2015年度 卒業式 式辞

2015年度 卒業式 式辞

卒業式式辞

龍谷大学で学問を修め、本日ここに、晴れて卒業を迎えられた皆さん、大学院での研究を無事修了され学位を取得された皆さん、そして留学生別科での学修を無事に終えられた皆さん、おめでとうございます。龍谷大学を代表して心からお祝い申しあげます。

列席をいただいたご家族の皆さまにも心よりお慶びを申しあげるとともに、これまで学生・院生の皆さんの学びを、研究を温かくも冷静に見守り続け、成長を支えてくださいましたことに対して、深く敬意を表します。

今日、こうして龍谷大学を卒業、修了し、次のステージへ飛躍されようとしている皆さんは、人生の新たな季節を迎えようとしていると言えます。それは誰もが通る道、誰にでも必ず訪れる人生の区切り目ではあります。皆さんには既に不安を乗り越えて自らの道を切り拓いていけるだけの力が備わっているはずです。まだ十分に実感を持てないかも知れませんが、皆さんの中には“可能性の種”がしっかりと蒔かれているからです。

本学は、1639年に本願寺境内に設けられた教育施設・学寮を淵源として、今年で377年目を迎えます。この間、幾たびもの歴史社会の激変を経験しながら、「浄土真宗の精神」を建学の精神として、「真実を求め、真実に生き、真実を顕かにする」ことのできる人間の育成に努めるとともに、学術研究に培われた幅広い教養や専門性に基づいた教育を実践し、さらに進取の精神で新たなフィールドに挑戦して、すぐれた研究成果を社会に還元し、誇るべき歴史と伝統を紡いできました。そのような本学で、自主的主体的な学びを通じて、確かな知性を育み、未来を切り拓く多様な“可能性の種”を宿すに至った皆さんには、必ずや稔り豊かな季節が到来するものと確信しています。ただし、可能性はあくまで可能性にすぎず、それ以上でもそれ以外でもありません。種からどのような芽を吹かせ、葉を茂らせ、枝を伸ばし、花を咲かせ、そして実をつけるかは、今後の皆さんの育て方次第なのです。未来に向けて開かれた可能性を、いかにアクチュアルなものへと創造し、社会に、世界に貢献していくかが、これから切実に問われるのだと思います。

しかし、視野を世界に拡げると、今、世界は危機の時代、とても困難な時代を迎えています。地球環境の悪化、温暖化や気候変動、地域紛争・戦争の激化、新型感染症の広がり、貧困・格差の拡大、金融工学による投資ファンド主導の経済など、難題が山積し、複雑化しています。それらは、グローバル化、情報化の進展によって国内にも類似の課題が山積しています。利便性のあるさまざまなITの普及は、「脳を使わなくてもいい社会をわれわれはつくってしまった」とも言われます。それは、人間としての言語的思考を停止させ、動物的な反応、快・不快の単純化された二項対立の二者択一を、気分感情で行うような状態に人間を追い込んでいると、小森陽一氏が著書『心脳コントロール社会』で指摘しています。
まさに、この複雑化した時代は、より考えぬいて、新たな視座で課題解決の方途を見出す必要があります。相変わらずの高度成長期の発想や価値観の枠組みや、その延長上での施策では、希望ある未来を拓くことが困難であります。

さて、2011年3月11日の東日本大震災から5年目を迎えました。2万人を超える方々が犠牲となられ、いまなお避難生活を余儀なくされている皆さんは、約17万人4千人おられます。私は、先月22日から24日にかけて、龍谷大学ボランティア・NPO活動センターが主催した福島スタディツアーに参加する学生たちと福島の被災地に出かけました。復興への工事は着実に進んでいますが、被災された皆さんとの交流は、実に多くのことを学び、気づかしめられる機会となりました。南相馬市から南に下る国道6号線の避難指示区域では、5年前の被災当時のままの家屋がならび、放射性物質を含む除染廃棄物を入れたフレコンパックが、あちこちで高く積み上げられた特異な景色に目を奪われ、さらに放射性物質に汚染された広大な山野、田畑、家屋は、人の居住を遠ざけ、はばんでいます。地震が多発する日本列島に同時代を生きる私たちは、いのちを脅かす原発事故の恐ろしさを身をもって体験したことを改めて再確認し、核エネルギーへの依存、科学技術の二面性、過剰な電力消費生活のあり方を含め、近代的な文明観のリスクを根源的に問い直し、新たな視座の確立の契機とし、未来を構想しなければなりません。

本学は、深草キャンパス2号館屋上や和歌山県印南町、そして三重県鈴鹿市に社会貢献型「龍谷ソーラーパーク」を設置しています。その発電量は、深草キャンパスの使用電力の67%の電力量に匹敵します。私たちは、人類の恒久的な生存を脅かす核エネルギーへの依存から自然再生エネルギーへの転換の方向性に、希望ある未来への展望を持ちたい、と考えています。

龍谷大学は、2010年から2019年に至る第5次長期計画のもと、諸施策を果敢に実行して、閉塞感・停滞感からの脱却に向かって変わりつつあります。昨年4月から国際文化学部が国際学部に改称して、国際文化学科とグローバルスタディーズ学科の新たな教学展開が深草キャンパスで始まりました。瀬田キャンパスでは農学部がスタートしました。深草キャンパス、瀬田キャンパスにグローバル・スチューデント・ナレッジの3つのコモンズからなる「龍谷大学ラーニングコモンズ」を開設して、自主的主体的に学ぶ学生を育成するため、積極的に支援しています。私は、本学全体の質向上、教育の質向上に向けた施策の推進により、皆さんに続く“可能性の種”を持った、“伸びしろ”のある後輩たちを支援したいと思っています。そして、本気で学修して、自らを成長させようとする、意欲をもった学生が集い、研究心の旺盛な大学院生が切磋琢磨する「知性と活気に溢れる」大学を創ることによって、地域、社会、そして世界の平和に貢献したいと考えています。魅力ある大学創造こそが、卒業生・修了生の皆さんの本学への誇りを培い、帰属感につながるものだと考えています。

卒業・修了後の皆さんの心に留めておいてほしいことがあります。それは、「仏教の思想」という必修科目を受講して、釈尊や親鸞聖人の教えや生涯の一端を学んだことです。私たちの人生には、必ずといっていい悩み・苦悩、私の思いのままにならない<苦>が伴います。その際、<私とは何か>、<私はどのように生きるべきなのか>などとの問いを持ちながらも、さらに踏み込み、考えぬいて、私の思惟、思いをこえて、はたらくいのち、いわば「恵まれたいのち」に目覚めて、私のなかに「いのち」を囲い込まないようにすることが大切です。それが、迷いから悟りへの転換をもたらす「智慧」です。

現実のいかなる条件も変化するものであり、その諸条件に埋没することなく、また、傲慢にならず、謙虚さをたもち、自他の関係を生かし、生かし合う、そうした相互の働きかけを通じて、私たちがそれぞれの輝きを放ち、希望ある社会、未来を拓くことができるのではないでしょうか。

皆さんは卒業・修了しても、龍谷大学の一員です。私たちは、皆さんと共に、品格の漂う、誇るべき学風を守りつつ、世界に躍動する龍谷大学を創りあげていきたいと考えています。今後は、卒業生、校友として、篤いご支援をお寄せくださいますようお願い申しあげるとともに、皆さんの今後のご活躍を心より念じ申しあげます。

本日は、まことにおめでとうございます。

【経済学部、経営学部、法学部、政策学部の
みなさまへの式辞】

IT、情報メディアの発展は、政治においても、商品のブランドづくりや商品広告においても、国民を情報操作の対象とする傾向があります。ことに戦後70年を迎えた昨年は、一昨年7月1日の集団的自衛権の行使に係る閣議決定による解釈改憲以降、いわゆる安保法制をめぐる動向は、まさに立憲主義の危機、日本国憲法の根幹を変更するものとして、多くの関心を呼び起こしました。また、2011年3月11日の東日本大震災は、2万人をこえる犠牲者を出し、今なお、避難生活を余儀なくされている皆さんは、約17万4千人に及ぶことが伝えられています。私は先月、本学のボランティア・NPO活動センター主催による福島スタディツアーに学生たちと出かけましたが、ことに東京電力福島原発事故で広大な山野、田畑、家屋が放射性物質により汚染され、除染が進んでいるとはいえ、帰還困難な地域の現状は、被災当時のままとなっています。放射性物質による汚染の恐ろしさを体験したにも拘わらず、各地で原発稼働への動きが出ています。既に主権者としての皆さんは、希望ある未来を創る当事者として、歴史社会の現実と真摯に向きあいながら、課題解決への方途を考え、リーダーシップを発揮していただきたいと願っています。

【文学部、国際文化学部、短期大学部、留学生別科の
みなさまへの式辞】

かつて鈴木大拙が岩波文庫『東洋的な見方』のなかで、分割する知性、主と客をわける、われと人、自分と世界、心と物、天と地、陰と陽など、全て分けることが知性で、この二元性からの知識に支えられた西洋思想とは異なった「東洋的な見方」を提示し、柳宗悦は、自己中心主義や自己絶対視を退けて、「複合の美」のなかに文化の多様性や非暴力による世界平和を構想しています。このような仏教の叡智に立った鈴木大拙さんや柳宗悦さんの豊かな知見からの学びが大切です。

【理工学部、大学院理工学研究科のみなさまへの式辞】

大阪大学大学院教授の石黒浩さんは、人口知能を繰り込んだ人間らしいロボット、人間型ロボット開発の第一人者の一人です。石黒氏は、ひととひととがつながる、新しいロボット、「生きているロボット」をつくりたいと述べています。そこには、「人間とは何か」を本質的に考え続けることを通した、人間もどきの「アンドロイド」、「人間を工学的に実現」する技術の進展に私は驚かざるをえませんが、技術をこえた人間をかまい見ることを通した、逆照射による私のあり方に気づかしめられます。人工知能ロボットの進展は、まさに哲学、あるいは人間をありようを照射する倫理的、さらには宗教的本質にも架橋する知性を、私たちに複雑に考え抜くことを求められています。

【社会学部、大学院社会学研究科のみなさまへの式辞】

千葉大学教授の広井良典氏は、「定常型社会」を提起しています。「経済成長」ということを絶対的な目標としなくても十分な豊かさが実現されていく社会、「ゼロ成長」社会を基本的な出発点とすることによってこそ、多くのドグマや混乱から解放され、多くの意味のない政策から自由になることができる。より重要なこととして、新しいこれからの社会像や価値がそこから開けてくると広井氏は指摘して、「持続可能な福祉国家/福祉社会」を構想しています。広井氏は、まさに新たな視座での時代社会の課題を考えぬき、希望ある未来の社会像を提起しています。皆さんの社会学部での学びによる知性の集積は、このような広井氏の提起に応えていけるものだと確信しています。

【大学院文学研究科、法学研究科、経済学研究科、経営学研究科、国際文化学研究科、実践真宗学研究科、政策学研究科、法務研究科のみなさまへの式辞】

皆さんには、学位を取得されるまで、学ぶこと、研究することの厳しさ、苦しさに幾度も直面し、挫けそうになったことも、一度ならずあったことだろうと思います。それは、真剣に学びの道を進み、研究を志した誰しもが経験することですが、皆さんの徹底した学び、研究への卓越した弛みない努力が、学位記を授与されるに至ったことに、心から敬意を表するものであります。

グローバル社会ではヒト・モノ・カネ・情報・文化が国境を越えて移動し、相互依存関係が拡大するとともに、知識・技術・資格・規範のスタンダード化、国際標準化が進んでいます。その一方でローカルな固有の価値や文化が浸食することへの危機感を背景にローカル化への関心を高め、ローカルの多様な価値や文化の独自性を尊重して、共存・共生を目指す動きも本格化しています。その間には、さまざまな困難な課題が生まれ、複雑化する社会・世界は混沌化し、人びとの不安感も広がりを見せています。こうした現実をどのような知的創造による枠組みを設定して理解・認識するかについても、かつてのような二分法による単純な対概念・語彙で理解・説明することは、すでに認知的限界を示しています。そうであるがゆえに、複雑で多様な世界を、理解・認識する言語的思考と表現の論理性、そして複雑なまま生きることを可能にする新しい秩序の社会を、「なめらかな社会」と構想したのは、複雑系の科学、自然哲学をご専門とする鈴木健さんです。

複雑系として現代社会の諸課題に対応するには、豊かな知識・高い知性・幅広い教養・言語力などを修得し、高度な専門性をもった、総合的な知性を有した人の育成が切実に求められています。つまり、異質なものとの対話・交流を進め、相互の理解・信頼・協働を促進して、真に希望ある未来に向けて、社会を動かすことのできる人の育成が大学院の教育・研究に期待されています。その際、人の育成において大切にしなければならないのは、豊かな“人間力”あるいは“ともに生きる力”です。

しかし、今日、「知性」の後退とも言うべき、反知性主義的な状況が進みつつあるのではないかと危惧されています。情報化社会、さまざまなITを活用する時代は、「脳を使わなくてもいい社会をわれわれはつくってしまった」とも言われます。急速なIT革命の進展は、快・不快の動物的な反応、つまり単純化された二項対立の二者択一を気分感情で、性急に行うような状態に人間を追い込み、人間としての言語的思考を停止させ、知性、理性の後退をもたらし、いわば反知性主義の誘因を、さらに立憲主義の後退による全体主義のよみがえりになっているのではないかとの指摘もあります。

高度な知性の獲得、知識を集積することの大切さは、歴史の中で敬意を払われ、社会のあらゆる領域での活動の基盤としての重要さを改めて述べるまでもありません。知識基盤社会を担う高度な専門性・知性を修得した人の育成、さらに学術研究を先導する若手研究者の育成は、大学院の質向上なくして実現するものではなく、さらに大学院の重要性に関しては、現代の知的状況を的確に認識し、さらに希望ある未来を拓くために共有化が必要です。人工知能による知の蓄積、ディープラーニングの進展は、脅威的でもあります。

本日、博士・修士の学位記を授与された皆さんは、現代社会から求められている知性・研究の高度化に応えるものであり、私たちは、これからも皆さんとともに、確かな知性と学術研究の成果をうみだし続けている、誇るべき本学の学風を守りつつ、躍動する龍谷大学を創り上げていきたいと考えています。

ところで、皆さんの心に留めておいてほしいことがあります。それは、職業人としての高度な専門性の修得、そして研究者として学術研究の進展に邁進し、その成果の発信、社会的な還元とともに、豊かな“人間力”を培うことの大切さについてであります。

本学は、「浄土真宗の精神」を建学の精神とし、1639年、本願寺境内に設けられた教育機関・学寮を淵源として、今年で377年目を迎えます。この間、幾たびかの時代社会の激変を経験しながら、一貫して、根源的な人間のあり方を問い、「真実を求め、真実に生き、真実を顕かにする」ことのできる人間の育成に努め、長きにわたり豊かな人間性に支えられた知的文化・学術文化の社会への定着に貢献してまいりました。それは、端的に言えば、自分さえよければ良い、エゴイスティックな自己を単純に肯定した知性、専門性を持ちながらも自己保身に汲々とする知性、いわば自己をデコレーションする仮面の知性による学術研究ではなく、ありのままの自己を深く見つめ、頑迷で、傲慢な自己に痛み、悲しみを感じながら、一転して、人に生かされ、人と生かし合うこと、つまり”あなた”とともに苦しみ、喜ぶ“私”であること、“他者”とともに悲しみ、慈しむ“主体”であること、仲間とともに学び、考える“自分”であること、人びととともに生きる“自己”であること、生きとし生けるもの、すべてとともにある“人間”であること、こうした関係、繋がりの中にこそ、きわめるべき真実があり、かけがえのない智慧が宿っていると言えるでしょう。そのような“智慧”に立った、豊かな“人間力”に支えられた高度な知性、専門的学知をもつ高度職業人、研究者、「知識人」の育成、学術研究こそが本学の本領であり、豊かな知的文化・学術文化の創造に貢献するものだと考えます。

龍谷大学・龍谷大学短期大学部
                                        学長 赤松 徹眞

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