親和会だより

エッセイ「親が子供に出来る事」 龍谷大学親和会会長 岩田 隆昭

龍谷大学親和会会長 岩田 隆昭 私は今まで、子供は毎日学校へ行き、何事も無く定められた期間を無事に過ごし卒業する。親はそれらに係る経費さえ出しておればそれだけで親の務めは果たしたのだと、単純に考えておりました。「這えばたて、たてば歩めの、親心、己に老いが迫るを忘れて」の言葉の如く、親が子供に最善を尽くし何かをするのは当然であり、親としての責任のようにも考えておりました。このテーマをいただくまでは、取り留めてどうこうと思う事もなく、あまり深く考えると言う事はありませんでした。しかし、改めて考えてみますと「何々をしてあげる」のではなく、「何々をさせていただく」と云うこの気持ちが欠けていたように思います。
 「何々をしてあげた」の後に来るのは、見返り・恩返しの期待感が隠れているように思われますが、「何々させていただく」の後には何の計らいも無い、無条件奉仕の親心だと思います。「子を持って知る親の恩」といわれる如く、私も両親よりこの世に縁をいただき、子供の親にならせていただきました。この世に命をいただき育てていただいた親に対する御恩、自分を御指導下さった恩師への御恩、すべて無条件奉仕の親心だと思います。
 私は、幼い頃は大変なわんぱく小僧で、悪い事をしては両親を困らせよく父に叩かれた経験があります。ある日、叱られて泣いていた私に父は「お前は叩かれて泣いているが、叩いた親はお前以上に心を痛め、悲しみの涙を流している事を忘れるな」と、云われた事がありました。そう云った体験を通し私は、「振り上げた、その手で子供をそっと抱いてやれ」と云う方針で子供を育てさせていただきました。それが良かったのか、悪かったのか子供に聞いてみないとわかりませんが、節目ふしめのけじめは大切ですが、常に同じ目の高さで話し合う事ができる親子関係であり続けたいと思っております。私は、現在地元の「民生委員・児童委員」を務めさせていただいておりますが、現在特に問題になっておりますのが家庭の崩壊、児童の虐待であり、年々相談者が増えております。非常に悲しい問題であり、心が痛みます。親子の本来あるべき姿が壊れてしまい、親も子供も、自分の権利ばかりを主張し、義務を果たす事無く、楽な方向に逃げ込んで、個々が身勝手な日々を送っているといった親子が多いように感じております。お互い向かい合って話し合う姿勢が、全く見受けられません。
 私はお寺の住職をさせていただいている関係上、時々、初参式のご法要のご縁をいただく時があります。法要の後、ご両親に「この子をこの世に産んであげたから、貴方はこの子の親になった。そうではなく、このお子さんを育てさせていただく過程において、辛い事、悲しい事、嬉しい事、楽しい事、そう云った苦楽を共にする事により、共に泣き笑いしながら、親にならせていただき、子とならせていただくのです。そして、心身共に真実の親子にならせていただけるのです。」とお話させていただいておりますが、新聞・テレビのニュースを見ますと、幼児の虐待や子供の親殺し、兄弟が殺し合うあげくの果てには、自ら命を絶って行く若者、命の尊厳は、何処にあるのか考えさせられます。もう少しお互い命の尊さ、生かされている喜びを大切にしていただきたいものです。私は三人子供がおりますが、ご縁あって三人とも、現在、龍谷大学にお世話になっております。おかげさまで当大学の建学の精神である、すべてのいのちを大切にする「平等」の精神、真実を求め真実に生きる「自立」の精神、常に我が身をかえりみる「内省」の精神、生かされている事への「感謝」の精神、人類の対話と共存を願う「平和」の精神、この建学の精神の下で学ぶ事が出来ることに対し、感謝いたしております。それと共にこの大学の学生であることに誇りをもっております。今は安心して、子供達を見守っている今日この頃です。
 「人の痛みを我が痛みとし、人の喜びを我が喜びとなす」そんな人の心を大切にする心豊かな人間に育っていただければ最高です。

「龍谷大学本館」絵:前納一希さん(文学部4年生:学友会体育局局長)
「龍谷大学本館」
絵:前納一希さん(文学部4年生:学友会体育局局長)



←前ページへ ↑目次ページへ戻る 次ページへ→