2017年度 入学式 式辞

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式辞

学 部:社会学部、社会学研究科

新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。龍谷大学を代表して、皆さんに心からお祝いを申しあげます。今日は皆さんにとって、新たな一歩を踏み出す記念すべき日です。また、本日ご列席のご家族の皆さまにも心よりお慶びを申しあげます。

龍谷大学は、「真実を求め、真実に生き、真実を顕かにする」ことのできる人間の育成に努める大学です。龍谷大学での学び、それは人生に深みと広がりをもたらします。いかにこれまで自分のもっているものさしだけで物事を判断していたか、いかにこれまで狭い世界に閉じこもって世の中を見ていたか。こうしたことに気づかせてくれるのが龍谷大学です。

龍谷大学の歴史は古く、その始まりは1639(寛永16)年にまで遡ります。西本願寺境内に設けられた教育施設「学寮」がその出発点です。龍谷大学は378年の歴史を刻み、日本で一番長く教育・研究活動を行なっている大学です。長い伝統は深い人間洞察の気風を育みました。これは、激動の鎌倉時代を生きた親鸞聖人の生き方に由来します。龍谷大学は創立以来、浄土真宗の精神を建学の精神と掲げ、現在に至っています。

若い人にとっては、伝統というのは古めかしいものと映るかもしれません。しかし、社会の現実に常に向き合うことをしなかったならば、伝統は続くはずもありません。多くの矛盾や課題を孕んだ社会的現実と対峙する中で伝統は刷新されていくのです。龍谷大学のもつ「先進性」や「進取」を尊ぶ気風は紛れもなく伝統が生み出したものです。明治期の教育大改革、シルクロード調査で名高い大谷探検隊、戦後の研究高度化推進事業、仏教系大学初の理工学部創設、仏教系大学初の農学部創設など、新たな知の創造は龍谷大学の大きな特徴です。

しかし、それ以上に龍谷大学を特色づけるのは、他者と共に生きていく姿勢を形成しようとする空気です。今、世界的に排他的感情が渦巻きつつあります。龍谷大学では、すべてのいのちを大切にする利他的な生き方を培います。「利他」は「排他」とは真逆の精神作用です。利他の精神は仏教が長きに渡って育み、伝えてきました。龍谷大学で学ぶ学生一人ひとりは、折につけ、助け合うこと、支援し合うことの大切さに目覚めるはずです。自分は肝心なことは何も知らなかったと気づくとき、真の学びがスタートします。龍谷大学は、うそ・偽りの人生ではなく、本物の人生を目指す学生を育てる大学です。

大学での学びは、高校までの勉強とは異なります。最初のうちはとまどうこともあるでしょう。大学院へ進学された方も、高度な知性が要求されることに対し怖気づく人もいるでしょう。そのとき、どうか自分に問うてみてください。「自分は何のためにここにいるのか」と。最初に抱いたはずの大いなる志をどうか忘れないでください。

仏教は「現在」を重視します。私たちはともすると、過ぎ去ったことにいつまでも執着し、まだ来ぬ未来に不安を覚えます。自分の思い込みが不安をもたらしていることには中々気づきません。今、この瞬間を大切にしましょう。どうか「現在」に目覚めてください。「現在」の積み重ねが未来を形成するのです。「現在」の努力がみなさんの未来を切り拓くのです。「現在」の自己練磨がみなさんの可能性を開花させるのです。日本の大学生の特徴としてしばしば指摘されることがあります。講義中の居眠り、講義中のおしゃべり。これなどは、「現在」を喪失している姿以外の何物でもありません。いま何をなすべきか、いま何の時間なのかを問う習慣を早めに身につけてください。

皆さん方はこれから大学で新たな知識、多様な価値観、考えもしなかった発想に出会うことになります。毎日が未知との遭遇です。西本願寺の前に龍谷ミュージアムがあります。わが国初の仏教総合博物館です。皆さん方にとっては、未知なる世界です。未知なる世界に心を開いていく。これが国際感覚を養うことに通じていくのです。さて、社会学部・社会学研究科に入学された方々にはとりわけ現代社会の抱える問題に向き合っていただきたいと思います。私個人に関わるひとつのエピソードを紹介します。

私は長年、アジアの仏教遺跡の調査に取り組んできました。アフガニスタンのバーミヤーンに出向いた2004年5月、こんな場面に遭遇しました。広場で少年がひとりボール遊びをしているのですが、遠くから見ていると異様な光景でした。少年はボールを蹴るたびにひっくりかえるのです。近づいてみて、合点がいきました。少年は片脚でした。地雷で左足を失ったとハザラ人の知人が教えてくれました。バーミヤーンに住んでいる民族はハザラ人といって、私たち同様モンゴロイドなので顔は日本人によく似ています。ボールを蹴っていたハザラ人の少年の年齢は十五歳。聞けば、毎日サッカーの練習をしているとのことです。前方に石を置いて、それに向けてボールを蹴っていました。ボールを蹴っては転び、転んではまた立ち上がる。腕はアザだらけ。Tシャツは土で汚れ、擦り切れていました。サッカー選手になるのが夢だと知人がそっと教えてくれました。片方の足を失った少年の悲しみ、苦しみは計り知れません。夕陽を浴びながら、黙々とボールを蹴る少年の意識には何が流れているのだろう、とそのとき思ったものです。地雷を埋めた民族に対する怨念か?貧しさゆえに義足もつけられない絶望か?少年の眼に宿る光がそれらを打ち消してくれました。彼は明日に向かってボールをキックしていたのです。聞くところによると、少年は父親の跡を継いでジャガイモ畑を経営し、稼いだお金で義足を買う計画を立てているとのことでした。少年と仲のいい知人は最後にこう言いました。「彼は夢をあきらめていない」。

貧しい地域で、障害をもってしまった身体で、懸命に生きている少年の姿がしばらく脳裏から離れませんでした。こうした少年の生きている社会を私は日本で想像できませんでした。一方に、豊かな国で、自分自身を見失ったかのような生き方をする若者がいます。この落差はいったい何でしょうか。豊かさとはいったい何でしょう。現代社会には多くの歪みや矛盾が数多くあります。早急に答えが出るものではありません。皆さんと共に考えたいのです。そしてよりよき社会を構築するためには何が大切かを皆さんに考えてもらいたいのです。

ところで、今日ここに入学の日を迎えられた皆さんはどのような夢をもっているでしょうか。常にわが身をかえりみる習慣を身につけて、どうか、夢を実現させてください。皆さんの中に眠っている可能性を開花させるべく、努力を惜しまないでください。さきほど言った講義中に眠ったり、講義中に友人と私語を交わしたりすることは自分の可能性に蓋をする行為です。人生においてターニングポイントとなる、かけがえのない学生生活です。ぜひとも充実したものにしてください。

皆さんが龍谷大学で実り豊かな学生生活、研究生活を送られることを、そして皆さんの前途に輝かしい未来があらんことを願って、私の式辞といたします。

2017(平成29)年4月2日

龍谷大学・龍谷大学短期大学部
学長  入澤 崇

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