親和会講演会

●アナウンサーという職業

アナウンサーは、非情に因果な商売だと言われます。人気商売で華やかな部分もありますが、日本のアナウンサーは日本語を操るプロであることが商売の原点になっています。使う用語に正しさを求められたり、正しくてあたり前と言われる商売を私は奇しくも選んでしまったわけです。

入社して最初の研修で、先輩から聞かされた話があります。「1億2千万人のなかでこの人の話はちょっと聞いてみようかなと思わせる、そういうレベルに話を持ち上げるのはいかに大変なことか。そしてどれだけの努力が必要か」と。正直、ショックといいますか、そのなかで自分自身がプロの喋り手として言葉をしっかり峻別するにはどうしたら良いんだろうと改めて考え出すようになりました。

●原点は家族や友達との会話

よくよく考えてみるとその原点は、家族や近所の友達と交わしあってきた言葉のなかにこそ、自分自身の語幹、語彙力の根源が含まれているということに気づいていきました。私自身も滋賀県出身で、方言的にはアナウンサーにはあまり向いているとはいえない地域でした。研修のなかで、私の場合も自分自身の喋りが標準ではないということを思い知らされることになるんです。私はこれでやっていけるのかなと思いながら、連日研修に励み、無事、デビューすることができました。

●デビューとおばあちゃんの手紙

デビューからしばらくして、実家から手紙が届きました。その手紙のなかにおばあちゃんからの直筆の手紙が入っていました。「雄さんへ、初めてのテレビ見せてもらいました。あの泣き虫やった雄二がこんなすごいところで放送に出させてもらっているかと思うともったいのうて、涙で画面がにじんでよう見られませんでした。これからも今日の日の気持ちを忘れず、お父さんお母さんのおかげと思い、皆さんのおかげと思ってがんばるんやで」。毛筆だったんですが、ところどころにじんでいるんですね。おばあちゃんも多分泣きながら書いてくれたのではないかと思うと、その手紙を握りしめて泣きました。今でも、失敗してへこんだりするときに、そのおばあちゃんの手紙を取り出して読み返しています。目には見えないけれど、祖母から父母へ、そして僕へと血の繋がりを受けて、そのご縁のなかでいまこうやって生かせていただいて、自分の大好きな仕事をやれているのだから、こんなところで弱音をはいていちゃいけ ない。そんな思いでその手紙はいまも大事に残してあります。

●アナウンサーへの第一歩

私の出身高校は滋賀県の石山高校という県立高校でした。放送クラブに所属していまして、夏には全国高校放送コンクールがあり朗読部門で2年続けて出場したのですが、「良い声で本を読むことでみんなを感心させたり喜ばせたりできる。僕は走るのも泳ぐのも速くないし勉学も全然駄目だけど、本を読むことについては同級生のなかで一番上手いんだ」と思えた瞬間があったんです。そのささやかな自信、何もできなかった自分に一つ武器ができたと思えたことが、アナウンサーへの第一歩になったのではないかと思います。

皆さんのご家庭ではいかがでしょうか。自分の子どもはこれが武器なんじゃないかと、つかんでおられる部分はあるでしょうか。花が好き、料理が好き、あるいは人が好き、お笑いが好きというふうに、それぞれの得意分野によって自分はいま生きているんだと、輝いてやろうとしている小さなうごめきみたいなものが必ずあると思うんです。そういうものをぜひ、見逃さないように一緒になって見つけてあげてみてはいかがでしょうか。

●龍谷大学に入学して朝日放送へ

 高校放送コンクールでうまくいけたということから、龍谷大学に入って放送局の門をたたきました。大体1年くらいたったところで、自分自身がアナウンサーとして大学のクラブのなかでやれるなと思えていったのですが、高校のときのようにコンクールが毎年あるわけではありませんので、自分自身の手応えがどこまで到達しているのかがわかりません。就職試験でプロの試験を受けて少しでも残ることができれば、それが自分の手応えになると思ってアナウンサー試験を受けたというのが本当のところです。まさかアナウンサーになるとは思っていませんでした。

●面接をおこなう立場から

今、私の立場はそういう新人を選ぶ側になってきていますが、学生たちの気質やその子に何か一本筋が通った武器があるかどうかを私は見ます。非常に優秀な回答をするアナウンサー志望の学生はたくさんいます。しかし、スクールで教わってきたような、とおり一遍の喋りをする子たちというのは、実はあまり残ってこないんです。場合によっては泣きべそをかいたり、とにかくその話が好きだから興奮して話す子とか、そういう子の方が自分自身を持っているという風に私は評価をし、○"をつけるケースが多いですね。これは別にアナウンサー試験だけではなく、どんな職種でも共通する話ではないでしょうか。

●人生の恩人

最後に、人生の恩人、世界の盗塁王、福本豊さんの話をします。福本さんとゴルフに行かせてもらったことがありました。ボールを少し動かして置き直す「6イン チリプレイス」というのがありますが、いつもの調子で「すいません。6インチ動かします」とプレイをしました。そのとき、真顔で福本さんが「あのなぁ、雄ちゃん。ゴルフは、自然にあるがまま打つのがルールやろ。細かいルールも色々あるけど、一番大事なルールはそれやと思うで。だからちょっとライが悪いから6インチ"って。それで、もしええスコアでまわっても、俺は全然嬉しないんや」。その福本さんのルールに対する向き合い方、あるいは世の中のルールに対する身の置き方に、稲妻にうたれたような感銘を受けました。それを世の中で貫こうとすると、損をするケースが多かったりする。でも正直こそ尊い"ということが、むしろ我々にとっていま一度思い返すべきことではないかと思います。

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