龍谷 2012 No.73

国際センター長からのメッセージ
ジュリアン・チャプル
Julian Chapple
国際センター長 国際文化学部准教授

世界をめざす皆さんへ 目的を持って意義のある海外体験を!

海外を見る。日本を外から眺める。それは人間を成長させる大きな要素となることでしょう。しかし、行くのなら、しっかりとした目的意識を持つことが重要です。「行けば何とかなるだろう」では、成果は期待できません。 当然ですが、その国の人々とコミュニケーションをとるための語学力も必要です。また、大多数の国は日本ほど治安が良くないし、アクシデントに遭遇するかもしれません。それを肝に銘じ、きちんと準備をして、やり遂げる覚悟を持って行ってください。 一般的な留学のほかにも、インターンシップや国際ボランティアに参加するという選択肢もあります。見回せば、様々なチャンスが見つかることでしょう。 自分をひと回りもふた回りも大きくするために、多くの皆さんが外に 目を向け、意義のある海外体験をしていほしいと願っています。

そこで今回、自分の未来を世界に求めた、四人の卒業生を紹介します。
- 世界で活躍する卒業生
英語を活かし さらなる成長をめざして海外へ
 ほんとうのところ、私は学生時代はもちろんパナソニック入社後も十年以上、海外で仕事をするなんて考えもしませんでした。日本で満足な会社生活を送っていたし、海外に行くのは一部の特別な人だけだと思っていました。
 ではなぜ海外をめざしたのかというと、理由は二つ。一つ目は、このまま現状に甘んじていたら自分の成長が止まると思い始めたちょうどその頃、国内の需要低迷から、会社が伸びるには海外に出るしかない、と考えるようになったからです。そして二つ目は、昔から英語が好きだったことが挙げられます。大学でも英語の授業をたくさん取り、法律関連の書物も原書で読むなどしていました。社会に出てからも英語の勉強は続け ていました。せっかくグローバル企業に勤めているのだから、その経験を活かして自分の力を試してみたいと考えるようになったんです。
 その頃国内で昇格のチャンスがあったのですが、海外を選びました。この選択は、全面的に良かったと思っています。辛いときもいろいろありましたが、自分で決断したことが自分を支えてくれました。
 私が現在所属している社内分社は、天井扇、換気扇、扇風機、熱交換ユニット、遠心送風機など空調処理機器を扱う会社で、香港は海外営業のマーケティング本部です。ここで私は中南米を担当。社名に「エコ」の文字があるように、エコに役立つ製品づくりをとおして各国の環境改善に貢献できることを誇りに思っています。
今おかれた立場で全力を尽くす。 池田俊介さん
人間としての基本は 世界共通
 英語好きが今につながっていることは確かですが、これも本音を言うと、外国文化が特別に好きというわけではありません。海外勤務を希望する人の多くは、出張先で時間があると「観光したり、様々な文化に触れたい」と思うようですが、私は大抵、ホテルで英語の勉強をしている。ちょっと変わったヤツなんです(笑)。

 それでも仕事柄、様々なところに行きます。そして世界を見るほど、日本の良さに気づきます。食べ物はもちろんですが、ホテルなどの設備や機器、電化製品の優秀性は群を抜いています。日本人の礼儀正しさ、几帳面さも再認識しました。海外に出た者達が、これらを各国の人々に伝えていくことが、世界に日本の良さを認めてもらうことにつながると思います。
 また、海外では各国の文化や習慣の違いなどに驚くこともあります。しかし、「約束を守る」「できない約束はしない」、あるいは「自社製品を通じて、お客様のビジネスに貢献する」などは、どこの国にも共通するものです。人間の基本は一緒だということです。
 それでも、どんな職種であっても、ビジネスは厳しいものです。そのなかで元気にやっていられるのですから、私は間違いなく運のいい男だと思っています。そして、幸運を獲得するために私が日頃心掛けていることは、意外に簡単なことです。例えば、元気にあいさつをする、感謝の言葉を口にするなど、誰にでもできるけれど、ともするとおろそかになりがちな相手への気づかい。その積み重ねが、いずれ運を呼び込んでくれるのではないかと考えています。

自分のがんばりで 大学を誇れる人に

 国籍、文化、人種、あるいは性別や考え方の違う人々が入り交じり、国際化が進展する現代社会では、多様性が求められています。そんな時代に、日本では大学生の留学が減り、海外勤務希望者も減少している。この傾向は龍谷大学の学生にも言えることではないでしょうか。もっと視野を広げ、個性を大事にして、自分自身のアイデンティティを確立していってください。一人ひとりが自分らしさで勝負してほしいのです。
 では、自分を持った人間になるためにはどうするか。これには深く考えるということの経験の有無が影響すると思います。私は、何のために自分はあるのか、生きるのか、人間とは…など哲学的なことに興味があったし、仏教についてもかなり学びました。
 親鸞聖人の教えを基礎にした建学の精神など、龍谷大学には多くの特色や良さがあります。それらの教えを思い起こしながら、皆さんも、一度じっくりと自分を見つめてみてください。きっと新しい発見があるはずです。
 また、当たり前のことなのですが、大学時代は学生の本分をきちんと果たすべきです。自分がおかれた立場で全力を尽くすことは、社会人になっても重要なことの一つだからです。たとえ会社で不本意な部署に配属になっても、そこで一所懸命がんばることで光が見えることが多いのです。
 学生時代、私は私なりに勉強したから、ほかの大学の学生に負けているとは思わなかった。また、それを入社後の仕事ぶりで実証しようと努力してきました。皆さんも一所懸命がんばることで、自分の大学を誇れるようになってほしいし、「○○さんが出たところだから、きっと素晴らしい大学なんだろう」と言われる卒業生が増えてほしいと願っています。

 現役学生の皆さんには、いま龍谷大学ですべきこと、できることに全力を尽くし、自信満々で社会に、そして世界に出て行ってほしいものです。私も卒業生をして、微力ながら支援をしたいと思っています。


パナソニック エコ ソリュs港)株式会社 マーケティング部 シニア・マネージャー
池田 俊介(いけだ しゅんすけ)さん

1987年、法学部卒業。同年パナソニックに入社し、北海道で電材営業を担当。その後、照明部門の国内営業、海外営業を経て、2007年、社内のチャレンジ制度を利用してパナソニックエコシステムズ(株)へ異動。2年間の海外メーカーへのデバイス関連営業責任者を経て、2009年より海外マーケティングの本部がある香港に赴任、中南米地域及びアジア新興国の開発営業の責任者として現在に至る。

 
 
留学で学んだ国際交流

 私の海外経験は、大学1年生のときにイギリス、エジプト、トルコに旅行したのが最初ですが、そのときに英語力のなさを痛感し交換留学をめざしました。2年生、3年生と交換留学試験を受け続け、4年生でようやく合格することができました。私は器用なタイプではないので、大学時代は国際法と英語の二つだけは「勉強した」と言えるように勉強しようと思っていました。ですので、ロンドンでも国際法と英語をしっかり勉強するつもりでウエストミンスター大学に留学しました。今、使っている英語力のベースは、交換留学時代と交換留学までの準備過程で培われました。
 ロンドンでは半年間英語のコースで学び、残りの半年間を法学部や政治学部の授業を学びましたが、龍谷大学の英語コースではアメリカ人の先生の下で勉強していたこともあり、当初は独特のイントネーションがあるイギリス英語に慣れるのに苦労しました。同時に、ロンドンにはイギリス人学生だけでなく、世界中から様々な国の留学生が集まっており、彼らと生活習慣の違いから政治・経済の話まで、いろいろな話をすることはとても楽しく、英語が話せなければ、彼らと何も話ができないことを考えると、英語を話せることの素晴らしさを実感しました。また、彼らとのコミュニケーションを通じて、彼らが日本人とは異なる価値観、世界観、人生観を持っていることを知ることができましたが、それは私自身の価値観、世界観、人生観に大きな影響を与えました。

「しつこいもん勝ち」です。 村井 伸行さん
 ウエストミンスター大学の専門科目を受講して思ったのは、専門分野の知識の有無で授業の理解の度合いがまったく違うということです。ですので、英語を通じて何かを理解するためには、専門分野の知識を身につけたり、社会の制度・仕組みや歴史的背景もあわせて知る必要があります。英語はあくまで手段(ツール)であり、目的ではないということだと思います。その意味で、大学時代に英語だけでなく国際法を勉強することを目標としたことは正しかったと思います。
 大学院進学後には、国際法の中でも特に国際刑事法を専攻したため、旧ユーゴスラヴィア国際刑事裁判所(ICTY)、ルワンダ国際刑事裁判所(ICTR)、国際刑事裁判所(ICC)という三つの裁判所でインターンをしました。インターン時代には、国際法や刑事法に関する専門知識とともに、実務的な英語を鍛えられました。そのおかげで、現在の仕事に必要な専門的な英語を身につけられている部分もあります。
インターカレッジは 貴重な他流試合の場

 なぜこの仕事を選んだのかと言えば、私は高校時代、世界史や地理が好きでした。世界史はいわば戦争の歴史であり、近現代史では第一次世界大戦や第二次世界大戦のあと、戦争を防ぎ世界平和を築くために、国際連盟や国際連合ができたことを学びました。そのとき私も「国連で働く国際公務員のような仕事に就きたい」という思いがありました。

 そこで龍谷大学に入学すると、1年間は海外交流委員会に所属し、2年生から関西模擬国連委員会に参加しました。模擬国連委員会は、国連会議のシミュレーションをおこなうインターカレッジのサークルで、関西の様々な大学の学生が所属していました。そこは他流試合みたいなところがあって、まったく発想の違う人の話にいつも刺激されました。東京の代々木公園での全国大会にも参加しました。そこでの経験は、私の視野を大きく広げてくれました。
 また学生時代、尊敬する金東勲先生や田中則夫先生から国際法の魅力を教えていただいたことも、私の人生を決定づける重要なターニングポイントであったと思います。
 私が今の職場に来たのはICCでのインターン時代、たまたま見た外務省のメーリングリストで中途採用募集を知り、運良く採用されたからです。

 外務省に勤めて5年目に入り、そろそろ異動があるかもしれません。国際法が専門ですが、他の課に移るかもしれませんし、どこかの国の在外公館に行く可能性もあります。そこには苦難もあると思います。しかしそれ以上に、新しい分野で働けることが楽しみです。
日本の代表として外交の一端を担う

 外務省国際法局国際法課は、日本政府の国際法戦略の企画・立案や、確立された国際法規の解釈、実施に関する業務を担っています。日本政府の国内法の有権的解釈は内閣法制局がおこなっていますが、国際法の有権的解釈は外務省国際法局がおこなっており、国際法課は特に慣習国際法の解釈と慣習国際法と条約の関係を担当しています。
 国際法課の仕事には大別して二つの種類のものがあります。一つは、いわゆる法律諮問部(legal advisory service)としての仕事で、これは外務省内の他の部局や他省庁が国際法に関連する問題に直面した場合に、国際法上の根拠を示すことにより政策立案・遂行をスムーズにおこなえるよう支援したり、理論上可能な法解釈を精査し日本政府として選択できるオプションの全体像を示しつつ、どのオプションを採ることが望ましいかという議論に貢献したりします。
 もう一つは、国際法課が主管する国際機関の活動に関する方針の策定や活動のフォローをおこなうことです。国際法課は、国際司法裁判所(ICJ)、国際刑事裁判所(ICC)、国際法委員会(ILC)などを主管しており、これらの国際裁判所や国際機関の活動をフォローするとともに、活動全体の方向性や行財政面に関する意思決定に関わっています。もちろん、国際裁判所は「裁判所」ですので、独立性を尊重する必要があり、裁判所の判決に加盟国が口を出すことはありません。我々が担当しているのは、例えば、ICCの締約国会議に日本政府の代表として参加し、ICCの活動が望ましい方向に行くよう議論をリードし、他国を説得することです。
 いずれの仕事についても、日本政府の法解釈に関わっているという点で常に緊張感と責任感を感じながら携わっていますが、紛糾した事案が無事に解決されたときや、国連やICCの締約国会議での意思決定に建設的に貢献することができたときには、努力が報われたという充実感があります。

現状から一歩踏み出せ

 グローバリゼーションが急激に進行しているなか、龍谷大学の学生の皆さんには国内だけでなく、世界の学生と議論するなど、大いに他流試合をしてほしいものです。いろいろな国の人と出会い、たわいもない話をする。あるいは、政治、経済の問題や民族問題について話す。そういう経験を積み上げていくことで、人生にとって大切な知識が豊富になり視野が広がっていくと思います。

 将来、国際的な仕事に就きたいと思っている人には、留学や国際機関でのインターン研修をお勧めしたいと思います。すでに多くの人が指摘していますが、様々な国の人の価値観や習慣、思考様式や行動様式、コミュニケーションの取り方を深く知り、自分の意見や感情を外国語で表現できるようになるためには、留学または外国で働くことがほぼ必須です。留学先や研修先での経験や出会いからしか見えてこないものが多くあり、それを見た上で人生を生きるのと、見ないで人生を生きるのには、大きな違いがあると思います。
 最初の一歩を踏み出すには勇気が必要であり、目標地点に辿り着くためには努力の継続が必要だと思いますが、諦めずに努力していると、それが報われる瞬間がきっと来ると思います。また、たとえ失敗をしたとしても、その失敗から多くのことを学ぶことができるため、無駄になることはなく、逆にそれが自分の未来のための糧になると思います。ですので、自分が思う道があったら、恐れずに初士貫徹をめざしてください。人生は「しつこいもん勝ち」です。


留学したい学生をサポート  

 留学をめざす学生のために、龍谷大学では様々な制度を用意し、金銭面でもサポートしています。(例:交換・私費留学の場合、留学在籍料を除き、留学中の龍谷大学の学費は免除/親和会海外研修奨学金→自己研鑽コース10万円以内など)
 また、学生部が主催する「海外友好セミナー」(2011年度は、海外研修先での大学交流に加え、国際的な視野拡大及びキャリア形成を目的としたプログラムを実施)や、NPO・ボランティア活動センターが主催する「スタディツアー」(P42参照)など、短期で海外を体験するプログラムも多く実施。環境を整えながら活用の機会を広げています。

龍谷大学の留学事情

 現在、中国・韓国・タイ・インド・アメリカ・ドイツ・イギリス・スペイン・スウェーデン・ウクライナ・ロシア・南アフリカといった世界24カ国以上の大学と学生交換協定を締結し、交換留学生を派遣しています。2006年には、カリフォルニア州バークレーにRUBecを開設。BIEプログラムが展開されています(P13・留学サポーターのページ参照)。
 また、本格的な留学生受け入れは、1970年代後半に始まりました。現在、その規模は約500名の水準に達し、アジアを中心とする発展途上国からの留学生が多いことも特徴のひとつです。JICA(国際協力機構)とのコラボレーションにより、毎年複数名のJICA長期・短期の研修員を受け入れ、貧困問題の解決策について学んでいます。

海外への取り組みの歴史

 龍谷大学の海外への取り組みは江戸時代までさかのぼります。幕府が鎖国政策をとるなか、学寮では仏教の国際性豊かな歴史を学び、世界的な視野を身につけた僧侶達が、全国的な布教活動を展開しました。
 また明治4年、本願寺は、島地黙雷、赤松連城らを海外に派遣。インド・フランス・ドイツ・スイス・イタリア・ギリシャ・エジプト・トルコ・イギリスなどを巡歴しました。海外渡航や留学は、この後も続き、キリスト教や哲学・倫理学・宗教制度・インド美術などの研究などもおこなわれました。こうした取り組みが、その後の学林・大学の発展につながりました。


外務省 国際法局 国際法課 外務事務官

外務省前にて

ニューヨークの国連総会議場にて
村井 伸行(むらい のぶゆき)さん

1997年、法学部(法律学科英語コース:現英語コミュニケーションコース)卒業。5年生で交換留学生としてロンドンのウエストミンスター大学に留学。 神戸大学大学院国際協力研究科とノッティンガム大学大学院法学研究科(英国)で国際法を専攻し、神戸大学大学院博士課程を修了(法学博士)。 国連ルワンダ国際刑事裁判所(ICTR/タンザニア・アルーシャ)と国際刑事裁判所(ICC/オランダ・ハーグ)でインターン研修を経て、2008年より現職。

 
 
先輩に憧れ 海外研究留学を決意

 学生時代、授業もそこそこに、バイトと友達と遊ぶことしかしていなかった私に、大きな転機が訪れたのは3年生前期。卒業研究の配属先を大柳研究室に決めたときでした。大柳研究室は当時、過酷な研究生活を送ることで有名でした。なぜ大柳研究室を選んだのかと言えば、どちらかといえばダラダラと過ごしてきた自分も、最後の一年ぐらいは研究を一生懸命やってみようと考えたからです。実際研究室に入ってみたら、噂どおり過酷でした。でも、毎日が新しい経験の連続でとても充実していたと記憶しています。
 海外で研究職に就くことになった発端は、研究室の先輩の影響だと思います。直接指導してくださった先輩は、アメリカで短期共同研究された方で、その先輩に憧れ、研究目的で海外に行ってみたいと思うようになりました。その後、大学院へ進学し、修士・博士課程中にカリフォルニア大学デービス校(UCD)に、延べ15カ月間留学することができました。大学院在学中に、どんどん研究の魅力にはまり、気がついたら研究者の道に入っていました。
 カリフォルニア大学リバーサイド校(UCR)で研究員をすることになった理由はいくつかありますが、留学経験などから、海外での生活・研究への抵抗や言葉の壁がそれほど大きくなかったことも要因の一つです。

留学は大きな糧となり人生の可能性を広げてくれる。 小寺 康博さん
一人ひとりが親善大使
 龍谷大学は、学生が海外に出るための制度がかなり整っていると思います。理工学部理工学研究科では、語学留学以外に私が参加した研究留学があり、海外インターンシップなどの制度も整備されてきています。今年度は、UCRでも龍谷大学からの研究留学生を初めて受け入れました。特に研究留学に関しては、他大学の学生はかなり羨望のまなざしを向けていることだと思います。
 海外に出れば、一人ひとりがいやおうなしに日本人の代表として見られます。会話をしている相手は、我々を通して、日本にふれるわけです。言うなれば、自分自身が、外交官、広報、親善大使になるわけです。私自身も海外に出てから、より日本の歴史・文化について学ぶことが多くなりました。
 仏教は、海外における龍谷大学生としての特色であると思います。海外のほうが宗教の重要性が全面的に強く認識されていると感じています。そのため、会話のなかで宗教がトピックスとしてよくあがります。私も多くの方に、仏教に関して質問されました。母校が370年以上の歴史を有する仏教系の大学であることは、会話のネタとしてかなり重宝しております。

自分の可能性を信じよう

 私にとって、留学中に得た経験は大切な人生の糧であり、未来への可能性を大きく広げてくれました。留学経験がなければ、海外就職という選択は困難であったでしょうし、研究職で生き残っていられるのも、留学経験があったからだと思います。

 海外生活で戸惑うことの一つが、文化の違いだと思います。文化の違いを乗り越えるにはコミュニケーションが特に重要です。アメリカは多民族国家であり、それぞれが異なるバックグラウンドを持っているため、一つの目標に向かって、仕事を進めるには意思疎通を丁寧にはかる必要があります。
 こちらでは、年齢や経験・職歴などで尊敬を得られるのではなく、自分で勝ち取る必要があります。新しく赴任した研究室で感じたのは、「品定めされている」という感覚。「あなたは何ができますか?」「一緒に研究することは何のメリットがありますか?」といったものでした。海外で仕事をするには、そういう環境に負けない強い心と努力が要求されます。
 学生の皆さんは、自分の能力に自信を持って、新しい世界に挑戦してみてください。挫折に負けず、今できることを一つひとつ精一杯こなしていけば、現時点で思いもしていないところで、将来活躍できると思います。

カリフォルニア大学リバーサイド校・プロジェクトサイエンティスト
小寺 康博(こでら やすひろ)さん

2006年、大学院理工学研究科物質化学専攻、博士課程修了(博士(工学))。龍谷大学革新的材料プロセスセンターに博士研究員として4年弱勤務し、2010年7月にカリフォルニア大学リバーサイド校(UCR)の博士研究員として赴任。 現職は同校のプロジェクトサイエンティスト。

 
 
貪欲な学生だった!

 私の大学時代は、一言でいえば「貪欲な学生」でした。歴史が好きで大学では東洋史を専攻。尊敬できる恩師にも巡り会え、かなり熱心に勉強したと思います。韓国語も興味を持って学びました。また、勉強だけじゃもの足りなくてアルバイトもしたし、サークル活動もしました。
 サークルは「龍大スポーツ」を発行している龍魂編集室。根っからの文化系人間だったので体育局に飛び込むのは場違いの感があったのですが、「これも異文化交流だ」と積極的に活動。編集長を務めたり、他のサークルに足を踏み入れたりもしました。  
 そんな私がキャビンアテンダント(CA)になったきっかけは、大学2年のとき、インターンシップでエアライン関連の企業に行く機会があり、魅力を感じたからです。出版社や放送局のインターンシップにも行ったのですが、「やはり私は接客業が一番好き」「向いてる」という結論に達し、就職活動は航空会社をメインに据えておこないました。  
 就職活動のときはキャリア開発部の担当者が、とても親身になって指導してくださいました。自分が求めれば、どこまでもきめ細かく対応してくださる。それが嬉しくて、4年生になると、私もキャリア開発部でキャリア・アシスタントを務めました。相談に来る後輩の話を聞いて、こちらが刺激されることも多々ありました。  
 「どうせやるんだったら、いっぱい経験したい!」、それが大学時代の私でした。

何事もチェレンジしないと始まらない 荒井 英理子さん
その瞬間のために
 現在の仕事の話をすると、国内・海外を問わず全日本空輸(ANA)が就航している路線全てが私の乗務の対象となっています。おとといロサンゼルスから帰ってきて、あさってロンドンにという具合で、毎月90時間弱のフライトをこなしています。  
 国際線には様々な国のお客様が乗ってこられます。それらのお客様に対してANAが大切にしていることは、日本の航空会社として、日本を意識した「OMOTENASHI(おもてなし)の心」を伝えるということです。搭乗御礼のアナウンスにあわせて全員がそろって一礼するとか、所作も丁寧にして日本人の礼儀正しい文化を感じてもらうとか。細かいことですが、外国の航空会社にはないサービスを心掛けています。  
 国際線のクルーのなかには、ヨーロッパ系や中国系、韓国系などのCAもいます。それら外国人のCAにも日本の航空会社としての心が教育されます。私達はみんなANAの仲間として、教えたり教えられたり切磋琢磨しながら、お客様に満足を届けようと努めています。  
 フライトを終えてお客様とお別れするとき、笑顔で「ありがとう」と言ってくださるお客様がいます。私のやりがいや喜びは、まさに、この瞬間にあるのだと思います。

倒れるときは前のめり

 大学の4年間というのは、人生のなかで最も自分の裁量に任されているときではないでしょうか。社会人になったとたんに手放さなければならない自由な時間を、漫然と過ごすか、充実したものにするかは自分次第です。

 だから私は、大学時代は「倒れるときは前のめり」と心に決めていました。やりたいことは倒れるまでやってみて、だめなら、そのとき軌道修正すればいいと思いました。前に前に進むと、おもしろいことに出合います。そこでアクションを起こしたら、必ず次につながるものを得ることができます。いま龍谷大学生である皆さん、何事もチャレンジしないと始まらないのです。
 私はCAとしてはまだまだ未熟なところがたくさんあります。語学力を磨き、スキルアップしていかなければなりません。そう感じたとき、ふと学生時代を顧みて、いまの自分は消極的になっていないか、と自問自答することがあります。
 皆さんへのエールとして送った「倒れるときは前のめり」という言葉は、私に言い聞かせる言葉でもあります。大学時代、無我夢中で過ごしたあの行動力、意気込みを、いつまでも忘れないようにしたいと思います。

全日本空輸株式会社・客室乗務員
荒井 英理子(あらい えりこ)さん

2009年、文学部(史学科東洋史専攻)卒業。
同年、全日本空輸株式会社(ANA)に入社。
客室乗務員として国内線、国際線に乗務。

 
 

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