務ですが、県民の方々を守るこの仕事に誇りを持っているのです」
次の目標は2009年に台北で開催される聴覚障がい者のオリンピック「デフリンピック」への出場、そして金メダルだ。
「代表に選考されれば、もちろん優勝をめざします。そして、競技だけではなく、世界中の人達との交流を深めるのも楽しみにしているのです」。現在、山田さんは同じハンデを持つ人達と、より深いコミュニケーションができるよう手話の勉強もしているのだという。
取材時、記者の口の動きを読み取り、自身の想いを懸命に伝えてくれたその姿には、いつの間にか山田さんの持つハンデを忘れるほどだった。
決して諦めず、一歩一歩、着実に自分の夢を叶えてきた山田さん。その夢は途切れる事なく、常にさらなる高みをめざしている。
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