龍谷 2009 No.68

龍谷人

カネボウ陸上競技部コーチ 高岡 寿成さん 世界を駆け抜けた輝かしい経験を活かし
陸上界の次なるヒーローを育成。


カネボウ陸上競技部コーチ
高岡 寿成(たかおか  としなり)さん
京都府木津川市出身
1993年 経営学部卒業
3千メートル、1万メートル、マラソンの日本記録保持者



 カネボウ陸上競技部で中距離走、長距離走、マラソンランナーとして世界で活躍。現在は同部のコーチを務める高岡さん。トラックでスピードを磨き、30歳を過ぎてからマラソンに参戦。186センチという長身を活かしたストライドの大きい走りを特徴とした、日本人には珍しいスピードランナーだった。
 多くが箱根駅伝にあこがれ関東の大学に入るが、高岡さんは龍谷大学に進学。その理由は、「関東の強豪たちと競り合って苦しい戦いをするより、関西で勝つことを選びました」、と意外な答え。しかし、関東の大学に行ったかつてのライバル達が活躍している姿を見るにつけ、悔しさがこみ上げた。負けん気の強さもあって、学年が進むにつれ記録が伸びた。そして、4年生のとき5千メートルで日本記録を樹立してから頭角を現し、カネボウへ。その後の活躍は、陸上好きの人なら周知のとおりである。
 現役時代、試練はあった。その最たるものが、たびたび起こるケガ。走りたいのに走れない辛さを嫌というほど味わった。『夢見ることはできること』  ケガが長引いてスランプに陥っていたとき、ファンがくれた言葉だ。夢を見続ければ必ず叶うと信じることで、くじけそうな心を奮い立たせた。チームメートや家族の協力もあった。「目標であったオリンピックに出られたのは、多くの人々の支えがあったから」、そう思っている。
 今年3月、日本陸上界の星として活躍してきた高岡さんは、「これ以上続けてもファンの皆さんの期待に応えることができない」と現役を引退。4月にコーチに就任し、選手を指導する立場になった。
 そんな高岡さんが尊敬し、目標としているのがカネボウの伊藤国光総監督である。もともとカネボウに入社したのは、伊藤監督(当時)がいたから。「監督は現役時代の豊富な経験をもとに、ランナーとして成功する近道を教えてくださった」。
 目標がオリンピック出場から選手の育成に変わった今、支える側として学ばなければならない事柄は山のようにある。コーチとしてこれから刻む道のりも、決して平たんではないだろう。しかし、「若い選手たちには、伊藤監督や伊藤総監督にしてもらったように、自分の経験を話しながら、高い目標を語り合いたい」と、力を込める。
 小学生のとき町のマラソン大会で優勝したのがうれしくて、中学で陸上部に入部し、高校、大学と続けてきた。目の前の小さな目標をクリアするうちに、夢が大きく広がっていった。自分の経験だと言いながら、「龍谷大学の後輩達にも、他のことは捨ててでも、一つのものに集中することの素晴らしさを味わってほしい」と繰り返す。
 全国都道府県駅伝大会で京都のゼッケンを背負っての鮮やかなゴボウ抜き、東京国際マラソンでの悲願の優勝…、高岡さんの思い出のレースの数々は、今も目に焼き付いている。現役の走りが見られなくなったのは寂しい。けれど、これも時の流れ。「世界はますますスピード化が進んでいますが、あきらめないでコツコツ努力していけば、勝てるチャンスが必ずあると信じています」。
 テレビ画面から感じられたとおり、礼儀正しくさわやかな印象の高岡さん。その奥に秘めた信念を貫く強い意志と情熱で、日本が誇る未来のヒーローを育て上げてほしい。

カネボウ陸上競技部コーチ 高岡 寿成さん


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