自分の言葉で世界を捉える力を
自分の言葉で世界を捉える力を

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重厚な文体で人間の精神を捉えた作風と、鋭い社会批評で支持を集める、作家の髙村薫氏。2006年には『新リア王』で親鸞賞(本願寺文化興隆財団による)も受賞された。
母方が真宗寺院の出で、本堂が遊び場だった。「でも母はまったく信心深くなくて」と語る髙村氏、しかし震災を経験して、人間にとっての宗教の意義、仏教哲学の価値を痛感したという。そんな髙村氏が見つめる、現代の日本社会とは、学生達とは。
髙村氏と赤松学長が、大宮学舎本館で語り合った。

複雑さを操れる人材が、社会を牽引する

多文化共生でこそ日本文化の底力を知れる

赤松:今、経済が曲がり角にさしかかって、世界の基軸が移っていく不安定な時代と言われています。そんななか、次の時代を担う若い世代へ伝えていくべきことが見通しにくくなっていますが、髙村先生はこのあたり、いかがお考えでしょうか。

髙村:私は近代の遺産をたっぷり学ぶことができた最後の世代でした。大学に入ったときは、世の中には賢い人がいっぱいいて、自分の一生ではとても吸収しきれないような知識があふれているのを知ってめまいがしました。ですから4年間、人類が積み重ねてきた言葉や知見を、自分の許す限りの能力で吸収しようとしました。学生とはそういうものでした。
今の若い人達は、インターネットの影響で知識や情報との接し方が変わってきました。情報は吸収するものではなく、必要なときに必要なだけ検索して取りに行ってコピペするものになってしまって。手当たり次第に本を読むとか、身体的な経験をするとか、そういうことが少なくなった気がしますね。そうすると蓄積ができない。世界を眺めるときに、自分の言葉、自分の目、自分の身体で、世界とはこういうものだというふうに捉えることができなくなります。とりあえず興味のあること、必要なことなど、断片でしか世界を捉えることができない。本当は、なかなか答えが出ないのが世界というものだと思うんですが、みんなすぐに解決方法を求める。人間が複雑、世界が難解であることに耐えられない。明らかに近代の人間とは違う、新しい人類の世の中になってきましたね。


赤松:複雑さに耐えられないということは、思考・思索・悩みに耐えられないということでしょうね。逆に、複雑な位置にある語彙を、極端に二分化してどちらかに振って表現したり、どちらかに同調していく態度をとるという方向にあるように思えます。複雑な利害関係や社会の仕組みを、どう考えていくべきか、腰を落ち着けて考え抜ける場所がなかなかない。

髙村:社会で生きていくには損得や利害が絡んできますが、そういったもの抜きにひたすら学ぶことのできるのが大学時代です。大学は今、なにかと実社会と結びつこうとする…資格取得を応援したりしますよね。それはむしろもったいない気がします。社会人になってからやればいいことだと思うんです。

赤松:本学も、就職活動や資格取得を推進しているところがあります。4年間と言っても、大学教育のデザインと質が揺らいでいるところがありまして、単位の取得でしたら3年まででおおよそできてしまいます。4年間の学位のプログラムをどう充実していくのかが、提供していく側も、学生自身も、問われていますよね。

髙村:今、いろんな格差が問題になっていますが、大学で何を学んだかという格差も、リーダーになって社会を牽引していく人と、使役される人を分けていくんだろうと思います。うまく実社会に適応するためのあれこれ…資格などを身につけて就職していく人が社会のトップになるかというと、そうではない。グローバルな世界で勝ち抜いていける人間というのはおそらく、大学で質の高い教養をしっかり身につけた人だと思うんです。例えば言語能力が低い人は、目の前にある何かを説明することができない。言語能力が備わっている人は、表現することができる。その差は、人生の立ち位置を分けます。

赤松:そういう点では大学教育の現場でも、おっしゃるような、そもそもの学びの喜びや動機を改めて見直していく必要がありますね。本学は376年前の江戸時代の初め、鎖国令が出された年に始まり、その後江戸から明治になり、政治の仕組みも変わり、戦後を迎え、学校の仕組み自体も大きく変わってきました。時代の流れを目の当たりにしながら、どう向き合っていくかをつねづね意識して変革しているのですが、その大きなうねりのなかでも、浄土真宗の精神を建学の精神とし、人間のあるべき姿を見失わないように、継承してきています。変動する社会のなかで、今後もそれを基盤とし、緊張感をもって見つめていきたいと思います。

農と食物のあり方、食生活のあり方を、見直すべきとき

日本の「農」と「食」は、世界に発信する価値がある

赤松:本学は今年の4月から、滋賀の瀬田キャンパスに農学部を新設します。「農学部」という学部名称でいうと、国内の大学では1980年以降新設がなく、35年ぶりになります。この35年…バブル崩壊し高度成長が終焉して以後の日本を見たときに、地域社会も「農」をめぐってかなり変貌していますので、それらを踏まえつつ、持続可能な社会の実現に貢献しうる学生を育成したいと思っています。

髙村:私も最近、目を向ける方向が完全に、足元の「土」になっています。今、「新潮」という小説誌で連載しているのも、まさに農家の話です。奈良の山間地域の大宇陀という地域が舞台で、棚田でお米を作りながら野菜作りもやっているような。私も全くの素人ですが、農業というものを一から眺めてみると、本当に面白いですね。土のなかの微生物の働き、水の働き、植物の根の働き、そこにいろんな動植物がいて、まさに命と向き合う。観念ではなくて、身体で、人間の生きるということそのものと密接に結びついています。それが私が今一番関心のあることなんです。農学部新設には共感します。


赤松:大宇陀は私の故郷ですね(笑)。農学部には4学科ありますが、どの学生も、作付けから収穫までを体験的に学修する農業実習が必修です。例えば食品栄養学科ですと、データ分析やカロリー計算をすることが多いんですが、彼らも植物を育てていく。土に触れる時間を持ち、どういうプロセスで作物が育てられているのかを理解し、それを土台に学んでいきます。

髙村:最近の日本の食生活は、やりすぎなほど多彩です。でもよく見つめてみると、例えばとても美味しそうに見えるデパ地下のショーケースの中のサラダ、確実に自然のものだけではなく、いろんな添加物が使われている。私は逆に、これからはもう少し食生活をシンプルにしていくべきだと思いますね。つまり、栄養や安全や、地産地消に優先順位をおいて食をまわしていく。そのためには、添加物をなるべく使わないで済むような食のあり方、あるいは輸入食品に頼らなくて済むようなあり方…野菜まで輸入しなくていいんじゃないかなと思うわけですよ。過剰すぎる食物のあり方と人間の食べ方を、もう少し組み立て直すべきと思います。

赤松:四季にあわせて作物の旬がめぐる、それが日本の歴史を創り、食文化を創ってきた。食材は地域ごとの気候にぴったりのものを、自分達で作っていたわけですよね。流通も、可能な一定の範囲でしかなかった。ところが工業化、産業化して、流通にも限界がなくなり、極端なものでは、植物工場みたいなハウスもありますね。でもその植物工場を作るにも、かなりの電力エネルギーを費やさないと立ち行かないそうです。

髙村:消費者がそれを望むから、農家の方もわざわざ重油を焚いてハウス栽培をなさるんだと思うんですが、日本人全体で、そういうことを少し見直すべきと思いますね。そうすると、時間をかけて手づくりするということに、価値が移っていくかもしれません。そして、やっぱりそれを導くのは、教育だと思うんです。畑で抜いたばっかりの人参やきゅうりなど、穫りたてのものを一度でも召し上がったら、いくら若い学生さんでも、目が覚めるでしょう。「あ、こんな味をしてたんだ、こんなに美味しいんだ」と、きっと気づいてくれるんじゃないでしょうか。

広報誌「龍谷」2015 No.79(Ryukoku University Digital Libraryへ)


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国際社会で活躍できるコミュニケーション能力を育む

国際社会で活躍できるコミュニケーション能力を育む

植物科学界への功績で日本植物学会賞大賞受賞

農学部就任予定の岡田清孝教授が2014年、日本の植物科学への貢献を認められて日本植物学会賞の大賞を受賞した。シロイヌナズナをモデル植物として提案、浸透させた功績である。シロイヌナズナとは? モデル植物とは? 岡田教授に話を聞いた。

 「シロイヌナズナそのものは、小さな雑草なんです。日本には何百年か前に大陸から入ってきたと言われています。河川敷などの荒れ地に根付きますが、普通の草が生えてくると、環境に負けてしまって見られなくなります」

ここ30年ほど、世界の遺伝子研究者の7~8割はこの植物、シロイヌナズナを使って実験しているという。

「分子生物学では、モデル植物を使うのが非常に大事なことなのです。なぜかといいますと、研究者がそれぞれ自分の好きな動物や植物を使ってしまったら、『コレを発見した! 』と言っても、ほかの人がそれが正しいかどうかをチェックするのが難しい場合もあるし、そこでわかったことを自分の研究に使おうとしても、使いにくいわけですよね。それぞれで使っている植物が違うと、その先になかなか進めない。そこで、みんな同じものを使いましょうよと言えば、研究成果をすぐほかの人が自分の研究に取り入れたりできるわけで、世界的に学術進歩のスピードが底上げされますよね。だから標準的なものを決めようよと」

それはできるだけ誰でも簡単に育てられる方がいいし、一世代ができるだけ短い方がいい。ふつう、植物だと1年以上かかるものが多いが、シロイヌナズナは1カ月半か2カ月ぐらいで種が取れる。さらに、遺伝子が並ぶゲノムが他の植物と比べて小さいため、花の咲くような植物のなかで一番最初に、全てのDNAの配列が解析された。モデルとして非常に適していた。

「ちょうど遺伝子レベルの研究が植物の研究に導入され始めた時期、1985年前後。その頃、欧米の研究者の間でシロイヌナズナが使われ始めました。日本でも私や恩師など何名かの研究者達が、これは面白いんじゃないかと注目し、1986年に、国際的なシロイヌナズナの研究のネットワークを発足させました。それが最初ですね。日本ではシロイヌナズナを使っている人はほとんどいませんでした。それを増やしていくために、ワークショップやシンポジウムを開催していきました。また、シロイヌナズナの1ミリのつぼみの中から雄しべを取り出し掛け合わすには難しいテクニックが必要です。そのような実験技術を教え合うトレーニングコースを開催したりしました。それで日本でもどんどん、シロイヌナズナを使って、世界共通の土俵で研究をしようという気運になっていきました」

日本の植物科学が世界に遅れをとることなくこれまで発展してきたのは、この動きがあったからこそと言える。「シロイヌナズナ」は高校の生物の教科書にも登場していて、今ではおなじみのモデル植物だ。そして現在はまた時代が次なるステップに入りつつあり、モデルも多様化し始めているのだという。


生物の秘密に挑む

生物の秘密に挑む

生き物は、遺伝子によってほとんどの性質が決まる。Aという遺伝子が変わってBになると、植物の花の色が変わるといった、一対一の対応がある。その仕組みをみようというのが分子生物学。もともと生理学、生化学、遺伝学、発生学、形態学、進化学といった研究分野があったが、この分子生物学的方策の導入によって、垣根がなくなってきている。

「生き物はどんどん進化しています。優れた作物を作るための学の研究によって、この遺伝子がこう変わればこうなります、と証明されていくわけです。それがわかるのが楽しいところですね。謎解きですね」

例えば、シロイヌナズナはふつう花びら4枚だが、それに薬をかけたり放射線をあてたりすると、遺伝子のどれかが変化する。研究者は、どの遺伝子がどう変わり、こんな現象になったのか、それをつなぐ仕組みを調べていく。例えば、一つの遺伝子が変わると、遺伝子の指令の内容が変わり、その遺伝子から作られる酵素が、今まで葉でしか働いていなかったのに、花びらで働くようになったり、酵素の量が10倍になったりする。その結果、植物が大きくなったり、早い時期に花が咲いたりする。このように植物の性質と遺伝子変化の間をつなぐ鎖の一つひとつを調べていくと、なるほどそういうことだったのかということになって、面白い。

「植物のできかたについて、人間が一から知っているわけじゃありませんから、変わったものを作って、その理由を調べていくと、全貌がわかってくるというわけです」

広報誌「龍谷」2015 No.79(Ryukoku University Digital Libraryへ)


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研究発展に貢献するデータを世界へシェアしていく

実物に触れて確かめたい研究者と、文化財保護とのギャップ

「ペリオコレクション」とは、20世紀初頭に敦煌莫高窟において発見された、「敦煌文書」と呼ばれる数万点にのぼる大量の古文書のうち、東洋学者のポール・ペリオがフランスへ将来したものを指す。フランス国立図書館が所蔵しており、貴重なコレクションであるため、これまで科学的な分析には未着手であった。しかし、本学古典籍デジタルアーカイブ研究センターは、2年ほど前からフランスへ研究員を派遣し、この「ペリオコレクション」について、非破壊での分析手法を開発・適用して、大規模な文書分析に取り組んでいた。そして昨年末、それらの分析データを全て、インターネット上で無償で公開した。

「例えば、日本のある研究グループがデータを抱え込んで、そこで解析をして発表をする…、終わればそのデータはどこかに埋もれる、その繰り返しが多かった。そんな研究の世界を変えていこうという思いがあります」と語るのは、同センター長の岡田至弘理工学部教授。

「私はもともと古文書の研究者ではありません。あくまで情報工学の立場ですし、材料科学の方は材料科学の立場で携わっていらしたんですが、まずは共通の土俵を作ろうと。そのデータについて、私達の分野ではわからなくても、別の分野の方の視点が入れば、何か発見があるのかもしれない。それを期待しています。解析されたデータは、自分達にはよくわからない物も、全て洗いざらい出していくことにしました」(岡田センター長)

この研究のベースになっているのは、15年以上続いている国際敦煌プロジェクト(IDP)。約2000年前の敦煌文書は、発見されて約100年が経つ。その間、各分野の研究者が実物を閲覧するうち、破損も進んできた。文化財保護の立場からすると、これ以上出し入れして破損や劣化させるようなことはしたくない。ということでまずは、情報工学の立場から、人間の目で見られる精度の図像写真によって記録に残していくことに取り組んだ。

ところが図像の公開が一定のピークまできても、まだ「実物に触れたい」という要望が後を絶たない。文書の媒体は紙。写真のさらに奥の、風合いなどの情報が求められるのだ。手で触ってみて、柔らかいか、硬いか、どれぐらいの厚みがあるのか、素材についても一定の判断をしたい。それは図像だけではわからない。触れて確認することを補う情報とは何か。紙の繊維を一本抜いての素材研究は既に確立はしていた。けれどもそれでは破壊になるし、いろんな繊維が混じっている紙から、一本抜いて調べたからと言って確実ではない。非破壊で、紙の組織、素材、それらを解析できるだけの準備を整えて、そのデータを公開したのが今回である。

情報工学技術を駆使したデータ品質

体感する異文化コミュニケーション

各国に分散している敦煌文書の中でも、特に年代が記してあるものが揃っている「ペリオコレクション」に優先して取り組んだのは、基準をつくるため。敦煌文書は、最古とわかっている李柏文書の4世紀から、14世紀頃までと年代が幅広い。その中で年号記載があるものを中心に解析すれば、紙質データと年代が結びつき今後の研究の基準ができる。それを「ペリオコレクション」でつくろうという意図があった。

データの準備は一筋縄では行かなかった。もともと紙は白いもの。光学顕微鏡で見たい場合は染色をすればコントラストが出るが、破壊につながるので、今回は完全に無染色で実施。カメラで乱反射を防ぐために使う偏光フィルター、これを使って顕微鏡の光源を制御しながら、もともとないコントラストを、上げているのだという。複雑な装置が必要で、どこでもできるのかと言われれば、それは難しい。

また、ふつう光学顕微鏡では断層面しか見えないが、公開したものは立体で見えている。

「焦点深度をかなり深く取るという画像処理をしています。それは私達の研究分野ですから」(岡田センター長)

実は公開した画像データ1枚につき、顕微鏡の写真を約50枚ほど使っているという。焦点深度を変えた画像を多数重ね、あたかも焦点深度の深いレンズで撮ったように奥行きのある画像に仕上げた。データは実は立体にもでき、横から見たりもできるが、一般公開するにはブラウザやソフトなどの問題もあり検討中。また古文書にはたわみもあるが、たわみの補整もしている。細かい作業の結晶である。日本から1トン近い機材を航空便で送って、研究者を派遣し、1年半かけておこなった。世界的な研究発展に貢献する基準をつくるという一心で動いた。


「このデータ公開、簡単に思われるんですが、実は大きな話だと私は思っているんですよ(笑)多大な時間をかけて、なおかつ、10年後、100年後、もう一回やろうと思ってもできないぐらいの量の計測に取り組みました。どれほどこの学術データに寿命があるのかわかりませんが、少なくともここ何十年かは研究していけるだけの量はあると思っています」(岡田センター長)

大量のデータ解析の結果みえてきたのは、年代順にならべてみた紙の品質の変化と、敦煌中心の文化的背景の推移との関連性。政治、文化体制が安定していないとき、そこの産業の品質も揺らぎ、紙質も揺らいだ。ということは、今後、年号記載のない敦煌文書も、漉き方や地合いなどの紙質をデータ解析することで、10年前後の単位で年代を推定できることにつながる。


広報誌「龍谷」2015 No.79(Ryukoku University Digital Libraryへ)


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