親和会だより

INFORMATION


 龍谷大学には、建学の精神に基づく教育の拠点として、大宮・深草・瀬田の各学舎にそれぞれ本館・顕真館・樹心館が建てられています。
  ここは法要・儀式を行う礼拝堂として、キャンパスの中心となっています。
  これらは全て、大学関係者のみならず篤信の方々からお寄せいただいた浄財によって建てられました。そこには、一人でも多くの人がお念仏に出遇ってほしいという大きな願いがこめられているのです。


2008年11月22日(土)
大宮学舎本館にて、辻 貴臣さん・みのりさんが結婚式を挙げられました。


《礼拝堂の借用について》
龍谷大学の礼拝堂を結婚式場として借用することができます。借用する場合には、礼拝堂が建学の精神を具現するための教育施設であり、礼拝の場であることをよく理解していただくことが必要です。

《借用の条件》
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挙式者のどちらかが本学の卒業生、教職員または教職員の子弟、そのほか学長が認める方に借用することを許可します。
結婚式は仏式によるものとします。
結婚式を司る司婚者については申込者側で依頼してください。その場合は浄土真宗本願寺派の僧侶に限ります。
挙式日は、本学の業務および行事等に差し支えのない日に借用できます。
※原則として2月・6月・7月上旬・8月上旬・9月・12月上旬です。
※年間の挙式数が限られており、お断りさせていただく場合があります。
あらかじめご了承ください。
挙式の際の受付・接待・司会・撮影、そのほか結婚式の進行等に関することは、申込者側で準備してください。

《その他》
@乗用車等の構内乗り入れは5台までとします。
A礼拝堂内での喫煙・飲食は禁じます。
Bクラッカーや紙吹雪など、騒音やゴミの出るものの使用は固く禁じます。
C建物、そのほかの施設および備品等を破損、紛失した場合は実費を弁償していただきます。

《大宮学舎「本館(ほんかん)」》

 本学は1639(寛永16)年、野村屋宗句氏の寄進により、宗門僧侶の学問機関として西本願寺境内に建てられた「学寮」に始まります。しばらくの後に「学林」と公称されるようになって、宗門の教学研鑽の中心として学問や講義が続けられます。
  開国後、幕末・維新の騒乱は学林にも及び、1864(元治1)年に起きた蛤御門の変の兵火によって施設は全焼。講堂に予定した建物は新撰組本陣となり、さらに1871(明治4)年には学林町の敷地が政府に接収されてしまいます。
  1872(明治5)年、西本願寺は島地黙雷・赤松連城らの学僧を海外に派遣し、欧米社会の宗教や学問の情勢を視察させ、その建言によって1875(明治8)年に「普通学」を開講。翌年には大・中・小教校からなる学校制度を採り入れ、学林は「大教校」に改められました。
  これを機に、2年余の工期を費やして1879(明治12)年、大教校が新築されました。当時の金額で4万5千円余に及ぶ建築資金は、西本願寺第21代明如上人自ら先頭に立って全国に呼びかけて集められました。落成当時、京阪地方最大規模の洋風建築と称され、数万もの人々が参観したようです。
  1964(昭和39)年に、大教校は国の重要文化財に指定されました。しかし、老朽化は著しく、1992(平成4)年から全面解体修復工事を行い、5年後、往時の姿を取り戻したのです。
 
 
《深草学舎「顕真館(けんしんかん)」》

 明治初期に始まった学制改革は大正期まで続いて、名称も「真宗学庠」「大学林」「仏教大学」などと変わります。1922(大正11)年には旧制「龍谷大学」と改称され、学僧はもとより、一般に著名な学者や実業家など優れた人材を輩出してきました。
  戦後、最大の転機となったのは1960(昭和35)年の深草学舎の開設です。親鸞聖人700回大遠忌記念事業の一環として、宗門から当時の金額で3億円に及ぶ積極的な支援を受け、伏見区深草の旧陸軍京都兵器支廠(戦後は米軍施設)跡の国有地を、施設も含めて購入。開設の翌年には経済学部が発足し、その後1966(昭和41)年に経営学科が学部として独立して、さらに1968(昭和43)年、法学部が新設されました。
  この間、増え続ける学生を収容するため教室棟の建築が優先され、法要や勤行などは教室でおこなわれていました。この整備が一段落した頃から、礼拝堂を望む機運が高まり、1978(昭和53)年、西本願寺第24代即如上人を名誉総裁、先代勝如上人を総裁に戴き、本願寺派総長を会長として「龍谷大学礼拝堂建立推進会」が発足。国内外に広く寄進を仰ぎ、約2年の工期と9億円余りかけて1984(昭和59)年3月に竣工。「顕真館」と名付けられました。これは、親鸞聖人の信念に立脚し、「人間が真に人間たるにふさわしい世界を切りひらく人格の育成」をという願いをこめて、主著である『顕浄土真実教行証文類』から選ばれました。
 
 
《瀬田学舎「樹心館(じゅしんかん)」》

 大宮・深草両学舎に4学部1短大を擁して文科系総合大学に成長した本学は、宗門や滋賀県・大津市の支援のもと、創立350周年を期して、建学の精神に立脚した科学者・技術者の育成を目指して1989(平成1)年、大津市瀬田に新キャンパスを開設し、理工学部を新設、さらに社会学部を文学部から分離新設しました。
  この瀬田学舎でも教室棟や厚生棟の整備が優先され、法要や勤行は教室で勤めるという不本意な状態が続いていましたが、西本願寺から建物の無償譲渡を受け、1994(平成6)年に礼拝堂として移築竣工。「樹心館」と名付けられました。この名称も『顕浄土真実教行証文類』の第6巻「化身土分類」跋文の「樹心弘誓仏地(心を弘誓の仏地に樹つ)」という言葉から選ばれました。
  この樹心館はもともと大阪府南警察署の庁舎として建てられていたものを、1908(明治41)年に大学構内に図書館として移築されました。移築にかかった費用3万円(当時)は大阪市の信徒竹田由松氏の寄進によるものです。1936(昭和11)年に現大宮図書館が落成した後は、学友会の事務所として使われ、さらに現図書館隣の西本願寺境内に移転して、永く本願寺派の宗務所として使われていました。
  現在は、瀬田学舎における唯一の木造建築であり、建学の精神を醸成するための礼拝堂として使用されています。




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