親和会だより

親和会講演会 『レンズを通してみた世界〜世界遺産バーミヤンの撮影現場から〜』 ■写真家 中 淳志氏 06年6月17日 於=深草学舎


写真家 中 淳志氏
■プロフィール
1958年奈良県生まれ。81年龍谷大学法学部卒業。95年『ビルマの少年僧』でJPS展金賞。インドやアジア各地で撮影した作品の個展を次々と開催し、02年に龍谷奨励賞。05年に日本写真学会東陽賞など。『浄瑠璃寺』『バーミヤン』『聖護院』などの写真集がある。
 龍谷大学法学部卒業後、92(平成4)年にフリーカメラマンとなった中さんは、東南アジアやインド、中国、朝鮮半島、日本など、アジアの仏教寺院や遺跡を精力的にカメラに納めた。95年に「ビルマの少年僧」の作品で、第20回日本写真家協会JPS展で金賞を受賞するなど、数々の作品を世に送り出してきた。
 今回の講演テーマであるアフガニスタンの世界遺産バーミヤンは、東西の大仏と石窟寺院や仏教壁画で知られる。7世紀中頃、経典を求めて中国からインドに渡った『大唐西域記』の玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)も、この地を訪れ、その繁栄ぶりを記録に留めている。9世紀に入りこの地はイスラム化され、仏教は滅ぶが、遺跡はイスラム教徒である地元の人々の手によって、大切に保存されてきた。それが01年3月、タリバン政権により大仏や石窟が破壊され、貴重な仏教美術は、悉くこの世から消え去ったとの報道があり、世界の人々を落胆させた。
 以前からバーミヤンを訪れてみたいと思っていた中さんは母校の龍大を訪れ、山田明爾名誉教授にアドバイスを求めた。山田名誉教授は、70(昭45)年から78(昭53)年にかけて京都大学中央アジア学術調査団の一員として、バーミヤンの調査を行った研究者である。
 全ての遺跡や壁画を破壊するには、どこにどのようなものがあるかを、把握していなければならない。それはおそらく不可能だろうと考えた中さんは、02年4月に日本を出発し、単身でバーミヤンへ。そして、地元の人たちの協力を得て、8mのハシゴを5つ用意し、地上20mの石窟へ、決死の覚悟で登りつめた。そこには完全に破壊されたと思われていた美しい仏教壁画が残っていた。帰国した中さんは、山田名誉教授に報告。「残っていた仏教壁画」というニュースが世界を駆け巡った。講演会風景
 中さんはバーミヤン遺跡の破壊状況を調査する一方、地元の人々から、さらに西方に仏教遺跡らしきものがあることを聞き、03年6月に再びアフガニスタンに入った。そして、バーミヤンから西へ120qのケリガンと呼ばれる地に、仏教寺院跡と壁画の一部を発見。続いてその年の11月に、山田名誉教授と共に訪れ、ケリガン遺跡の検証を行った。これにより、バーミヤン以西にも仏教が伝播していたという事実と、シルクロードの新ルートが浮上し、大きな話題となった。これにより昨年10月、アフガニスタン・バーミヤン西方遺跡群の考古学調査「第1次龍谷大学学術調査隊」(隊長=入澤崇教授)が派遣されるに至った。
 バーミヤン西方遺跡群の調査は始まったばかりで、今後の調査活動が内外から大きく期待されている。「このような母校の調査団の一員に加わることができて、大変光栄に思っています」と、中さんは講演を締め括った。

 当日は講演会会場(3号館301教室)前にて中淳志氏の写真展を開催。
世界遺産バーミヤンに関連する写真、約30点が展示され好評を博した。
写真展風景 写真展風景
写真展風景 写真展風景




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