龍谷 2009 No.69


龍谷大学創立370周年記念祝賀会が、新たなきっかけに・・・「出会い」とは予測を超えた「縁」のなせるもの
 
龍谷大学創立370周年記念祝賀会が、新たなきっかけに・・・「出会い」とは予測を超えた「縁」のなせるもの
龍谷大学短期大学部は2010年度に創設60周年を迎える。そして2011年度には、
現在の「社会福祉科」を「社会福祉学科」に名称変更すると同時に「こども教育学科」を新設(2010年5月 設置認可申請予定)。保育士資格と幼稚園教諭二種免許状が取得できる高等教育機関として、新たな一歩を踏み出すことになった。
 そこで、短期大学部の歩みを振り返りながら、実習園園長である羽栗周映先生と中西京子先生とともに、短期大学部改組の目的や将来への期待などを語り合った。
わかはら どうしょう
若原 道昭
2007年4月から
龍谷大学学長。
専門は教育哲学。
しげ  たかお
繁 隆夫 氏
平安高等学校卒業、
龍谷大学出身。
1995年
京都市会議員初当選。
自民党府連・副幹事長などを経て現在、京都市会議長。
きぬがさ  さちお
衣笠 祥雄 氏
平安高等学校卒業、
広島東洋カープ入団。
1987年国民栄誉賞受賞。
野球解説者として活躍中。
また、子ども野球教室で野球を通しての教育活動をおこなう。
アンドルー・ゴードン 氏
ハーバード大学歴史学部教授。
『日本人が知らない松坂メジャー革命』などの著書があり、野球通である。

「縁」に結ばれた出会い

この座談会のきっかけは、アンドルー・ゴードン氏と繁髟v氏のボストンでの出会いに始まる。京都市会議長の繁氏は昨年8月に、ボストンー京都姉妹都市提携50周年の記念事業でボストンを訪れた。その時にハーバード大学にてゴードン氏と顔をあわせ、その昔、大リーガーの鉄人、カル・リプケン選手と日本球界の鉄人、衣笠選手の日米鉄人対談があった。その時にゴードン氏が通訳を務めたという話が出た。
 その衣笠氏と繁氏とは平安高等学校(現龍谷大学付属平安高等学校)の時の同級生で、ともに甲子園をめざした球児だったことを打ち明け、二人はたちまち意気投合したという。そして、この10月に龍谷大学創立370周年記念事業にともに招待されているゴードン氏、衣笠氏と一席設けようではないか、となったのである。
 そんな二人を結びつけた、日本では国民的英雄で「鉄人」という称号が最も似合う人物、衣笠祥雄氏。その衣笠氏は、鉄人対談の時のゴードン氏との思い出を、「当時連続試合出場を続けていたリプケンが、私の記録を抜いて新記録をつくるということでお招きいただき、通訳者としてゴードンさんとボストンでお会いしました。デトロイト、カンザス、ボルチモアと試合のあったところを一緒に巡ったことは、今でもとても楽しい思い出です」と語った。
 衣笠氏はリプケン選手が、自分と同じプロセスを歩んだことに驚き、「本当に僕の気持ちを理解してくれる人間が目の前にいる」と感激したという。ゴードン氏も通訳していて、その感激や驚きが伝わってきたらしく、二人の会話から、文化や言葉を超えたものを感じたとか。

 
良い指導者との巡り合いが、良い選手をつくる

 野球を通した三人の出会い。その不思議な縁の話をにこやかに聞いていた若原学長が、『縁』について、仏教者の立場から解説する。
 「仏教の一番基本の考え方は『縁起』です。『縁』には『〜によって』という意味合いがあります。あらゆるものが何かによって起こる、生まれる、変化する、壊れる、滅びる。何かによってという関係性のなかで、あらゆるものが生まれ、存在している。
 遠い昔から世界の果て、宇宙の果てまで広がるつながりのなかにある。私達がこうして出会ったのも、予測や計算では計り知れない縁のなせるものなのです」。
 これに応えて衣笠氏は、「確かに、縁というものを人生の折々に感じます。僕は人間形成で重要な時期である高校時代に、良い指導者に巡り合えたことに非常に感謝しています」。
 衣笠氏の恩師、平安高校中村監督は、「教える」 ということより「考えさせる」ことに重点を置き、生徒自身に解決の糸口を見つけさせようとしたという。衣笠氏は3年のとき、キャッチャーで4番を打っていたが、打たれて試合に負けた時は、「なぜピッチャーが打たれたのかを考えなさい」。衣笠氏が打てなくて負けたら、「4番バッターなのに、なぜチームメイトに打てる見本を示さないのか」。そう言って、常に考えることを要求した。
 「振り返れば、時間のかかる、忍耐のいる教育だったのではないかと思います。たぶん、答えを先に教えるほうが楽だったはず。しかし監督は待ってくれた。そんな指導者に出会えたことは良い縁だったと言えます。私がプロに行くまでのステップアップを、ゆるぎない信念で支えてくれたのは中村監督でした」。
 野球部で同じ釜の飯を食う仲であった繁氏が、衣笠氏について、
 「平安高校の野球部では、私はセカンド、衣笠さんはキャッチャー。私はケガのため、途中で野球の夢を断念したのですが、衣笠さんは当時から目標をしっかり持っていた。
 いかに素晴らしい才能を持っていても、一人で開花させるのは難しい。だから、それを手助けしてくれる良い指導者に巡り合えたことは幸運だったと思います。しかし、それと同時に、その人自身の信念や努力が不可欠。衣笠さんには、誰よりも強い心があった。だからこそ、プロ野球の世界でも前人未到の記録を残せたのだと思います」。
 さらに繁氏は、今の立場から自ら果たすべき使命として、「これからの子ども達がスポーツで感動し、良い思い出をつくるためにも、優秀な指導者との出会いが欠かせません。子ども達が夢を叶えられるよう、行政の面からバックアップするのが私の責任であり使命であると考えています」。

 良い指導者との巡り合いが、人間形成やその人の将来を大きく左右する。これは、スポーツの分野にとどまらず、龍谷大学に課されている教育の場面にも通じることではないだろうか。

 
歴史を大切にしながら新しい「縁」を求めて

 ゴードン氏は日本に対する造詣が深い。そのきっかけは、高校時代に京都に留学したことにある。
 「日本を知るきっかけは今から40年前、私が高校生だった時に始まります。私はボストンで生まれ育ちましたが、ボストンー京都姉妹都市提携10周年に当たった年のある日、あるパーティで、アメリカの高校生が日本を訪問するプログラムが企画されていることを知り、参加しました。その時の拠点が京都の高校であり、ホームステイをしながら日本のことを色々学びました」と当時を懐かしむ。
 日本通で流暢な日本語を話すゴードン教授の出発点は京都にあったのだ。
 そして、衣笠氏や繁氏との出会いにふれ、
 「そのようにして日本についての知識を持っていたことが、リプケン・衣笠両鉄人対談の通訳を任されたことにつながったのでしょうし、この夏に繁氏と出会えたことにもつながっているのですね」。
 高校時代の京都との縁が、やがて自分の進む道を決める大きな要素となったと語るゴードン氏。
 三人はゴードン氏の話に共感しつつ、人が人をつなぐ不思議な縁、またこれからも出会うであろう新しい縁、それぞれが縁への期待を口にした。
 その時、若原学長がふと真顔に戻り、こう語る。
 「ただ忘れてならないのは、『縁』というものは、自分にとって都合の良いものだけではないということです。縁起ですから、縁次第でどうなるかわからない。私たちはどうしても自分中心に考えてしまいますが、良い出会いも、悪い出会いも、ご縁ですと、すべて含めて感謝できなければならないでしょう。もちろん、本日のような良い縁は、大変ありがたいことだと思います」。
 さらに若原学長は、龍谷大学の歴史と未来について、こう結んだ。
 「長い歴史を持つ龍谷大学は、親鸞聖人のみ教えに基づく建学精神を縦糸に、時代を横糸に、織物を織るように時代の変化に対応して大学を織り上げてきました。2010年度からスタートする第5次長期計画では、スローガンに『進取と共生(ともいき)、世界に響きあう龍谷大学』を掲げ、次なる次元へと邁進していきたいと考えています。
 京都だけでとか、日本だけでとかいう発想では、現代の課題は解決できない。世界的広がりのなかで、解決をめざさなければなりません。グローバリズムというのは、競争のグローバル化というのもありますが、世界規模の連携、協力を進めるということが私達のめざしているグローバル化です。
 本学が追求する未来を実現するためにも、縁によって育まれた歴史と伝統を受け継ぎながら、進取と共生の心を礎に、新しい大学づくりを推し進めてまいります」。

 

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