ロボットが出国できない!?ロボカップ世界大会でまさかのトラブル

理工学部電子情報学科 植村研究室チーム「BabyTigers-R」
杉浦 剛史(すぎうら たけし)さん  3年生 龍谷大学付属平安高等学校出身
奥田 邦義(おくだ くによし)さん  博士後期課程3年生 香芝高等学校出身
福井 邦季(ふくい くに き)さん  3年生 常翔啓光学園高等学校出身
上里 祐介(うえさと ゆうすけ)さん  3年生 瀬田工業高等学校出身

人工知能を備えたロボットの世界大会に出場

自分で判断し、行動する。マンガで読んだようなロボットの誕生は、案外近い未来まできているようだ。ロボカップは、ロボット工学と人工知能の融合・発展をめざす競技会であるが、目標としているのは、なんと「2050年までにサッカーの世界チャンピオンチームに勝てる、自律型ロボットのチームを作る」ことだという。実は、現時点でも時速200kmほどの早さでボールを飛ばす機械を作れば、勝つことはわけない。しかしロボカップがめざすのは、人間にあわせて守備や攻撃をし、試合をするロボット、というから楽しみだ。  ロボカップは、1997年から毎年開催しており、さらにワールドカップが開催される年は同じ時期・同じ場所で世界大会を開催しているが、サッカー以外にもいくつかの部門がある。昨年から、新たに追加されたのが、工場生産におけるロボットの自律制御を競い合う「Logistics League」部門であり、このリーグに2年連続、日本代表として世界大会に出場しているのが、理工学部・植村研究室のチーム「BabyTigers-R」だ。

競技内容とそのポイント

「Logistics League」の競技内容は次の通り。共通のロボット「Robotino®」をベースに、工場内で、ロボット達が自律的に判断し、行動を選択するよう、ソフトウエアを開発、ハードウエアを改良し、その技術力を競い合う。使用するロボットは3台。それぞれが材料にみたてたパックを加工機械へと運び、何度かの加工を経て、でき上がった生産物を指定の場所に配達。そのパックの数を競い合う。

今年の大会は植村研究室に入ったばかりの3年生三人が中心となり、ロボットの改良に取り組んだ。福井くんが画像処理を、杉浦くんが通信を、上里くんが移動部分を担当。昨年のロボットをさらにレベルアップさせた。

この競技でポイントとなるのは、3台のロボット達が、いかにぶつからずに〝協力し譲り合うか〟だ。そこで「BabyTigers-R」は、ロボット達が譲り合うアルゴリズムを開発。その一環として、光を用いた可視光通信を導入した。これは光の点滅のパターンで情報を通信するというもので、それまでの無線LAN通信に比べ、混信(思い違い)が減り、より確実な通信(お互いの存在を確認し合い、譲り合うこと)が可能となった。

出国できない⁉まさかのトラブル

6月17日、メンバー達はでき上がったロボットを携え、会場であるメキシコシティへ渡航すべく、意気揚々と空港へ向かった。しかし、伊丹空港の保安検査場で、予想外の事態が起きる。なんとロボットのバッテリーが危険物の可能性があるということで、成分がわかるまで検査しなくてはならないというのだ。まさに青天の霹靂。偶然にも、野田首相がG20でメキシコに行く日とかぶってしまったことで、検査の目が厳しくなっていた。植村先生が必死に説得するも、聞き入れられず、とりあえず3年生だけが先にメキシコシティへ向かい、先生と大学院生は、飛行場で検査の結果を待つことに。かくして、海外渡航経験のない3年生だけが、見知らぬラテンアメリカの都市にポツンと降り立つという、不思議な展開となった。

杉浦「空港に降り立った時はもう、不安でたまらなかったです(笑)。本来なら、はじめの2日間は準備期間として、各チームがロボットの調整をする時間にあてることになっていたのですが、肝心のロボットが手元にない。仕方なくホテルで連絡を待ちました」

なんとか植村先生と大学院生の二人、そしてロボットが現地入りできたのは、大会当日の朝だった。試合はドイツ、メキシコ、ブラジル、エジプトなどの9チーム総当たりの予選の後、上位4チームだけが決勝に進出するが、残念ながら「BabyTigers-R」は予選を通過することはできなかった。

奥田「会場の照明具合にあわせてカメラの調節をしたり、プログラムが動くのかチェックするなど、実際の会場で調整しなくてはならないことがたくさんあるのですが、それが全くできず、ぶっつけ本番。本来の力が出し切れませんでした。後半はスムーズな動きになり、いけるかな、と思ったところで試合が終わってしまったので、2日間の調整期間があれば、結果は変わったかなと思います」

世界を肌で感じて

なんとも悔しい結果となったが、メキシコまで行ったことで得られたこともある。各国チームは共通のロボットを用いながらも、異なる発想で改造しており、勉強になる面も多かった。また、試合終了後は、選手同士で会話したり写真を撮るなど交流。言葉は通じなくても、翻訳アプリや身振り手振りで話しかけてくれた他国の選手達と、楽しい時間を過ごした。初めての海外だった上里くんは、銃を持った警官の姿や、一週間タコスばかりの食生活に若干食傷気味になりながらも、異文化の広さと怖さを感じたという。

植村先生「今回3年生は研究室に入って間もないし、準備期間がたった2カ月での世界大会でした。そもそもが無茶な話。だからあえて、できなくて当然、という前提でやってもらったのです。失敗してもいいから、思うようにやってみてほしいという気持ちがありました。それに対して、みんなよく応えてくれたと思います。もう一つは、世界の人と触れあってほしいという想いです。なじみのない国の人達と肩を並べ、何かをするというのはなかなかない体験。それを学生のうちに感じてほしかった。海外に行けば日本の善し悪しが、見えてきますからね」

想定外の出来事に思わぬ世界大会となったが、視野はずいぶんと広がったはずだ。今回の悔しさをバネに、再び研究に取り組む日々がはじまる。次回は保安検査にひっかからないことを願いつつ。