龍谷 2010 No.70


いのちの無常を知り、奢ることなく現実を深くみる。人知を超えた災害を目前に、私達の進むべき方向とは。
ボランティア活動
 3月11日に発生した東日本大震災は、広範かつ深刻な未曾有の被害をもたらしました。犠牲者の皆さまに心から哀悼の意を表するとともに、全ての被災者の皆さまにお見舞いを申しあげます。
 私達は日々、あたりまえのように生きています。しかし、この度の未曾有の大震災によって、生とは連続したものである、という日常の認識が引き裂かれてしまった方も多いのではないのでしょうか。命の儚さ、無常さに途方にくれ、肩を落としていらっしゃる方も多いことでしょう。しかし、いま我々は、このような出来事を通して、改めて命の尊さ、生かされていることに気づくことが重要なのだと思います。地震国といわれる日本なので、このような事態は想定されておりました。しかし当然ながら、だれも3月11日という日に起るとは予想できなかった。また、今回の地震は、原発事故の深刻な問題をもたらしています。それは、核エネルギーに依存した経済活動によって担保されていた豊かさに、胡座をかいていたこと。多様なエネルギー源を確保する努力を怠っていたという、私達のあり方を見直す事故でもありました。私達が生きていくなかでは、必ず私達の想定外のことが起こりえます。そんなきわどさのなかではたらく命=A意のままにならない命≠セからこそ尊いのです。この地震を通して私達は改めてそのことを学ばなくてはならないでしょう。
 この地震を機に、私達の社会は様々な側面からの見直しが迫られています。そんな時期だからこそ、学生の皆さんには、自分の周りで起こっていることに対して、多角的で知的な分析をして、学ぶべき課題を積極的に引き出す姿勢を持っていただきたいと思います。これからの日本及び世界の行方は一人ひとりの意識や行動にかかっています。どのような社会が求められているのか、今までのパターンにとらわれず、多様な社会像を積極的に模索してほしい。大学も変わりゆく時代に対応しながら、皆さんのバックアップをしていきたいと思っています。

    あかまつ てっしん
学長 赤松 徹眞
赤松 徹眞 赤松 徹眞(あかまつ てっしん)
1949年生まれ。
龍谷大学大学院文学研究科修士課程修了、
龍谷大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。(文学修士)
1984年龍谷大学文学部講師、
1987年龍谷大学文学部助教授、
1998年龍谷大学文学部教授、
2005年龍谷大学教学部長、
2007年龍谷大学文学部長。 専門は日本仏教史、真宗史、近代史。
 
第3回ボランティア活動レポート 自分の目で、心で確かめたい。学生達の見た被災地。
 

 当初二次災害の危険性も考慮して、自粛を呼び掛けていたボランティア活動であったが、被災地で支援活動をしたいという学生からの要望が高まり、本学の役割や使命を踏まえたうえで、大学として実施することが決定された。それを受けて、ボランティアバスが6月〜8月に3回に分けて運行され、約80名の学生・教職員が参加した。行政やNPOが主催し、それに学生が参加するボランティアバスが一般的な中で、大学として単独で主催するのは数少ないケースである。8月4日からおこなわれた3回目の様子を取材した。

 
ボランティア活動 ボランティア活動

汗だくになりながらも、やりとげた時には笑顔が出た

第3回ボランティア活動の参加者達

 

 ズッシリと海水を含んだ畳は、想像以上の重さだった。二人で足りなければ、四人がかりで運び出す。東北とはいえ8月の日差しはきつく、体感温度は35度を超えているだろうか。少し動いただけでもじっとりと汗が噴き出してくる。震災直後、4日間も海水に浸かったままだった家財道具は、5カ月を過ぎた今もなお、水に晒されたままだ。腐った水やヘドロの刺激的なにおいが、被災地の現実を強烈に伝えてきた。
報道で見た風景と変わらない、津波にのみ込まれた街がそこにあった。廃墟である。そして、実際にその場に立つと、テレビの映像には映ることのない、生々しい爪痕、生活のにおい、その土地に残された感情などが身体に直に入ってくるのだ。「テレビで見た時は涙が出た。でも実際に来てみたら、あまりの光景に涙を流す余裕もなかった。言葉も出なかった」。参加した女子学生はそう語った。

 
ボランティア活動 ボランティア活動

いまだに引っくり返った船がいくつも横たわっている鮎川

学生らが協力して家財を運び出す

 

 ボランティアバス第3弾の学生達が派遣されたのは、宮城県石巻市旧牡鹿町の鮎川。牡鹿半島の突端に位置する漁師町だ。震災後いくらか復興作業が進んだ石巻市中心部と比べ、そこからバスで2時間ほどかかるこの町は、いまだほとんど手つかずで、引っくり返った船がいくつも町に横たわっている。学生達は、ここで半壊・全壊となった家屋から家財道具を運び出し、分別するという作業をおこなった。「学生だからお金はない。でも健康な体はあるんやから、何かしなきゃ」「自分は就職活動をしているけど、被災した学生は今も就活なんてできずに避難生活やボランティアをしてるんやろうなと思ったら、行かなくちゃと思った」「当たり前に暮らしている自分が申し訳なくて楽しく生活できなかった」「危険なのでは、とためらいもあったけど、現地を自分の目で確かめたかった」。皆様々な思いを胸に参加したようだ。

 
ボランティア活動

飲み物などを振る舞ってくれた被災地のお母さん

ズッシリと海水を含んだ畳は、想像以上に重い

 

 「気持ちは熱く頭は冷静に」とボランティアリーダーが声をかける。熱中症に注意してこまめに水分を摂るように。どんなにがんばっても、万一余震が起きたら逃げるだけの体力を残しておくように。緊張感を保ちながら、冷蔵庫、たんす、布団、食器…あらゆるものを運び出す。写真や表彰状などそこに生活していた人の影が色濃く残るものにはどうしても手が止まってしまう。少年野球チームの写真。この子達は今どうしてるのだろうか。たくさん出てくるお椀は大家族が暮らしていたことを伝えた。出てきた荷物の写真を撮っている親戚の方もいたが、どんな気持ちでいるのだろうか。もくもくと作業をこなしながらも、いろいろな思いが胸をよぎった。「がれき撤去、というけれど、これはがれきじゃない。誰かの生活の一部なんだ」「においは相当きつかったけど、自分の家を見知らぬ人に掘り返されて、しかも臭い臭いて言われたら自分やったら悲しいやろうな。だから臭いなんて言わないようにしよう」。作業をしながら少しずつ、被災された方々の気持ちを、自分だったら?と置きかえて考えるようになっていった。

ボランティア活動

 あるお宅では家主夫妻が、写真を見せながら当時の様子を語ってくれた。漁師であるお父さんは、津波が到達する前に船を守ろうと、船を沖合に出して3日間も海に出ていたそうだ。漁の道具だけでも五、六千万の損害という。これだけの被害を受けても、お父さんは今なお海に出る。「俺達にはもう海しかねぇからさ、徐々に良くしてくしかねぇのよ。上には上がいるもん」。みんなを笑わせながら元気に話す姿を見て、逆に学生達の方が励まされてしまった。お母さんはフルーツや飲み物をたくさん持ってきて振る舞ってくれた。物資も十分でないなかで、ある物をどんどん分けてくれようとする。「被災した人がこれだけ前向きにがんばっている。私達はテレビを見て悲観してる場合じゃないね」「この元気を受け継いでがんばらなくちゃ」。みんな、ただただ頭が下がる思いであった。ボランティアをしたはずの学生達が、帰る時には「ありがとうございました」という言葉を自然と発していた。

 1日かけて片付いた家を見たときの達成感は大きかった。しかし聞けば、この牡鹿半島だけでも、まだ130戸の家が全・半壊のまま手つかずだという。自分達のやれることはとてもちっぽけだ。そう身を持って知っただけに、虚しさも感じた。復興までどれだけかかるだろうか、気が遠くなるけれど、だからこそまたこなくちゃいけないし、ここでの経験を周りに伝えたり、風化させないようにしなくては。「いつか完全に復興したこの街にまた遊びにきたい」。多くの学生がそう語ってくれた。

《ボランティアバスの活動内容》
●第1回 6月24日〜27日 参加人数24人
[活動場所]石巻市
●第2回 7月2日〜5日 参加人数26人
[活動場所]石巻市・七ヶ浜町 
●第3回 8月4日〜11日 参加人数33人
[活動場所]石巻市・七ヶ浜町

●曽根 貴志さん 経済学部3年生
 僕は消防士をめざしているので、被災地で防災のあり方を考えてみたいと参加しました。津波をうけたままの町は衝撃的で、ここにいた人の思いや歴史が一瞬にして消えてしまったのだ、と思うと信じられませんでした。実際に来なければ、「大変やな」と他人事で終わってしまっていたと思います。社会福祉事務所の方や他大学の学生などと交流して、いろいろな思いを聞けたことも良い経験になりました。

●東 瑛太さん 経済学部3年生
 誰かが指示を出すわけでもないのに、一人ひとりが相手のこと、チームのことを考えながら自発的に動いていました。始めるまでは到底終わらないように見えた作業も、みんなの力でやれば思ったよりずっと早く片付いて、チームワークの大切さを改めて感じました。同じ志を持った仲間と出会えたこともよかったです。

●米田 千賀さん 社会学部4年生
 日に日に感動ストーリー化されていくテレビニュースに違和感を覚えて、自分の目で現地を確かめたいと思いました。実際、現地では、報道されない苦労や問題がまだまだ山積みで、多くのことを考えさせられました。私は社会福祉士をめざして来年就職するのですが、心理的・経済的に困窮した人の気持ちを相手の立場で理解できるようになりたいです。

●新谷 佳菜さん 文学部1年生
 私は広島出身。原爆を体験した方々がどんどん亡くなられて、当時の話が語り継がれなくなっています。同じことが、今回の震災で起こらないように、自分がこの目でみたことを、子ども達に伝えられる教師になりたいと思って参加しました。ここで考えたこと、気づいたことを忘れずに、これからも被災した方々の気持ちに寄り添いながら支援を続けていきたいです。

●中島 一輝さん 経営学部3年生
 手伝えば手伝うほど、そこにあった暮らしや人々のことを考えて胸が苦しくなりました。がれきの中から出てきた参考書を見て、自分と同じくらいの年頃の子が勉強する姿が浮かびました。自分は努力すれば試す場がある。でも試験さえ受けられなかった人もいる。そう思ったら全てのことに感謝して生きなくては、という気がしました。

 
龍谷大学の東日本大震災への対応
 

 本学では東日本大震災直後に、学長を本部長とする「危機対策本部」が設置された。当初の安否確認においては、全学生の無事が確認されるまで緊迫した日が続いた。被害が広範囲にわたるなか、対策会議を断続的に開催し、大学として打つべき施策を検討。被災した学生や入学予定者への経済的支援、新たな特別援助奨学金制度の創設など、各種の支援をおこなってきた。また募金活動をはじめ、被災者・被災地の支援活動など、数々の取り組みもおこなわれた。
震災直後は、現地の情報が不足していたが、それでも大学として積極的に支援に関わっていきたいとの思いから、本学ボランティア・NPO活動センターの学生スタッフをはじめとする学生の協力のもと、震災から7日後の卒業式を皮切りに、入学式などで募金活動がおこなわれた。教職員、卒業生、保護者において展開された募金とともに4月28日までに総額1678万円が集まり、第1次義捐金として中央共同募金会に送ることとなった。その後もコンサートの会場やチャリティ活動などで募金活動は継続しておこなわれている。

 さらに学生ボランティアなどに対する支援活動も重要視され、4月には危機対策本部のもとに「被災者・被災地支援活動検討プロジェクトチーム」を設置、田中則夫副学長が担当することとなった。復興支援活動は長期にわたり、学生や教職員の間から自発的に生まれてくる支援活動を、大学としてもサポートしていく必要があるとの判断からである。
そして、赤松徹眞学長からの「復興に向けて全学の英知を結集し、困難を突破し、真の意味で持続可能で豊かな社会システムの構築について深く考察し、共生の社会の実現に向けて不断の努力と行動をしていきたい」というメッセージが本学ホームページを通して発信された。(4月28日)

 個人で被災地に駆けつけ、ボランティア活動をおこなう学生や卒業生、教職員の活躍も数多くあった。多くの本学関係者が、自分の志を行動にうつし、被災地へ向かったのである。また、京都にいながらも募金活動などで「被災地のために何かできないか」と模索し、行動する者もいた。各人がそれぞれの事情や立場にあった貢献をしてきた。
今後も被災者・被災地への復興支援活動は継続して必要になる。龍谷大学の今後の復興に向けた取り組みに期待がかかる。

●奨学金ほか、学生支援のための活動について

《3月14日》被災した在学生・入学予定者への経済的支援として、奨学金の受付を開始。
《3月25日》被災された2011年新司法試験受験予定者には出身法科大学院を問わず、図書館および個人用自習机の利用及び、ノートPCの無償貸与と判例検索データベース等ネットワークの使用の提供を決定。
《3月29日》入学を予定している留学生に対して、大学での生活に影響はないこと、入学式、オリエンテーションおよび授業を、通常どおり実施することを告知。
《3月30日》被災された入学予定者の履修登録に関し、手続期日の延期を決定。また、保健管理センターからは、心身におけるいろいろな症状に対して、同センターが応対することを告知。
《5月2日》受給期間を1年間とする特別援助奨学金および帰省費用援助金の申請受付を開始。

 
木造 親鸞聖人坐像  ※初公開 江戸時代 滋賀・本行寺《第1・2期》 木造 阿弥陀三尊立像(善光寺如来像)  徳治2年(1307)茨城・円福寺《第1〜3期》

3月17日〜
全学あげての募金活動

 第1次募金活動のあとも、学友会が創立記念降誕会での募金を呼びかけたほか、本学親和会と共催の全国保護者懇談会各会場においても募金を呼びかけるなど、様々な活動が継続しておこなわれている。

卒業式での募金活動の様子

4月25日・26日
現地での活動を考えている学生に向けたガイダンス

 被災地の状況報告や活動をする際の心構えなどについて、被災地でボランティア活動をおこなった教員が説明。特に被災者に寄り添うボランティア活動の大切さや、個人がボランティア活動をするための基本的な情報について具体的な話があり、合計約220名の学生、教職員が参加した。

木造 親鸞聖人坐像  ※初公開 江戸時代 滋賀・本行寺《第1・2期》 木造 阿弥陀三尊立像(善光寺如来像)  徳治2年(1307)茨城・円福寺《第1〜3期》

5月19日・26日
ボランティア報告会と今後の活動についての話し合い

 深草、瀬田学舎において、被災地でボランティア活動をおこなった教員による状況報告、及び、学生同士の意見交換会を開催。当初の予定時間を超えるほど活発な議論がなされ、終了後も参加者と講師が熱心に話し合う姿が見られるなど、熱い思いが伝わってくる報告会となった。約40名の学生、教職員が参加した。

6月1日〜3日、6日〜9日
学内における福島物産品の販売

 深草、瀬田各キャンパスにて福島県の物産品販売会を開催。関西でもできる復興支援の取り組みとして、ボランティア・NPO活動センターがNPO法人JIPPOと協力して実施したもの。販売では多くの学生ボランティアが活躍し、売り切れる商品が出るなど連日盛況であった。利益はJIPPOを通じて被災地に送られた。

 
●学生や教職員がおこなった多彩なボランティア活動


被災地での法要と心のケア《4月7日〜10日、5月5日〜8日、 6月9日〜12日、7月30日〜8月1日》


遺体安置所での読経や南三陸町での追悼法要の厳修。定期的に同地を訪れて交流を深めている。チーム萌として、医師らと相談活動も。
鍋島(文学部教授)、須賀(保健管理センター長)
川端、岩田、丸田、西池、筑後、末武(実践真宗学研究科)
増田、島岡(保健管理センター)


被災地での法要と心のケア


チャリティ茶会《4月28日》


茶道部が顕真館前にて「チャリティ茶会」を開催。総勢141名の方が募金し、席料は全て日本赤十字社へ寄付された。
茶道部・ボラセンスタッフの学生など


チャリティ茶会


門前町と協力して支援活動《5月3日〜7日、ほか》


西本願寺門前町の仏具事業者の協力を得て仏具(第1弾として念珠)を持参して、被災地・被災者を訪問・寄贈などをおこなった。活動は今後も継続する予定。
門前町サークル(経済学部学生有志)


門前町と協力して支援活動


学生が企画・運営したボランティアバス《6月24日〜27日》


ボランティアバスの派遣を学生主体で企画、本学からは22名が参加。岩手県山田町の現地では瓦礫の撤去作業などをおこなった。
法学部 深尾ゼミを中心として企画


学生が企画・運営したボランティアバス


高田高校卓球部を応援《7月23日、24日》


世界大会優勝メンバーで、卓球部監督の王氏と卓球部の松並さんが、岩手県立高田高校卓球部と交流をおこない、被災を乗り越え29年ぶりにインターハイへ出場する同校を応援した。
王会元(卓球部監督)、卓球部 松並雄太(経済学部)


高田高校卓球部を応援


新長田一番商店街で『東北物産市』《8月3日》


経済学部(伊達ゼミ)の兵庫県出身の学生が、「被災地から被災地へ、神戸・長田と東北をつなぐ」をコンセプトに『東北物産市』を企画。学生が、被災地の物産の仕入れから販売までを担い、売上金は義捐金とした。
金秀聲、今井亮太、寺本雄一、北山明日香(経済学部)


新長田一番商店街で『東北物産市』


海外でも交換留学生が活動


51名の交換留学生達が、海外で何かできることはないかと思案し、現地で様々な支援活動をおこなった。一部を紹介する。
●募金活動やTシャツの販売を通して80万円を寄付/矢部愛美(カナダ・カルガリー大学)●現地TV放送から募金を呼びかけ/豊嶋淑恵(カナダ・キングスユニバーシティカレッジ)/●チャリティバーを開催/宇佐野悟司(デンマーク・オーフス大学)●募金活動、地震のレクチャーを主催/森谷卓也(モスクワ大学)●大学をあげての募金活動/森広美(タイ・アサンプション大学)●募金活動/山田朋代、李弥栄、渋谷美香(韓国・東亜大学)/●日本の国旗を作成しメッセージを書いて被災地の学校へ送る/小室正喜(オーストラリア・RMIT大学)


海外でも交換留学生が活動

紙面に紹介しきれなかった全ての活動に敬意を表します(敬称略)
 

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