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◆Profile
1954(昭和29)年高知県生まれ。79年龍谷大学文学部仏教学科真宗学専攻卒業。4年間のサラリーマンを経て義兄のビートたけし氏の付き人兼運転手に。28歳で4輪レースでデビューを飾り、プロのレーサーとしてF3・F2・F3000戦参戦。94(平成6)年にアメリカ・インディー500に初参戦。96年のインディー500では日本人最高位の8位。97年には龍谷奨励賞を受賞し、現在もなお現役レーシングドライバー、モータージャーナリストとして精力的に活躍中。僧侶、龍谷大学親和会理事、日本カーオブザイヤー選考委員。
松田秀士オフィシャルサイトHP
http://www.matsuda-hideshi.com/ |
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話は松田さんの自己紹介から始まった。松田さんは高知県生まれで、両親が本願寺派のお寺の出身。4歳まで高知で育って大阪へ。私立の明星高校から74(昭和49)年、龍谷大学文学部に入学。根っから車好きだった松田さんは、アルバイトをしてレーシングカートを購入。卒業後は4年間、サラリーマンを経験する。その間、実姉の夫であるビートたけしさんから声が掛かり、上京。たけしさんの運転手兼付き人となる。
プロのレーサーとなるきっかけとなったのは、ある番組のプロデューサーの勧めで自動車レースに出場したこと。いきなり好成績を収め、その腕が認められた。プロレーサーの道を歩み出した松田さんは、F3の第3戦で優勝。このとき、たけしさんが「たけし軍団」を引き連れて応援し、大いに盛り上がったという。 松田さんの人生で大きな転機となったのが、94(平成6)年、アメリカでのインディー500(インディアナポリス500マイルレース)参戦だったと振り返る。 インディー500はF1のモナコグランプリ、フランスのルマン24時間耐久レースと並んで、世界3大自動車レースである。年1回、40万人の観客を集めて行われるアメリカで最も有名なスポーツイベントで、近年90回を迎えるという。1周4kmのコースを平均時速360km、最高速度390kmで、800kmを走破して順位を争う。
94年から参戦し、95年に予選で7位のスピードを記録した松田さんは本戦で15位という好成績をあげ、96年には日本人過去最高の8位に。99年は10位。優勝という2文字が頭に浮かんだ松田さんは00年、練習中に大クラッシュを起こしてコースを囲む巨大なコンクリート壁に激突。右手と膝を複雑骨折してリタイヤした。しかし、2ヶ月後には国内レースで、車椅子からレーシングカーに乗って走るという“不死鳥”ぶりを見せた。
「僕は28歳という遅いデビューだったこともあり、元気である限りいつまでもプロとして走り続けたいと思っています。“お浄土まで突っ走れ”という題は、お浄土に参らせていただく時まで走り続けたい、そういう思いからです。既に51歳になりましたが、最後の最後まで目的に向かって、一生懸命人生を歩んでいきたいと考えています。それが、浄土真宗と親鸞聖人の教えにもつながっていると思いますし、自分の子どもにそうした親の姿を見せることも大切だと思っています」
東京を中心に活躍する松田さんは、人と出会って“龍谷大学出身です”と誇らしく伝えるという。東京では龍大出身者は比較的数少ないものの、仏教を建学の精神とする大学として、龍谷大学の認知度は高いと指摘する。そして、目標を持って人生を歩むことの大切さに触れて、60分の講演が終了した。 |