龍谷 2010 No.70


龍谷人

  原稿をただ読むだけが仕事じゃない。企画から取材まで、自分で掘り下げられるのは幸せなこと。

テレビ山口 報道制作局報道部 アナウンサー 早川友希さん

1982年大阪府生まれ。2005年龍谷大学国際文化学部卒業後、テレビ山口に入社。
アナウンサーとして、1年目より朝の情報番組「ぐちモニ」を4年間担当。
現在は、夕方のニュース番組「スーパー編集局」のサブキャスターをはじめ、報道を中心に活躍中。 
アナウンスの仕事にとどまらず、企画立案から取材、原稿起こしまでオールマイティーにこなし、
県内を精力的に飛び回る日々である。
「新春!オールスター赤面申告 ハプニング大賞2008」(TBS系列)において小ハプニング大賞を
受賞するなど、ハプニング嬢の一面もある。
  原稿をただ読むだけが仕事じゃない。
企画から取材まで、自分で掘り下げられるのは幸せなこと。
 
内定はプロポーズのようだった
 小学校5、6年生の時だったと思います。父親がたまたま仕事の関係でテレビ取材を受けることがあり、私はやじ馬根性で、ワクワクしながらその様子を見にいったんです。そしたら、父にマイクを向ける女性キャスターがすごくかっこ良くて、すっかり憧れてしまったんです。
 自分もああなりたいという思いがずっとあり、大学生の頃、本格的にアナウンサーをめざそうと決めました。ダブルスクールでアナウンス学校に通って勉強し、3年生の秋から就職活動を始めました。でも、数人の採用枠に5千人とか1万人が応募するテレビ局もあるくらい、狭き門へのチャレンジで、なかなか結果が出ませんでした。全国行脚で30社くらい放送局を回ってもダメで、気がつけば4年生の年末。もうアナウンサーにはなれないんじゃないか、無理だったらどの道に進もうかと悩んでいたところに、山口テレビから内定をいただいたんです。採用担当の方から「山口で一緒に地域を盛り上げてくれますか」と言われて、涙をぼろぼろ流しながら「はい!」と。ああ、プロポーズってこんな感じなんだろうかなんて、疑似体験したような瞬間でした。
早川友希さん
 
宝物になった視聴者からの手紙
 新人時代は山口の地名を覚えるところから始まりました。街頭インタビューに出た時、何時間粘っても断られ続け、数人しか応じてくれなかった時は、出身地の大阪と山口のノリの違いに、まず面喰らいましたね。
 一番苦労したのが、アナウンスの仕事である時間管理。ニュース原稿を読む時も、何気なく話しているように見えるフリートークも、番組のおわりの時間を計算して秒単位で調節しないといけないんですが、しゃべったまま番組がぷっつり終わるというミスはしょっちゅうで、何度デスクから雷を落とされたでしょう。「アスファルトにど根性大根が生えてきました」を「ど根性ガエルが生えてきました」と思いきり間違えたり、視聴者の方からのメッセージで「自分は三交代勤務なので」と読み上げるところを「自分は参勤交代なので」と言ってしまって、不名誉ながら「小ハプニング大賞」をいただいたりしました。 
 今も落ち込むことはあります。特に入社1年目は、必死にがんばっているのに空回りしてばかりで、しんどいなって思うこともありました。
 そんな時、担当していた情報番組で、視聴者の方からある手紙をいただいたんです。手紙には、いつも番組から元気をもらっていて、子どもの名前を私の名前の「友希」にしましたという内容が書かれていました。それを読んだ時に、私は絶対にこの人達を一生裏切れないって思ったんです。毎日カメラに向けて無機質に仕事をこなしていて、自分はどこに向けて発信しているんだろうかと、時々わからなくなるんですけど、少なくともこの親子は、私に何かを感じてくれているんだと。行き詰まっている時でしたから、すごく心に響きました。絶対にがっかりさせられない。だから、この親子のためにもがんばろうって。
 今でもこの手紙は宝物です。めげそうになるたびに読み返して、いつも励まされています。
 
原稿とストップウォッチはオンエア時の必須アイテム ニュース前の下準備
原稿とストップウォッチはオンエア時の必須アイテム ニュース前の下準備
 
情報の仲介役として人の役に立ちたい
 新人時代はいろんなものを吸収し、勉強しながら仕事をするというインプット≠ェ中心でした。アナウンサー7年目の今は、自分が得た情報から何をアウトプット≠キるかに仕事の面白さがあります。そのために、ネタ探しから取材、原稿起こし、ディレクターのようなことまで担当します。自分の企画で取材不足なところがあれば休日返上で動きますし、24時間何があるかわかりませんので、すぐに駆けつけられるように、アンテナも張っておかないといけません。大変な仕事だと言われますけど、掘り下げたいものを自分で取材できるのは何より幸せなことだと感じています。
 山口は、都会に比べれば小さな世界です。だからこそ、いろんなところで人とつながっているっていう手触り感がある。県民の方と距離が近く、口コミから面白い企画に発展することもよくありますね。私自身、心を動かされるものが人だったり、そこからつながっていくものだったりするので、山口は私にとってすごくやりがいを感じられる街。ホーム感が出てきたというか、第二の故郷だと思っています。
 今後、私のなかで本格的に取り組みたいのが、地域医療。きっかけは去年、心臓移植手術を受けた長門市在住の小学生を取材したことです。国内では法律の関係で心臓移植が叶わなかったこと。それを受けて県内で支援の輪が広がったこと。アメリカでの心臓移植手術が実現し、彼が小学校入学までに至ったことなどを取り上げたのですが、取材を進めていくなかで、心臓移植だけでなく、医療には様々な問題が山積みになっていることに気づいたんです。山口でいえば僻地や離島での医師不足や高度な治療をおこなえる医療機関不足とか、いろんな問題を抱えている。それなのに、自分や家族がいざ病気になった時に、これがどう影響するのかについてはあまり知られていないんです。
 私は、そういった医療の現状を、できるだけ自分の言葉で噛み砕いて伝えていきたい。患者さんとか、声をあげたいけれど踏み込めない人を探し出して、声を届けていきたい。アナウンサーって、仲介役のようなもの。誰かの声を人から人へつなげていくことで、注意喚起だったり、投げかけだったりができる。それが誰かのためになればいいなと思います。 
 

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