龍谷大学

新連載!! 万城目学さん書き下ろしエッセイ

過ぎ去りし京都

 大学を卒業し、京都を去って十一年が経つ。

 社会人になりたての頃、自分も含め、大学時代の友人たちは時間を見つけては休暇を取り、京都に戻っていたように思う。社会に出ると二度と感じることのできない、懐かしく、せつない当時の空気を、もう一度吸いこみたかったからだ。私もレンタサイクルを借りて、鴨川べりを走った。あのときとぴったり同じ気持ちにはなれぬとはわかっていても、自転車のペダルを漕がずにはいれなかった。そのときの京都の街には確かに、自分たちが謳歌した、あのアホで怠惰な日々の気配が、まだ濃厚に残っていたのだ。

 三十一歳、大学を卒業し八年目のことだった。

 取材で東京の出版社の方とともに京都を訪れた際、私は大学時代によく使っていた店に編集者のみなさんを連れて飲みに行った。その店は、むかしと同じくにぎわっていて、大学生の十人くらいのグループがふた組、やんややんやと騒がしく飲んでいた。

 その楽しげな飲みっぷりを見て、私は人知れずショックを覚えた。

 まったく、今の自分とちがう、と思ったのである。

 京都に来るたび、私は大学時代の余韻や思い出を呼び起こし、この街で暮らした若き自分の姿を、今のおのれにシンクロさせていた。つまり、まだまだ自分は若いと思っていたのである。しかし、かつて自分が座っていたあの壁際の席で、今の大学生たちが本当の若さ、無邪気なアホさをさらけ出しているのを目の当たりにして、すっかりおのれが年をとってしまったことを思い知らされたのだ。

 ああ、大学生の話はもう書けない。

 素直にそう思った。

 いつだって大学生の頃の気持ちに戻って、それを書けるつもりでいたけど、自分はもうちがう、と決定的な何かを突きつけられたように感じたのである。

 そのとき以来、私は京都の大学生が登場する話を書いていない。

 作品を書くとき、書き手にとってのタイミングというものが必ずある。「若き自分」を失ったのはとてもさびしいことだけれど、それでも『鴨川ホルモー』と『ホルモー六景』の二冊に、彼らの姿を存分に描くことができたのは、今となってはしあわせなことだったと思っている。


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