親和会講演会 釈 徹宗 氏

1961年生まれ。大阪府出身。
龍谷大学大学院博士課程・大阪府立大学院博士課程修了。学術博士。
NPO法人リライフ代表。
日本宗教学会評議員。
多くの著書があり、近刊に『ブッダ゙の伝道者たち』(角川選書)や『聖地巡礼ビキニング』(東京書籍)などがある。

私は大学の教員をして25年以上になりますが、指導として心がけていることは、大学生の間に「ものを考える順序」を身につけてもらいたいという点です。「何を考えるか」というよりも、「ものを考える順序を身につける」こと、それが大事です。このことは、生きる『フォーム』につながります。ものを考える順序が身についている子は、躓いたときに立ち上がる力が違います。なぜなら一旦元に戻って自分の『フォーム』で考え、自分の『フォーム』の順序を追っていくことができるからです。

「ものを考える順序」を身につけるためには二つポイントがあります。一つは高い専門性を学ぶことで思考順序を身につけること、もう一つは、あまり興味がないようなことを幅広く自分で咀嚼していくことです。この二つを同時に動かしていかないと、この考える順序は身につきません。

魅力的な子になる分岐点は、少なくとも自分で1回考えるということです。政治・経済・法律・ファッション・音楽・文化・宗教…あらゆる分野において、とりあえず一旦自分で考えてみた子と、いつの間にか情報が自分の意見になっている子とでは、魅力が違うことが多くあります。自分で考えない限り、いつの間にか情報が自分の意見になってしまい、操作されやすくなってしまいます。自分で咀嚼している子は、自分なりの『フォーム』を持っていて、社会に出てからも、人生を生きる上でも、自分なりの『フォーム』でやっていけるんじゃないかなと、そんな風に考えています。

これからの成熟社会において、宗教に対する感性、センスが必ず要求されると思います。すでに日本は近代成長期を終えて、本格的な成熟状態の社会になりました。そのなかで宗教というものについて向き合って感じたり考えたりすることは、もはや避けて通ることができません。経済の仕組みとは別に、民族とか文化とか、何とか折り合いをとって、お互いに認めなければ、相手の宗教的な人格権や信仰を傷つけることも起こってしまいます。どうやって自分の立ち位置、自分はどんな文化に立っているのか、どんな宗教性に立っているのかというのを理解して、なおかつ、相手がどんな文化に立っているのか、どんな宗教性に立っているのかを理解する、そういう成熟社会を考えていかなければなりません。

宗教を研究していてつくづく思うのは「宗教がわからないと、人間がわからない」です。宗教について学ぶことはとても大切で、その宗教が形作ってきた人格というような部分を、他の人権と同様に尊重されなければなりません。つまり、宗教的人格権とは、権威とか権力によって傷つくことを守るための権利であって、これを拡大して他の人にまで及ぼそうとすると、具合が悪くなってきます。抵抗権と拡大してしまった権利というのは、線引きは難しく、他の人権問題にも似ています。明確な線引きはできず、センスの問題になります。常に自分の立ってる位置とか他の人の立ってる位置とか、他の人が何を大事に暮らしているのかというようなもので、だんだんと身についていくようなものです。 では、宗教的センスを磨いていくにはどうすればいいのでしょうか。イブン・ハルドゥーンという中世イスラム最大の学者の言葉に、「ある程度、伝統宗教を学ばないと宗教の持つ毒は避けられない」という言葉があります。 ある程度の順序、体系だったものを学ぶことによって、その宗教に対する感性みたいなものを身につけないと、宗教は強い薬みたいに毒にもなる。良い宗教と悪い宗教があると考えるよりは、どの宗教も良いところもあるし悪いところもあると考えた方が適切でしょう。

世界の大部分の国は、小さいときから宗教を教えています。いろんな民族やいろんな宗教がひしめき合っているので、こういう信仰を持ってる人は、こういうことを大事に日常生活を送ってるんですよ、と教え、小さいときから学校で教えないことには差別とかいじめとかが起こってしまいます。ところが、日本は、この問題(宗教教育)になかなか手をつけかねてきました。中央教育審議会は、随分以前から何度も「宗教教育を始めてください」と答申を出しています。理由は、主要宗教に共通しているものを身につけることや、カルト宗教に抵抗するためなどです。宗教に関する知識がないと抵抗力もないし免疫力もありません。また、これからますます日本も異宗教・異文化の人たちが増加しますので、ある程度宗教への理解力がないと一緒に暮らしていけません。また、宗教を教えられる先生も、今は多くいません。先生自身が宗教教育を受けていませんので、どのように宗教を取り扱って語ったらいいのかというのは難しい問題です。

龍谷大学では、1年生の必修の講義で「建学の精神を学ぶ」というカリキュラムになっています。宗教的な基盤を持っている大学の「建学の精神」は、本当に深みがあって素晴らしいものです。この講義では、どのような精神に立脚して教育をおこなっているのかを学びながら、宗教・仏教・真宗を知っていきます。日本の教育環境ではなかなか宗教について考える時間はありませんが、龍谷大学の学生は、少なくとも1年間は宗教について考える時間が提示されています。これは龍谷大学の大きな特性です。また様々な宗教系のサークルや行事があり、学内のいたるところに宗教的要素が散りばめられています。知らず知らずのうちにセンスが発達し、ブラッシュアップされているように思います。皆さんのお子様は、宗教についての知識を学ぶことによって、それを触媒として自分の持つ宗教性を磨いておられることと思います。ぜひとも、機会があったら、一緒に宗教についてお話していただければと思います。

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