親和会だより

親和会講演会 2008年5月17日 於:深草学舎

『明日を信じて』〜元プロ野球選手「鉄人」と呼ばれた野球人生から〜

本年度は元広島東洋カープ選手衣笠祥雄氏を講師にお迎えして、講演会を開催しました。
幼い頃からさまざまな夢を実現させてくれたご両親への感謝の気持ち、野球人生で培った夢の実現方法についてお話いただきました。

講師 衣笠祥雄 氏

講師 衣笠祥雄 氏

1965年平安高校から広島東洋カープに入団。
負傷しながらも翌日の試合に出場した事は、多くのファンを驚かせ、同時に大きな感動を呼び起こした。


■野球との出会いは中学校から

 私はよく人から、「小さい時から野球がうまくて、将来は野球の選手になりたい夢を持っていたのではないですか」と言われますが、小学生の時は水泳、アイススケート、柔道を習っていました。実は中学校では柔道をしようと思っていたのですが、柔道部がありませんでした。そこでグラウンドを見ると、野球部のある選手が打ったボールが果てしなく遠くまで飛んでいったように見えました。バットにボールが当たったらどこまで飛ぶんだろうかと思ったところから、野球に興味を覚えたのです。
  自分の野球人生を大きく変えたのは中学校3年生の時、それまでは高校へ行って野球をするかどうかも考えていませんでしたが、西京極球場の広さ、設備に感激し、この素晴らしい球場で野球をするにはどうしたらいいかと思いました。高校で野球をやりたいと思った瞬間でした。その目標を実現させてくれるところが当時最も強かった平安高校(現:龍谷大学付属平安高校)でした。猛勉強の末、合格した私に先生から「衣笠はいい経験・勉強をした。目的があったからこそ受験勉強を乗り越え、合格通知といういい結果がでる喜びを知った。これからの人生でこういう場面が何度も出てきたときにいい結果が出る方法をいつも考えなさい。」という言葉をいただきました。

■今は夢がかなわなくても、実現のためにできる事をしよう

 高校に入学して待ち受けていたのは200人を超える新入部員との戦いと、過度な練習からきた膝の故障でした。しかしここで「自分の身体は自分で守らなければいけない」という事を学び、この経験を活かして野球に打ち込み、甲子園にも何回か出る事ができましたが、最後の夏はベスト8止まりでした。卒業後の進路には3つの道があったと思います。1つは大学進学。1つは社会人。最後にプロ野球。甲子園でベスト8まで行くと、当時は東京・関西6大学からお誘いがあり、父親は大学進学に好意的でしたが、自分の気持ちはプロ野球でした。その気持ちを幾度も父親に訴えかけましたが「お前をプロ野球の選手にするためにここまで育てた訳ではない。大学へ行きなさい。」と徹底的に怒られました。今、自分も親という立場に立ってみて、なぜあのとき父が幾度も突き放したのかが分かる気がします。甲子園出場で新聞にも取り上げられ、チヤホヤされても野球がしたいのかという真意があるかを試していたんだと思います。
  ここから23年のプロ野球生活で高校時代に学んだ事が、私の人生のなかで随所に現れてきています。今思うようにできなくても、何を準備しておけばいいのか、この「準備」を嫌というほど教えてもらえました。そして何より大事な事はいつも自分の頭のなかに夢を作っておく事。自分のしたい事、できる事を絶えず言い聞かしていく事だと思います。

■自分を信じてやらないと何もできない

 プロ野球選手になって3年目、根本陸夫監督に出会い「人生」とは何かという基本的なスタンスを教えてもらいました。監督が言うには「60歳になった時に自分がどんなところで眠りたいか。いいところで眠りたいのなら、20歳の今、できる事を準備しなさい。」と言われました。これからの人生、順々に準備して自分の人生は作るものなんだという事を教わりました。
  そしてもう1つ「衣笠を作れ=セールスポイントを作れ」という事でした。自分のセールスポイントは何か。「衣笠=長打力、年間20本のホームラン打者」と言われるようになろうと思いました。そしてバットを振ってボールを飛ばす事だけをバッターボックスで出そうと思いました。自分を信じて結果を出そうと思った時にプロ野球に入って一歩踏み出せました。自分を信じてやらないと何もできないという事がわかったのです。
  ここから引退するまでの長い野球人生の中で、多くの方にお世話になって、私を作ってもらったと思っています。衣笠祥雄という人生にこれからもチャレンジし、自分自身を信じて、いつも夢を持っていきたいと思っています。




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