龍谷 2010 No.70


龍谷人
飛鳥 寛栗さん 仏教音楽を愛し、その体系化に貢献。
2010年龍谷賞受賞。
飛鳥 寛栗さん
 
龍谷賞受賞式の様子 (2010年11月)
龍谷賞受賞式の様子
(2010年11月)
音楽を通して仏教の教えとたくさんのご縁に出会いました。
 1915年生まれ。1939年龍谷大学文学部仏教学科仏教学専攻卒業。富山県善興寺前住職。仏教音楽に関する多くの著作を出版。さらに後世に残すために、仏教音楽から童謡に至るまで、音楽に関する膨大な資料及び楽譜収集に努め、それらを学問的に体系化し、『日本仏教洋楽資料年表』(2008年)を編纂(2008年)、93歳で発表した。
研究のなかで、有名作曲家の山田耕筰氏と西本願寺のつながりにも着目した。もともとキリスト教の影響を多くうけていた山田氏が、不思議な縁によって西本願寺ハワイ別院で病気療養をすることになり、大正7年『らいさん』という讃仏歌集の制作に参加。それを通して山田氏と仏教や西本願寺とのつながりができ、『梵音響流』などの大作や、龍谷大学学歌の作曲などに至ったのである。『梵音響流』は、原譜は龍谷大学の所蔵とされ、西本願寺関係の演奏会で何度も演奏され文化交流に活用された大曲であった。
 
西本願寺と山田耕筰氏のつながりから、龍谷大学の学歌がうまれた。 仏教音楽とともにあった青春
西本願寺と山田耕筰氏の つながりから、 龍谷大学の学歌がうまれた
 小さな頃から仏教音楽に親しんできました。研究を始めたのは、60歳前後の頃からでした。
 そもそもは、富山の寺(善興寺)で母が早くから仏教の日曜学校をやっていて、子ども達と一緒に讃仏歌を歌ったりしていました。それで音楽が好きだという一つの土壌が育ったんですね。昭和8年に19歳になると、京都へ出て龍谷大学に入りました。でも日曜学校を忘れられず、西本願寺が近くの子ども達を集めてやっていた「中央日曜学校」で、在学中の6年間、先生をさせていただいたんです。一方で、大学の男声合唱団にも所属しました。ちょうどキリスト教系の大学に聖歌隊があるのを見習って、仏教系の各大学で合唱団を持つようになっていた頃でした。当時の合唱団は、特に仏教のものでもなく、自分達で曲を好きに探してきて、楽しんで歌っているような雰囲気のものでした。
 その頃、仏教音楽はちょうど、様々な側面で発展期にありました。
 明治以後、西洋音楽だけでなく、日本文化を背景としてうまれてくるメロディーや歌詞が評価され始め、それを大事にしようという流れができました。それまで、お寺での音楽はお経を読む「声明」ぐらいだったのが、仏教徒のなかでも、みんなで集まった時に歌えるいい歌が作れないかな、という雰囲気になってきたんです。
 まず、民間の若い作曲家、作詞家、お坊さん達の動きによって、それまで日曜学校で歌われていた難しい文語体の讃仏歌が、『赤い鳥』運動という児童文学運動からうまれた「童謡」と交流して「仏教童謡」に変わっていき、全国へ普及していきました。さらに、国の協力が得られ、一流の音楽家達に仏教音楽の制作を依頼し、各地で演奏会をすることで、仏教音楽の発展に努めました。京都では、その演奏会のために龍谷大学、京都女子専門学校などの合唱団をあつめて「京都仏教聖歌合唱団」という混声合唱団が組織されました。それで、私は在学の間に仏教聖歌の混声合唱をすることになりました。
 中央日曜学校と聖歌合唱団。私は、民間と国の双方から仏教音楽がどんどん盛り上がっていく流れのなかにまさにいたのです。これが縁となっていろいろな方々にお会いでき、その後種々の楽譜がいつのまにか手に入ってくるようになりました。仏教音楽のコレクションをとおして様々な出会いと発見があったこと、これは大変幸せなことでした。
 
山田耕筰さんと龍谷大学との縁
 そのなかで知った興味深い話が、あの山田耕筰さんと西本願寺のつながりのことですね。山田さんはもともとクリスチャンでしたが、米国へ渡航の途中に病気となり、お弟子さんのいた西本願寺ハワイ別院で療養をすることになりました。そして滞在中、現地で『らいさん』という讃仏歌集のなかに曲をよせられました。この出来事を通して山田さんと仏教や西本願寺との縁ができ、『梵音響流』という仏教音楽の大作や、龍谷大学学歌の作曲などにつながったと思われます。山田さんは全国各地で数多くの校歌を作られましたが「自信作のなかでも龍谷大学学歌は三つの指に入る」と語っていました。『梵音響流』の原譜は現在龍谷大学の所蔵となっています。この曲は西本願寺関係の演奏会など国内外でたびたび演奏され、人々の心をつないだり、国際文化交流に貢献してきた曲です。また、ハワイの『らいさん』のなかには、あの有名な『恩徳讃』も掲載されています。こちらは山田さんのお弟子であった澤さんの作曲です。つまり『恩徳讃』はハワイで作られた曲なんですね。
 
埋もれた宝に光を
飛鳥氏著作「仏教音楽への招待」(2008年 本願寺出版社)
飛鳥氏著作
「仏教音楽への招待」
(2008年 本願寺出版社)
 戦争で自由な文化活動が制限されて以来、かつてのような仏教音楽界の活発な発信は、残念ながら消えてしまったままです。一般の楽譜と同じように、聴いてもらい、歌ってもらえば評価されることがわかっている良い歌が随分たくさんあるのに、その宝物が埋もれてしまい、普及しないのはもったいなく思います。仏教界は、音楽のいのちを再現できるような方法を、もっと考えないといけないんじゃないかと思いますね。
仏教に限ったことではないですが、宗教と、世間や生活とが離れたものではいけないんです。音楽という文化活動は、それをぐっとつなぐものなんですよ。
 
●飛鳥さんが大切にしている言葉
散華楽 森のなかに風が吹きますと、花が散り、その動きが、音楽に聴こえてくる。
花が散る、そのこと自体が音になって、仏の心を育ててくれると。そういうお経の言葉があるんですね。
お浄土というところは、音と、香り、光の世界。
本質的に、音というのは、自然の動きを象徴し、真実を伝えるものなんです。
人間にとって、いちばんわかりやすく、だいじなものなんです。
おかげさまで、こうして音楽というものを通して仏教の教えとたくさんのご縁に出会わせていただけたのは、たいへんたいへんありがたいことだったと思っています。
 

このコーナーでは、様々な方面で活躍する「龍谷人」を紹介しています。
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