龍谷 2010 No.70


様々な方面で活躍する龍谷人INTERVIEW 龍大発! グローバル人材〜海外で活躍する卒業生〜

 
上海万博日本産業館VIPアテンダント 永田 美帆さん
永田 美帆さん
大阪府大阪市出身
2009年  短期大学部社会福祉科 卒業
文化の違いも仕事の厳しさも、全てが価値ある経験。これからも自分の触覚を信じて挑戦を続けます。
 上海万博の日本産業館で、中国語と日本語を巧みに使い各国VIPの対応役を努めているのが、2009年に短大を卒業した永田美帆さんだ。
 彼女がおこなうアテンダント業務は、お客様をただ単に誘導するだけではなく、日本や中国をはじめとする各国の政界や経済界の方々に、いかにストレスを感じさせず、かつスムーズな運営をすることができるか、という所に役割がある。「鳩山元総理、橋下大阪府知事、ジャッキー・チェンさん、大企業の重役の方など、日本では絶対にお会いすることのできない多くの方々と触れ合うことができました。これまで、これほど成長でき、充実した時間はありませんでした」と永田さん。  短大の卒業を目前に控え、目標を決めかねていた時、中国で仕事をしていた叔父が、上海への留学を勧めてくれた。「実際、中国のことは何もわかっていませんでした。でも知らない世界を 見てみたいと思い、思い切って飛び込んでみたんです」。
 正直、中国語は「ニーハオ」くらいしか知らず、慣れない環境に最初は戸惑いも多かった。しかし彼女は、クラスメイトと「話がしたい」という一心で、ジェスチャーや習いたての中国語を使って一生懸命コミュニケーションをとっていく。1年半の留学を終える頃には、中国語が自然と出てくるようになっていた。
 帰国後、中国語を活かしてホテルで働いていた永田さんが、「やっぱり、今しかできないことをしたい」と強く思い立ち、上海万博のアテンダントへ応募、合格した。
 「仕事内容は本当にハードな時もありますが、それを忘れるくらい価値のある時間を過ごせていると思います。この経験を活かして、万博が終わった後も、私らしくまた新しい世界に挑戦し続けていくつもりです」と語る永田さん。ハイクラスなもてなしを身につけた自信と、この先の自分が見ていく世界へのキラキラした期待で、その笑顔はやさしく輝いている。
 
永田さんが現地で聞いた 忘れられない言葉
給我銭  この言葉は、「お金をください」という意味です。中国に来て一番衝撃的なひと言でした。その方は片腕が無く、顔も焼けただれていました。現地の人の話によると貧しさのあまり、同情を買うために自分で腕や足を落としたり、硫酸で顔を焼いたりする人もいるとのことでした。そんなことを小さい子どもにする親もいます。都市部の発展にばかり目が行きがちな中国ですが、そのなかで広がっていく「格差」を目の当たりにしました。

 
ウイリアム&メアリー大学 日本語講師 北村 愛子さん
北村 愛子さん
大阪府堺市出身
1995年 経済学部経済学科卒業
自分らしく生きることとは、夢を実現させること。
 「先生、おはようございます。」  「おはようございます。」  北村さんの1日は、1杯のコーヒーと、何人もの学生と交わす日本語のあいさつで始まる。
 彼女は1995年経済学部卒業後、米国ウィスコンシン大学マディソン校で修士号を取得し、ミシガン大学、マサチューセッツ大学にて教鞭を取った後、現在ウイリアム&メアリー大学で日本語を教えている。担当するコースは毎年変わっていく。この秋からの担当は、あいさつや「あいうえお」から始まる初級レベルの1年生と、説明や意見述べの練習や少し長めの読解などを扱う中級レベルの3年生、そしてアシスタントの指導だ。
 北村さんが今現在アメリカに住み、大学時代から夢見ていた「外国語として日本語を教える」という職業に就いているのは、龍谷大学で恩師や友人に出会い、刺激をもらい、支えられたおかげだという。恩師のトム・ライト先生の指導のなかで、『自分らしさ』とは何か、『私』とは何か、ということを考えるようになり、その自問自答が夢を実現させるための原動力になった。
 「もちろんこれまでの仕事で苦労も多々ありましたが、あまり記憶にありません」と北村さん。「好きで、楽しんでやっている仕事ですし、なによりも、勉強熱心な学生達と話していると、苦労を感じるというよりむしろ元気になります」
 しかし、パーティーの多いアメリカの社交では、いつも頭を悩ませているという。どんな話をすればいいのか、どのようにして会話を盛り上げたらいいのか。言葉の壁を乗り越えるだけでなく、知識・教養をいかに増やしていくかが今後の課題だ。
 「今は、よき伴侶と出会い、結婚もし、子どもを授かり、仕事もさせてもらっています。これからは自分自身のためだけではなく、人のために私だからできることをしていくというのが、『私』なのではないかと考えています。」
 
北村さんの 忘れられない言葉
Who am I ?  大学生の時に、恩師のライト先生が「Who am I?」と自問しているとおっしゃいました。その後もなぜかずっとこの言葉が頭から離れず、知らず知らずの間に自分に問いかけるようになっていました。私は誰?私は「私」…。しばらく考え、私が「私」であるということは自分らしく生きるということではないか、それは、自分の夢を実現させるということではないかと思ったのです。

 
日本貿易振興機構チェンナイ事務所 所員 久木 治さん
久木 治さん
滋賀県犬上郡豊郷町出身
2000年 国際文化学部国際文化学科卒業
日印関係の発展のために。時流を捉え、国際経済の最前線で舵を取る。
 近年、日系企業のインド進出が進んでいる。在インド日本国大使館や日本貿易振興機構(通称ジェトロ)が共同でおこなった調査によれば、インドに進出した日系企業の数は、2009年10月時点で627社。
 この時流を捉え、ジェトロは2010年5月1日にタミル・ナドゥ州チェンナイ市に新事務所を開設。インドにおいては、デリー、ムンバイ、バンガロールに次ぐ四つ目の拠点であり、1国に配置する事務所の数としては、米国と中国(それぞれ6拠点)に次ぐ規模となった。そのジェトロチェンナイ新事務所で活躍している日本人の一人が、本学卒業生である久木治さんだ。
 久木さんは、龍谷大学卒業後の2001年から2004年までの3年間、インド国立Jawaharlal Nehru Universityに留学。その後ジェトロのニューデリーセンター、バンガロール事務所を経て、現在に至る。
 日系企業の海外進出支援、在外企業支援、情報収集・発信、対日投資誘致など仕事は多岐にわたる。最近では、インフラ開発関連事業がこれらに加えられた。
 インド進出日系企業数は着実に増加しているものの、インド国内の産業インフラはさらなる整備の余地があるのも事実。しかし、各国企業が虎視眈々とインド市場を狙うなかにあって、インフラが整備されてから出るのでは、時すでに遅しということになる。進出支援と同時にインフラ整備が必要。ここにジェトロの役割がある、と久木さんは語る。
 チェンナイ新事務所の立ち上げに奔走すると同時に、通常業務や臨時業務に対応してきた。仕事量は膨大だ。「苦労と言えば苦労ですが、大いにやりがいもあります。時流を捉えた任務の最前線で国や企業の進展・発展を目の当たりにするのは、実に素晴らしく、貴重な経験なんです。」
 日印関係の発展、ひいては社会全体の進歩に貢献したい――、そんな強い使命感を胸に抱く日本人が一人、日本から遠く離れた異国の地で、今日も業務に励んでいる。
 
久木さんが現地で聞いた 忘れられない言葉
 「Oont ke Muh mein Jeera」ヒンディー語の諺で、「ラクダの口にクミンのタネ」
 大きなニーズに対して小さすぎる供給という意味。日系企業様のお役に立ちたいと思ってはいるものの、私個人が持てる力は限られているという現実と重なり、多少悲しい思いがする反面、香辛料が登場する日本の諺の山椒は小粒でもぴりりと辛い≠ェ連想されるので気に入っています。

このコーナーでは、様々な方面で活躍する「龍谷人」を紹介しています。
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