龍谷 2012 No.73

龍谷人

1952年生まれ。大阪府出身。1974年法学部卒、日本ハム株式会社へ入社。
営業、広告宣伝、営業企画などを経験した後、
2005年に全国の日本ハムの直販子会社5社の代表取締役社長、
2008年に日本ハム西販売株式会社代表取締役社長に就任。
2011年3月より、株式会社北海道日本ハムファイターズ代表取締役社長。
趣味はクラシックと寺社めぐり。京都では学生の頃から東福寺がお気に入り。
 
 日本にたった12しかない、プロ野球・球団会社。その経営とはどんなものだろうか。
 企業としての経営、そしてファンを喜ばせるエンターテイメントとしての役割。私達に夢を与えてくれるプロ野球の裏側を、龍谷大学OBである津田社長に聞いた。
 
どうすれば球団社長になれるのでしょうか?
 私は「まさか自分が!」という感じでした。なりたくてなれるものでもないと思いますよ(笑)
もないと思いますよ(笑)。

 私が日本ハムに入社したのは、昭和49年。日本ハムが球団を買ったのが、昭和48年で、シーズンが始まったのが49年ですから、私の歴史とファイターズの歴史は同じなんです。そもそも、日本ハムに入社したきっかけは、龍谷大学の学生だった頃、所属していた証券研究会というサークル。強烈な勧誘で入部してね、先輩に教えてもらって株の勉強をしたりしていました。私が学生の頃は学生紛争真っ盛りで、教室はロックアウトされてましたけど、毎日部室には行っていました。そこでは歴代部員が日本ハムでアルバイトをする慣わしだったんです。大阪のあちこちのデパートに派遣されて、ハムを売るという。当時いくつかの企業に内定をもらっていたんですが、父親に「球団持ってる会社にしたらどうや」といわれて。父親はなぜか中日ドラゴンズのファンだったんですけどね(笑)。今は父親も亡くなっているので、私がこんな仕事をしていると知ったら驚くでしょうねぇ。当時は私も、まさか球団社長になるとは知らずに、ずっと営業畑の仕事をしていました。
 
企業としてのファイターズはどんな会社ですか?
 ファイターズは2004年に、本拠地を東京から北海道に移転しました。東京時代は企業の広告塔球団だったのが、北海道へ来て地域密着球団へとがらりと変わった。そのエリアになくてはならない球団をめざす、ということで、企業理念、経営理念、活動指針などもきちっと定められました。地域のファンに喜んでもらえるよう、ユニークな試みを次々に実現していくのがファイターズ。ラーメン祭りなど北海道ならではのイベントをしたり、婚活シートをつくって、カップルで見に来る人を募ったりね。ちなみにこれは、結婚までいったら始球式に出られるというもので、人気があったんですよ。実際に一組結婚したしね。ファンを喜ばせるために、ファンの目線で経営にあたる。それがなかったらただの野球部ですから。
 私が社長をつとめていた頃の日本ハム西販売(日本ハムの販売子会社)の売り上げが700億円くらいだったのですが、球団だと100億円くらい。ところがブランド価値は圧倒的にファイターズにある。日本ハムの社員のモチベーションになる会社でもあるしね。そんな会社の社長になるというのは、それだけの重責を担うということでもあります。
 
社長になって良かったと思うときは?

お客様が満員になったときかな。4万2千人。満員になったときの歓声はすごいですよ。それから北海道へ来て8年目の昨年、プロ野球の人気アンケートで3位になったんです。1位巨人、2位阪神は仕方ないものの、ファイターズはドラゴンズ、ソフトバンクの下くらいだったのが、一挙に抜いて3位の人気球団になった。これは嬉しかったですね。でも社長に就任してからは本当に忙しかったです。毎日何が起こるかわからないからね。斎藤佑樹が入ってきたときなんかは大変な騒動でした。警備費はかかるし、もう大変ですよ。怪我されたら大変だからね。ダルビッシュの大リーグ移籍会見もまさか、1万人ものファンが詰めかけるなんて思わなかったですから。フットワーク軽くいろんなことに対処していかないと。
 
ファイターズの強さの秘密は
 ファイターズはGM制度というシステムをとっていて、チームと経営は完全に分かれています。GMはチーム編成や方針の決定など、チーム強化のほとんどの権限を持っているため、長期的なチーム強化の方針を確立できます。他のチームですと、監督が「あの選手が欲しい」と言える人事権を持っていますが、私ども歴代の監督はその権限がないんです。与えられた選手で試合をしなさいという方針です。また「スカウティングと育成で勝つ」というチーム方針がありますが、選手はスカウティングで取ってきて、2軍でしっかり育成してから1軍に出す。ダルビッシュの場合が一番如実じゃないかな。来たときはヒョロヒョロで技巧派じゃないかと思うくらいだったのが、すっかり150キロ出す速球派投手になりました。もちろん本人の努力が一番だけど、そこには球団の育成システムもあるんですよね。  
 また、情報システムに対する投資も相当やっています。これはアマチュアの有望選手らの成績や潜在能力、性格などを定量的に評価して、瞬時に最新かつ多角的な情報を入手できるというもの。これで実力はあるけど認められていない選手なんかも調べあげて、本当に欲しい選手を取りに行くわけです。ドラフトでね。
 
そのドラフトですが、ファイターズの社長はどうも強運の持ち主が多いようです。何か秘密は?(ドラフトの抽選で藤井前社長のときは斎藤佑樹投手を当て、津田社長は菅野智之投手を当てた)
 強運になる秘密? ないよ! あったら今頃宝くじ当たってるでしょ(笑)。菅野君の時は、チームの方針で、欲しい選手だから正々堂々と取りに行ったんです。それだけスカウトの人達が彼を評価したってことですよね。相手がジャイアンツであろうとなんであろうと、チームにとって必要な人間を取りに行く。でも、私がドラフトで菅野君を指名すると知ったのは当日の朝。聞いたときには、「え!」って思いましたけどね(笑)。しかもうちの広報は「抽選になった場合は社長が引きます」って先にリリースしていて、もうドラフト当日の朝刊には『日本ハムは社長が抽選!』と書いてあるわけ。なんだこれ、誰が言ったんだ!
 ってね。逃げ道なくされて、出て行ったみたいな感じですけど。でも菅野君の抽選のときは、俺だったらこっち引くな、というのを始めから決めておいたんです。それで外れたら自分で納得できるじゃないですか。そうしたら(巨人の)清武さんが別の方引いて、私が当たっちゃったんですよ(笑)。あの日はすごい人でね。一般のファンも入ってたから、1千人くらいいたんじゃないかな。あんな雰囲気のなかでやってるなんて全然思ってなかったからびっくりしました。当てたときはすごい歓声でしたよね。よくやった! みたいな。それで今までは一部のコアなファンしか私のことは知らなかったと思うんだけど、ドラフト後は、どわーっと集まってこられるようになっちゃって。ファイターズならやりかねんな、どんなむずかしいことにもチャレンジしていく球団だ、というようにファンの方々も思ってらっしゃいますから、(菅野投手が)入ろうと入るまいととりあえず、良かった良かった、みたいな評価は頂きました。阪神ファンから感謝されたのには参ったけどね(笑)。別に昔からくじ運が良かったわけではないけど、12しかない会社の社長になるってことは、なにかあるのかもしれないですね。
 
来シーズンへの思いを
 当然日本一をめざします。できると思うし、やらなあかんと思ってます。せっかく応援してもらってるんだからね。ダルビッシュがいなくなったら大変でしょう、なんて言われますけども、新庄がいなくなっても、小笠原がジャイアンツに行っても優勝してきました。今季もぜひ楽しみにしていてください。

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