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RECコミュニティカレッジ東京&大阪の講座内容

「老い」を科学する (RECコミュニティカレッジ東京 前半シリーズ)

5人に1人が65歳以上という高齢社会となり、「老い」という問題が老人だけでなく、それを支える若者にとっても、重要な課題となっています。そこで本講座では、「老い」について正しい理解を深めるため「老い」を科学すると題して、老年期とはわれわれ人間にとってどのような意味を持つかを考えてみたいと思います。

本講座では、まず第一回目に、老いによるからだの変化を、第二回目に、いのちの交流の意義を、第三回目に、老いのこころの変化および老いへの対応を考えてみたい。この機会に「老い」に対するたしかな知識をきちんと整理していただければ幸いです。

第1回 老いとからだ

2006年10月14日(土) 青木 信雄(龍谷大学社会学部教授)

自分にとっての老いは、老いと戦う、老いを受け入れる、老いと共存する…など、その人その人でさまざまな物語が起こってきます。本講義では、そうした物語の基礎となるからだの老いを学びます。

からだの老いは、ふつう老化と呼ばれます。老化には年がいくと誰にでも起こる生理的な自然の老化と、病気につながりやすい病的な老化とがあります。

また、人のからだには“使わないものは衰える”という鉄則があります。廃用性萎縮と呼ばれ、からだのいろいろな所にさまざまな形であらわれます。こうした点を、私自身の老いの経験と簡単なトレーニングをまじえながらわかりやすくお話しします。

第2回 老いといのち

2006年11月11日(土) 奈倉 道隆(元龍谷大学社会学部教授)

  1. 「老いのいのちと生の充実」人のいのちは生きる意味をもち、ときには本能にうち克って主体的に生きようとする。その主体性は身体が衰えても衰えず、老いのいのちは生の充実をめざして生きる。
  2. 「老いのいのちと文化」いのちは連帯性をもち、連帯から生活文化が生まれる。老いはいのちの連帯にめざめ、欲望充足よりも文化の探究に歓びを見出すようになる。これが生きがいの源泉となろう。
  3. 「老いのいのちを深める医療・介護」たとえ病があっても安心でき、衰えがあっても自由に生きられる医療と介護。これを主体的に活用する人は、意味のある生を全うすることができる。その道がいま拓かれつつある。

第3回 老いとこころ

2006年12月9日(土) 友久 久雄(龍谷大学文学部教授)

「老い」というのは身体的な問題だけではなく、それをどう本人が受け入れるか、またそれを周囲がどう看取るかという心理的な問題が大きい。特に「老い」というとマイナスイメージを持つことが多いが、「老い」は蓄積された知識と経験による人間的円熟と統合の時期でもある。自己の拡大、現実認知、自己洞察、人生哲学など「いかに生きるか」に集約された色々な課題を解決する時期でもある。

同時に、避けて通ることのできない認知症(老人性痴呆)と死の問題をどう受容するか、何を生きがいとするかなど、生きる意味の集大成について、心理学的立場から「老いとこころ」と題して科学していきたい。

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生命倫理をめぐって (RECコミュニティカレッジ東京 後半シリーズ)

近年、科学技術、特に医学の発達によって人間の生命がコントロールされつつあります。それに対し、宗教や哲学はどのように対応すべきなのでしょうか。医学は確かに私たちに多大な恩恵をもたらしてくれています。しかし、同時に生命の尊厳という点からすると、今こそ宗教や哲学の立場から考える必要もあるのではないでしょうか。講座では、生命倫理について参加者と共に考えてみたいと思います。

第1回 生命倫理をめぐる日米宗教界の違い

2007年1月13日(土) 生駒 孝彰(龍谷大学国際文化学部教授)

宗教の立場から生命倫理について語られるとき、アメリカの宗教、特にキリスト教界は生命の始まりを重視します。その結果、中絶の是非をめぐる議論が盛んです。いっぽう、日本の宗教界は終わりを重視します。それは臓器移植の是非が問題になったとき、脳死か心臓死かで宗教界の意見が分かれたことからも理解できます。中絶、臓器移植をテーマとして日米宗教界の生命に対する違いについて考えてみます。

第2回 尊厳死・安楽死をめぐって

2007年2月17日(土) 田村 公江(龍谷大学社会学部教授)

一般に生命倫理学においては、患者の自己決定尊重ということが原則です。それは、「病気になっても人生の主人公は自分である」という考え方であり、本来の趣旨は、自分なりの仕方で、より豊かに生きることです。ところが尊厳死・安楽死の場合には、「延命治療を拒否する自己決定」「死を早めることを選ぶ自己決定」などが問題となります。当事者の自己決定を尊重すべきなのは言うまでもありませんが、死が訪れるまでの時をどうすればより豊かに生きることができるのかという観点も重要です。今回の講座では、用語や判例の解説を行い、会場の皆様とともに考えてみたいと思います。

第3回 生命はなぜ尊いのか

2007年3月17日(土) 井上 善幸(龍谷大学文学部講師)

「生命の尊厳」。誰もが納得するはずのこの言葉が、どことなく虚しく響くのはなぜでしょう。「生命の尊厳」についての問いかけは、生きる意味への問いかけに他なりませんが、この問いはしばしば「生」だけに限定されがちです。宗教の立場から「生命の尊厳」を問うということは、同時に死にゆく意味を問うことでもあるはずです。今回の講義では、死を生の延長や対立項としてではなく、この生に深く豊かな意味を与えるものとして受け止めるところから、「生命の尊厳」について考えてみたいと思います。

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いま仏教文化が面白い (RECコミュニティカレッジ大阪)

第1回 アフガニスタンの仏教遺跡

2007年1月6日(土) 入澤 崇(龍谷大学経営学部教授)

かつて仏教には社会に安定をもたらす力が具わっていた。多様な文化を摂取して新たな美の世界を作り出す力も仏教はもっていた。異文化・異民族が交錯したところで仏教文化が華開いた事例のひとつにアフガニスタンがあげられる。仏教寺院跡から出土した仏像・菩薩像の美しさには息をのむ。バーミヤーン石窟寺院内に造られた大仏の威容には声も出ない。古代アフガニスタンの仏教世界を通じて人間の営みを問い直してみたい。

第2回 タジキスタンの仏教遺跡

2007年2月3日(土) 蓮池 利隆(龍谷大学古典籍デジタルアーカイブ研究センター研究員)

中央アジアは文化の十字路である。この地を通してヘレニズムやイラニズムがインドにもたらされた。インドで成立した仏教はこれらの異文化と出合い、多様な変化を遂げた。特に浄土教の成立には、ゾロアスター教との出合いが大きな要因であったとも考えられている。カニシカ王の統治下、ガンダーラ地域で起きたであろう仏教の変容を知る上でも、中央アジアの仏教遺跡は興味深い資料を提供してくれる。それは周辺地域である中央アジアに文化が温存された結果でもある。

第3回 黄土高原の石仏を訪ねて

2007年3月3日(土) 佐藤 智水(龍谷大学文学部教授)

仏教は初伝来以来四百年以上の歳月をかけて雨水が岩盤にしみ入るように、強固な中華世界に浸透していった。要因の一つは、民衆が仏教にそれまで経験したことのない人間尊重の解放感を感じとったからであろう。その証拠が、いまなお黄土高原の各地に散在する大小の石窟や石仏に残っている。石仏に触れ、その側に刻まれた文字を読み解くと、当時の人々の雑念や願い、そして人々のかかえる課題を解放する仏教信仰のエネルギーがつたわってくる。

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掲載日:2006/9/16
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