龍谷 2009 No.67

古都・湖都 歩く 親鸞聖人650回大遠忌 参拝者で賑わいを見せた 梅小路停車場の今

梅小路停車場のプラットホーム

《梅小路停車場のプラットホーム》
「京都市街より稍(やや)離れ、西遥に愛宕山を望む、幾萬の団体参詣が第一に京都の土を踏むべき場所としては、七條ステーション(京都駅のこと)に勝ること数等なり」と、『遠忌大観』には称されている。
※一部の漢字を常用漢字に変換して引用

堀川通

《堀川通》
池の左の西本願寺の前が堀川通。
京都市街で最も広い南北路の堀川通もかつては狭く、このあたりは西本願寺の境内であった。写真右中央に見える正面通の門は現在よりやや西に位置する。
池は大遠忌の前年に埋めたてられた。

猪熊通

《猪熊通》
1909(明治42)年におこなわれた明如上人七回忌法要の様子。龍谷大学大宮学舎正門前(※当時は「仏教大学」の名)に集まり、宿泊所へと向かう参拝者達。大遠忌でもこのような光景が見られたと思われる。

梅小路公園芝生広場
《梅小路公園芝生広場》
かつて梅小路停車場があったとされるところは、芝生広場となり市民の憩いの場となっている。
大遠忌のために作られた
梅小路停車場


 2011年、親鸞聖人750回大遠忌法要を迎える西本願寺では、御影堂の大修復や全国の博物館を巡回する「本願寺展」の開催など、様々な関連行事が開催されている。
 半世紀に一度の浄土真宗で最も大切なこの法要は、1911(明治44)年におこなわれた「親鸞聖人650回大遠忌」でも同様に、国内はもとより海外からも熱心な門信徒達が訪れた。法要は、第1期と第2期に分かれ、1期は3月16日から25日までの10日間、2期は4月7日から16日までの10日間おこなわれた。御影堂の周囲には25000人の参拝者を収容する1300坪の大掛出が設置され、勤式と舞楽は隔日に朝と夕方の2座があり、勤式では朝夕ごとに3千名もの僧侶が交代して勤めたという。
 参拝者は当初、第1期が11万5千人、第2期が10万5千人と見込まれていたが、実際は前者が57万5823人、後者が43万1616人と予想をはるかに上回った。大遠忌の様子を記録した『遠忌大観』には、106歳という高齢で参拝した女性や、信心を重ねて一途に京をめざした少年少女の物語などいくつもの信者達のエピソードが残されている。龍谷大学は、学舎を布教本部や宿泊所として提供するなど大遠忌に協力した。なかでも、布教を目的とした「独立学生総班」を学生が結成し、200名余りの龍谷大学生が期間中各宿泊所を慰問したり、路傍伝道をおこなったという。
 100万人を超える参拝客が利用した交通手段の一つとして、鉄道が挙げられる。鉄道の歴史を少し辿ってみると、1872(明治5)年、新橋-横浜間が開通されたことを皮切りに、1877(明治10)年、京都駅が開業。神戸-京都間が結ばれると、1889(明治22)年には新橋-神戸間 が完成し、京都-新橋間を全通する東海道線が誕生した。また、京都では、京都-園部間が1899(明治32)年、京都-綾部が1910(明治43)年につながるなど、東に東海道線、西に京都鉄道(現在の山陰線)、鉄道網が急速に整備されていた時代であった。
 そんななか、大遠忌では相当の参拝者が京都駅を乗降する事が予想されたため、大混乱を避けるべく、京都駅とは別に参拝者専用の駅が作られた。それが「梅小路停車場」である。梅小路にはもともと京都駅が開業するまでの間、大阪-京都間に暫定的に設けられた「大宮通仮停車場」があった。本願寺への足の便が良い事からこれを「梅小路停車場」に作り変えたとされるが、他にも様々な説がある。
 停車場は1910年11月頃に起工し、線路を中間に挟んで、東行きと西行きのプラットホームがそれぞれに設置された。ホームには無数の旗を飾り、待合所の柱には紅白金巾を巻きつけるなど、乗客らを歓迎するために様々な工夫がこらされた。乗客の出迎えと見送りの際には、法話による布教や花火、楽隊の演奏などが華々しくおこなわれたという。
 梅小路停車場は、大遠忌の終了をもって解体されたとされる。しかし、1913(大正2)年から「梅小路駅」として貨物取扱いの拠点となり、1990年に移転するまで各地からの貨物運搬の役割を担ったようである。
 梅小路停車場がどこの場所にあったかは、大宮通塩小路付近に存在したとする書籍が出版されている。現在は、梅小路駅の跡地として「梅小路公園」が作られており、そのなかにある芝生広場付近が、梅小路停車場のあったところと解釈して間違いなさそうである。


懐かしいSLを展示保存する梅小路蒸気機関車館

梅小路蒸気機関車館 扇形車庫

《梅小路蒸気機関車館 扇形車庫》
扇形車庫の前には、蒸気機関車が360度回転する「転車台」がある。最終の運転後は、機関車に石炭や水を補給するため、実際に蒸気機関車が回転する姿を見る事ができる。

梅小路蒸気機関車館 資料室

《梅小路蒸気機関車館 資料室》
旧二条駅舎を移築した「資料展示館」では、SLに関する疑問や歴史などを、楽しみながら学ぶことができる。

梅小路蒸気機関車館 SL体験乗車

《梅小路蒸気機関車館 SL体験乗車》
「SLスチーム号」の展示運転線は往復約1km。約10分間のSLの旅が楽しめる。

 当時を偲ぶものとして、梅小路公園に隣接する「梅小路蒸気機関車館」を訪れるのはいかがだろうか。 
 同館は、日本の鉄道開業100周年を記念して1972(昭和47)年に開設された蒸気機関車専門の博物館だ。かつて蒸気機関車の基地として機能していた梅小路機関区の扇形車庫をそのまま活用し、大正から昭和にかけて活躍した代表的な国産の蒸気機関車が展示されている。
 「貴婦人」「デゴイチ」「ポニー」といった風に、様々な愛称で親しまれた16形式18両が、扇形車庫にて間近に見る事ができ、そのうちの7両は、実際に運転できる「動態」の状態で保存。「C57形式」は「SLやまぐち号」を牽引し、「C56形式」は「SL北びわこ号」として臨時運転するなど、現在も日本の風景にSLが走る姿を添えている。残りの動態の蒸気機関車は、「SLスチーム号」という名で、一日に3回、同館で展示運転をおこなっており、SLファンやファミリー層に人気を博している。
 また、日本最古の木造駅舎と言われる「旧二条駅舎(京都鉄道本社として利用)」を移築し、「資料展示館」として利用しているのも見逃せない。館内には、蒸気機関車の歴史や全盛期の梅小路機関区を復元したジオラマ、蒸気機関車の仕組みなどがわかりやすく紹介されている。
 遠忌時に参拝客が利用したであろう蒸気機関車は、時代が違うため展示されておらず、その姿を見る事はできない。しかし、「SLスチーム号」が勢い良く響かせる汽笛の音には、当時の大遠忌の賑わいが蘇るような、浪漫をどことなく感じさせてくれるのである。

《梅小路蒸気機関車館》
◎入館料/大人400円・小人100円
◎SLスチーム号乗車料金/大人200円・小人100円
◎開館時間/9時30分〜17時(入館は16時30分まで)
◎休館日/毎週月曜日 及び 12月29日〜1月3日
・祝日の場合は開館、翌火曜日が(平日)が休館
・学校の春・夏休みは開館
◎所在地/〒600-8835京都市下京区観喜寺町
◎お問合せ/電 話 075-314-2996
      FAX 075-314-3054
http://www.mtm.or.jp/uslm/

取材協力:本願寺新報(本願寺出版社)  引用資料:『遠忌大観』 参考資料:『宗祖大師六百五十回大遠忌紀念帖』、『本願寺新報』、『同心帖』



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