龍谷 2012 No.73

「平家物語(写本十二冊)」龍谷大学大宮図書館所蔵 一方流覚一本最善本
 

 平家の栄華と没落を描き、「祇園精舎の鐘の声…」で知られる『平家物語』は中世前期に成立して以来、広く愛読され、語り継がれてきた日本文学を代表する作品である。後世への影響も大きく、同じジャンルの軍記物語をはじめ諸作品に影響を与えている。
 その原作者については多くの説があり、最古のものは吉田兼好の『徒然草』のなかに、信濃前司行長なる人物が作者であると記されている。行長は、鎌倉時代初期、関白・九条兼実に仕えていた家司ではないかと推定される。
 『平家物語』のテーマは、冒頭からも読み取ることができる。すなわち「諸行無常」、一切のものは移り変わり、常なるものはない。「盛者必衰」、大きな権力を手にしても、いつかは必ず滅びる。そういう思想の象徴として、平清盛が登場する。おごり高ぶり、悪行の末に「ただ春の夜の夢のごとし」と滅んだ、それが清盛であり、平家である。
 原作はすでにないが、書写された多くの諸本が現存。大きくは盲目の琵琶法師が琵琶をかき鳴らしながら語るときの台本となる「語り本系」と、読み物として語り本系よりも分量の多い「読み本系」の二系統に分かれる。さらに語り本系統の諸本は流派の別から、一方流諸本と八坂流諸本とに区別される。
 龍谷大学大宮図書館の写字台文庫に収められている『平家物語』(龍谷大学本)は、語り本系一方流の覚一本である。覚一本は南北朝期の代表的な琵琶法師・覚一が1371年(応安4年)、当流の証本として書き遺した伝本であり、奥書に覚一という署名が見える。
 龍谷大学本は藍表紙の袋綴本十二冊で料紙は楮紙、大きさは縦28cm、横22.5cm。本文は漢字・平仮名を用いて書写されており、わずかではあるが書写時の脱落等を墨筆(本文と同筆か)で補入している。
 なお、龍谷大学本には、同じ覚一系の高野本(東京大学国語研究室蔵)にある「祇王の巻」と「小宰相の巻」がない。その理由としては、同本が最古の覚一本であり、二つの巻は後から創り出されて付加されたと推測される。
 このことからも、龍谷大学本は覚一系のなかでも最も古い写本として重視されてきた。加えて文学的にも完成された伝本と言われ、日本古典文学大系本『平家物語(上下巻)』(岩波書店)の底本として使用されている。


激情型人間 清盛の魅力
 『平家物語』は軍記物語であるため、多くの人の死を書いている。しかしよく読むと、合戦だけでなく、男女の物語や風流譚もあって、王朝的なものも描かれている。
 なかでも、親子、男女、夫婦の愛など、人情が散りばめて語られている点に注目したい。清盛は息子や孫に偏重ともいえる愛情を注いでいる。他の者は傷つけても、家族は守り通そうとする。そのような激情的な表現は、文学が虚構であるという性質上、実際の清盛像とは異なる部分もあるかもしれない。しかし、同本が愛され、読み継がれ、語り継がれている大きな要因の一つとなっているだろうことは推測するに難くない。
 本年1月からNHK大河ドラマ「平清盛」がスタートした。文学としての『平家物語』は、平清盛が出家して太政大臣になってからの晩年の話。権力を掌握し、横暴を極めるところからなので、清盛の青年時代だけでなく、出生などについての脚色も気になるところである。
 もう一つドラマで興味深いのは、清盛の臨終である。諸本では東大寺を焼くなど数々の罪を犯した罰として、高熱で熱い熱いと叫び、狂ったように苦しんで「あっち死」すると書かれている、この場面もぜひ見てみたい。
 太政大臣になるまでは八方美人、良くいえば気配りができる人間であったという記録がある清盛が、『平家物語』では、人の心も踏みにじるような人物に描かれている。出家者として墨染の衣をまとった下に鎧を着ているような清盛。しかしその一方で、ひどい目にあった孫可愛さに相手に仕返しをするくだりなどは、なんと人間的なことか。そんな清盛に惹かれるし、大いに魅力を感じている。

おおとり  かず ま

大取 一馬

龍谷大学文学部日本語日本文学科教授。
専門分野は国文学の中世和歌、
及び平家物語等の軍記物語。
大取 一馬

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