シリーズ龍谷の至宝8

朱地連璧天馬文錦断片
A「朱地連璧天馬文錦断片(しゅじれんぺきてんまもんにしきだんぺん)」絹
 縦13.9cm 横10.4cm 7〜8世紀
 
朱晒地連璧鳥形文綿 白地連璧闘羊(天馬)文綿
B「朱晒地連璧鳥形文綿(しゅさらしじれんぺきとりがたもんにしき)」
「白地連璧闘羊(天馬)文綿(しろじれんぺきとうよう(てんま)もんにしき)」絹 
 縦13.2cm 横7.3cm 
 (上)3.6×3.7cm
 (下)9.6×7.3cm 7世紀後半


 橘瑞超・吉川小一郎による第3次大谷探検隊(1910〜1914)の収集した資料で、トルファン周辺のアスターナやカラホージャ出土と考えられる。
 Aは、連珠円文内に向かい合う有翼の馬(天馬)が配され、足下に植物の文様が描かれている。経(たていと)に色糸を使用して文様を織り出した経錦であり、三色の経糸を一組とする「三重経」である。下部に白地の薄い絹布が縫い付けられている。本資料は死者の面覆いであったと推定されている。
 Bは、二種の錦が縫い合わされ一枚の布を形成している。両者ともAと同じく経錦である。坂本和子氏は、西域製ではなく中国(蜀)製であると推定されている。上部は、連珠円文内に双鳥文、下部は、連珠円文内に向かい合う有翼の動物が配されている。この動物は、当初「天馬」とされたが、坂本氏は、胴がずんぐりして尻尾が丸くなっていることなどから羊と断定された。
 また本資料は、従来死者の面覆いと解釈されてきたが、副葬品の俑(人形)に着せられた衣服であり、中央の三角形の切り込みはVネックに相当し、俑の首が入る。アスターナ206号張雄夫妻合葬墓の妻(688年合葬)の墓から木製女俑が出土しているが、その衣服に用いられた錦と形状・意匠が酷似している。
 AB両資料に共通する意匠として、連珠円文内に動物が対称形に配される文様が挙げられる。この図柄は、ササン朝ペルシアで完成し、広く西アジア、中央アジア、そして東アジアに広がっていったものであり、法隆寺の四騎獅子狩文錦(緯錦)などとも共通している。このような西方から伝わった意匠と、経錦という中国古来の織法とが融合し、トルファン周辺の墓から出土したこれらの錦は、それ自体が東西文化交流の証言者であろう。

(文・三谷 真澄 国際文化学部准教授)


《参考文献》坂本和子「染織資料について」
(「大谷探検隊収集西域文化資料とその関連資料」5)
『龍谷大学仏教文化研究所紀要』35,1996,pp.65-109

横張和子「アスターナ錦の編年と考察」
『古代オリエント博物館紀要』8,1986,pp.87-120+Pl.I-X



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