周囲に池をたたえる洗練された外観は、建築家、池原義郎氏によるものだ。
春先になれば周囲に植えられた辛夷の花が一斉に咲き誇る。
ゑしんの里記念館
新潟県上越市板倉区米増27番地4
●開館時間/9:00 〜21:00
●休館日/月曜日(祝日の場合は翌日)・年末年始
●入館料/無 料
●交 通/上越自動車道 上越高田IC、中郷ICから約30分
JR信越本線「新井駅」下車→タクシーにて約10分
●問い合わせ/電話0255-81-4541
恵信終焉の地と言われる
上越市板倉区
雪国に雪がないというのは、画竜点睛を欠くようなもので、かえって物寂しいものだ。便利さから考えると雪は邪魔に違いないのだが、妙高連山を遠くに望むばかりの、あとはただひたすら地平線をたどる風景が圧倒的な白で埋め尽くされる様子は、厳然と佇む仏閣にも負けぬ清らかさがある。雪の果てを迎え、固く閉ざされた辛夷(こぶし)の花芽がぽっと開き、北国に春を告げる瞬間は、満開の桜に優る美しさがある。これらは、長い冬を耐え忍ぶ雪国でしか経験できない感嘆であるだろう。幾多の苦難を乗り越えた親鸞の妻、恵信が終焉にこの上越の地を選んだのは、そんな朗らかな感動に魅かれての事かもしれないと、想像を巡らせたくなる。
新潟の直江津駅から20分ほど電車に揺られ新井駅に降り、さらに車を走らせて10分ほどのところに上越市板倉区がある。ここは、恵信尼が晩年を過ごしたと言われる地だ。1921(大正10)年に発見された、『恵信尼文書(えしんもんじょ)』という、恵信が娘の覚信へ送った十通の書状のうちの一通に恵信の住所を記した個所があり、それが板倉区を指すのではないかという説が1955(昭和30)年頃から有力視されているためである。
恵信の出自について、一説では、京都の貴族三善為教(為則)の娘として生まれたとされる。浄土宗の開祖法然と親交を結んでいた九条兼実の屋敷に仕えていた頃に、親鸞と知り合い結婚(※結婚の時期と場所にも諸説がある)。親鸞は1207(承元元年)年、専修念仏停止(ちょうじ)により越後国府(新潟県上越市)に流罪となり、越後に所領をもっていた恵信とともに、国府にて7年の月日を過ごす。1214(建保2)年、二人は家族とともに関東に移住。恵信は20年余りに及ぶ間、親鸞の専修念仏布教を支えるが、親鸞とともに京都へ戻った後、再び越後をめざし、板倉を終の住処としたといわれている。板倉周辺には恵信の6人の子どものうち小黒女房、信蓮房、益方入道、高野禅尼ら4人が住んでおり、恵信は彼らの孫達に囲まれながら、87歳の寿命を全うしたという。
恵信の生涯を語る、
板倉郷土史愛好会会長の宮腰英武さん
恵信ゆかりの地に佇む
ゑしんの里記念館と五輪塔
板倉区には、恵信が建立したとされる五輪塔がある。
その五輪塔と並ぶように建つのが、2005年に誕生した「ゑしんの里記念館」だ。故千葉乗隆龍谷大学元学長が開館の際、展示史料の選定に関わったとして龍谷大学とも縁の深い博物館である。
館内には、『恵信尼像』『恵信尼文書』の複製が細やかな解説とともに展示されている。
特に注目されるのが、『恵信尼伝絵』だ。恵信の生涯を「京都の恵信尼」「越後の親鸞・恵信尼」「関東移住と恵信尼夢告」「関東での布教活動」「板倉の恵信尼」「手紙を綴る恵信尼」という6つの時代に区切って描かれた「伝記絵巻」であり、大和絵師の藤野正観氏による精緻な絵とともに、松野純孝上越教育大学元学長の監修、千葉元学長の協力によって練り上げられた解説が施されている。美しい絵を鑑賞しながら恵信への造詣を深められるのが魅力だ。また、映像展示室では、松野元学長、千葉元学長へのインタビューや、越後の恵信・親鸞の旧跡を紹介する映像を鑑賞できるほか、企画展、特別展なども度々開催されている。
「私が生まれた頃、五輪塔の傍には小川が流れ一面にのどかな田園風景が広がっていました。五輪塔の周りは子ども達の遊び場で、私もよく遊んだ事を覚えています」。
板倉町史の編纂に携わり、板倉郷土史愛好会会長の宮腰英武さんはこう話す。この地と恵信との縁が判明するのは、宮腰さんが遊び場として過ごした頃から何十年もの時を経るが、この雪深い風土のなかでの恵信の晩年に思いを馳せると、感慨深いものがあるという。
「文書を読んでいくと、恵信が家族愛に溢れた心優しい方であった事がうかがえます。人間としての教養の深さ、優しさ、芯の強さが人物像として浮かび上がりますね」。
親鸞と恵信の越後での7年間は、親鸞が流罪の身であったため、大々的に布教活動はおこなう事はできず、ひっそりとしたものであっただろう。また、親鸞と別れて越後へと戻ってきた恵信の晩年も、飢饉による相継ぐ下人の死や自身の患った病気などで決して安穏としたものではなかったようだ。
しかし関東へ下った際、布教活動を通して育った弟子達の多くがその後、浄土信仰を広めに越後をめざしたとされる説もある。またこの地が現在も浄土信仰の篤い地である事を考えれば、この風土こそ恵信終焉の地にふさわしいという思いを強く抱く。700年という風雪に耐えてきた五輪塔がそう物語っているように感じられてならないのである。
【特別展開催予定】
『ゑしん十通の手紙特別展』
前期 平成21年4月19日〜6月5日
後期 平成21年9月20日〜12月6日
周辺の観光地情報
上越には親鸞聖人ゆかりの地も数多くある。
親鸞聖人上陸の地
流罪となった親鸞聖人らが
上陸したとされる地点で、
今は公園になっている。
浄興寺
親鸞聖人開山の寺。
周辺は63もの寺からなる
寺町を形成している。
国府別院
親鸞が恵信と住んだ旧跡は、
現在国府別院となっている。
恵信尼像
(紙本多色刷複製 龍谷大学大宮図書館蔵の複製を展示)
老年の姿を写したものと推察される。
恵信尼文書
(紙本多色刷複製)。
覚信尼へあてた書状十通が、
書き下し文と解説文とともに展示されている。
恵信尼伝絵
恵信尼伝絵では、恵信の生涯をたどる事ができる。
五輪塔にて、故千葉乗隆元学長(2006年撮影)
記念館開館にあたり、度々この地を訪れた。
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