対談 人間回復の思想を現代に
龍谷大学学長●上山大峻 浄土真宗本願寺派門主●大谷光真
上山 ご門主には、本願寺第24代門主に就任されて間もなくの時、広報『龍谷』(第5号)にご登場ねがいました。あれからもう22年になります。そして、9年前の第28号にも「科学と宗教の対話」というテーマの座談会にご出席いただいております。
龍谷大学では「浄土真宗の精神」を建学の精神としますので、その浄土真宗の開祖である親鸞聖人の思想を学生に学んでもらっています。今まで宗教には関心のなかった学生たちにとっても親鸞聖人の真摯な生き方は魅力なのですね。約750年の年月をへても人々を惹きつける聖人の魅力は何なのか。このたびは、その点をテーマにしてお伺いできればと思っております。
●新しいものを切り拓く
大谷 そうですね、最大の魅力は、置かれた環境を飛び出して、次々と新しいものを切り拓いていかれたところでしょうか。

上山 私もそのことを思います。9歳で出家して仏道修行の道へ。そして20年も積み重ねられた比叡山での修行の経歴を捨てて、新しい道を求められた。そうした思い切った切り換えにはとても心を打たれるものがあります。

大谷 当時の比叡山は、仏教を学ぶものにとっては最高学府でした。そこでの学問を放り出して、山から降りて違う道に進まれたのは、単に勉強が嫌になったとか、違う生き方に興味が移ったとかではなかったと思います。比叡山で目指しておられた同じ目標を、違う方向から進まれて完成させたということではないでしょうか。

上山 修行中に感じておられた疑問を、既存の体制に妥協して、うやむやにされなかったということですね。一つの目標を持ち続けておられた。

大谷 親鸞聖人が比叡山を降りられたのは29歳の時です。歴史学者は、聖人の方向転換の理由を“青年の悩み”によるものだという人もいますが、私は違うと思います。人生50年の時代での29歳ですから、「青年」とは言えません。むしろ、「大人」の悩みではなかったかと思います。親鸞聖人の師である法然上人が浄土教に帰依されたのが40歳を過ぎていたのと同じように、人生の総決算という意味合いが強いと思いますね。

上山 なるほど、そういう見方もできますね。

大谷 青年の悩み、具体的には異性に対する悩みだと一般にいわれています。それも丸きり間違いではないと思いますが、年齢的には今の働き盛りの方が急に会社を辞めるのに近いと思います。いつ死ぬかわからない、人生の総決算をしたいと考える方が自然ではないでしょうか。親鸞聖人はご自身が90歳まで生きられるとはその時は分からなかったわけですから。

上山 修行をしながら、常にこれではいけないという疑問を持ち続けておられたのでしょうね。法然上人の念仏の教えに出あわれて、“これだ”というものが見つかった。それにしても20年というのは長いですね。その歳月を捨てるには、よほど問題が大きくなっていたということでしょうね。

大谷 そうでしょうね。その間、比叡山で身につけられた学識もすごかったと思いますよ。法然上人の念仏門は当時、社会的に評価されていたわけではなかった。それなのに、そんなところへ飛び込まれた。

上山 なにが真実かを常に求め続け、信念をもって新しいところに身を投げ入れておられる。学生たちもそこのところが魅力だと言いますね。
●究極の平等をもとめて
上山 それに、人間はすべて仏の下において平等であるという「御同朋(おんどうぼう)・御同行(おんどうぎょう)」の姿勢を学生はすばらしいと受けとめますね。高い所から教えるのではなく、いっしょに歩んでいく。民衆と同じ視線が親鸞聖人には感じられる。それも大きな魅力ですね。

大谷 私たちは、人はすべて「平等」ということを当たり前のように思っていますが、聖人があの時代に気づかれたのは異例のことだと思います。今の社会常識で仏教を読めば、お釈迦さまの時代から仏教の思想は平等を語っていて、それを親鸞聖人が受け継いで実現されたということが分かるのですが、あの時代によくぞ明らかに示してくださったなぁと感嘆します。

上山 そうですね。ちょうど武士が台頭してきて戦争にあけくれていた頃で、一般の人々は虫けらのように扱われていた時代ですから。
●驚嘆すべき真実を読み抜く力
大谷 教義的になりますが、聖人はお経の文字にとらわれないで、さらにその奥にあるものを読みとっておられるということも驚きです。私の個人的な性格として、きちんと文字を読むことにとらわれてしまいがちですので(笑)。漢文を文法にとらわれずに読む、いわゆる「読み替え」によって、阿弥陀さまの本当のはたらきを理解されました。これは学問的に文字をきちんと読むだけではできなかったことです。それも自分勝手な読み替えではなく、それによって隠れていた真実を明らかにされたわけです。あの読み抜く力はすごいと思います。

上山 私もそう思います。それが本当の学問というものでしょう。
親鸞聖人は地方の関東にありながら、著書にみられるように多くの文献を参照しておられます。それがどうして可能であったのか不思議です。あれだけの資料をどこで見られたのでしょうか…。
 関係する文献を徹底的に読破しておられます。『無量寿経』にはいくつかの漢訳がありますが、それらを比較対照しておられる。さしずめ現代であれば、サンスクリット語やパーリ語の原典を参照されたでしょう。

大谷 そうでしょうね。

上山 文献学、それに文章から真意を読みとる解釈学などの学問方法は、比叡山での20年の修行時代に培われたのでしょうか。

大谷 比叡山では厳しい修行だけではなく、学問もかなり研鑚されたのでしょう。

上山 偉大な方ですね。多くの資料を調べられて、正確に写し取っておられるのには驚きます。

大谷 ええ、本願寺に伝わる『阿弥陀経集註』を拝見しますと、本当に細かい字で註を入れておられますね。あれほどの緻密な作業をよくなさったと思います。『教行信証』もたびたび加筆修正しておられますが、下書も何度かされたはずです。『教行信証』は厖大で、「信」と「行」のところを読むだけでも息切れがします。すごい時間をかけて書いていらっしゃる。
 それにしても、実際書かれた紙が現在も残っているのが不思議ですね。紙は雨に濡れただけでもボロボロになるのに、どのようにして保存されたのだろうと感心します。

上山 その上、本願寺は何度も焼けたりしていますよね。必死で護ったのでしょう。
 そのことにつきまして、龍谷大学では瀬田学舎に今年5月、古写本の紙質を科学的に分析したり、資料をデジタルで保存したりする「古典籍デジタルアーカイブ研究センター」の施設が完成しました。そういう古い資料への研究が進むと思います。
●親鸞聖人に立ちかえって
上山 聖人の書かれたものを読みますと、大乗仏教の基本的な思想に立って「他力救済」の教学を構築しておられます。親鸞聖人には、文章からだけでなく、一度、すべてをご破算にして新たに基礎から読み直していく姿勢がありますね。

大谷 そうですね。浄土教というと単なる来世信仰と思われがちだったのを、仏教の原則論に立ち返って説かれていますね。仏教の研究が進んだ現代ですから、これまでの積み重ねを踏まえてもう一度親鸞聖人の教えをよく学びとっていく作業が必要かもしれません。

上山 今一度、親鸞聖人の学問研究の方法に立ち返る必要があるかもしれません。聖人は「浄土真宗は大乗のなかの至極なり」といわれて、大乗仏教全体の視点から浄土真宗をとらえておられます。

大谷 それと同時に、伝説となった親鸞聖人像も大事にしたいと思います。
●欧米の関心と諸宗教との対話
大谷 最近、驚いているのは、欧米の学者が仏教を熱心に研究していることです。研究者の数も多いですね。欧米の人は宗派的な意識がないので、個性的な発表が自由に行なわれています。日本の学者は宗派や専門分野を気にするあまり、窮屈になりがちなのが気になります。

上山 私がハワイに行きました時、チベット仏教と浄土真宗はどちらが勝れているのかと質問されたことがあります。このような場合に、一方を否定してしまうのではなく、今まで学んだものを生かしながら「南方仏教やチベット仏教もよろしいが、最後は浄土真宗だ」というふうに真実に近づいていく過程を示していく必要があるのではないかと思いました。いろいろな宗教への関心を遮断してしまうのでなく、どうぞいろいろ学んでください。しかし、到達点は浄土真宗ですよ、と私は申しあげているのです。親鸞聖人もそうした姿勢をとっておられるように思うのですが…。
 現代の諸思想や諸学問、諸宗教を視野に入れながら真宗信仰に至る方法を構築していく必要があるのではないでしょうか。同じ信仰基盤をもつ人々に話をするのなら、分かってもらえるのですが。

大谷 いや、この頃は「宗教は平和や幸せを説きながら、どうして戦争をするのですか」というような質問が、真宗のお寺の本堂でいきなり出てくる時代ですから、真宗門徒の方々にも分かってもらうのはなかなか難しいですね。

上山 龍谷大学では、この度「人間・科学・宗教総合研究センター」を設立しました。専用の建物も建てます。世界からさまざまな方を招いて、異なった宗教の方々と“いのち”や“平和”の問題について話し合う場にしたいと思っています。そしてそこで議論したことをインターネットで世界に発信し、質問を受けてそれに英語で答える。世界に語りかけることのできる人材を育てていきたいと思っています。
 少なくとも親鸞聖人の学問や修行の背景には、エリートに限られた仏教ではなく、現実に苦しんでいるすべてのものが救いの対象であり、それを実現するためにはどういう教えでなくてはいけないのか、そうした切実な現実認識があったと思うのです。

大谷 そうですね。しかし京都の弱小とはいえ貴族の家に生まれて、幼い頃に比叡山に預けられた生い立ちや環境を考えると、親鸞聖人が現実の苦しみを知って、すべての人々の救済が大切だということに気づかれるのは普通では難しいはずです。どうして気づかれたのか。親鸞聖人はご自分のことを語っておられないので、想像するしかありませんが。
●夫妻で信仰の道を歩む
上山 親鸞聖人は、さぞ膨大な資料を机に積み重ねて執筆されたのでしょうね。しかも、同じ屋根の下に奥さまの恵信尼(えしんに)さまが子供を育てておられた。
 恵信尼さまと結婚されて非難を浴びられたと思いますが、在俗のまま仏の道を歩む「非僧非俗(ひそうひぞく)」の姿勢を貫かれた点も聖人の魅力ではないでしょうか。

大谷 夫妻で仏法を実践されたことは画期的だと思います。当時、お坊さんで妻帯していた人はいましたが、奥さまが同じように仏法を実践されたというわけではありませんでした。つまり同じ妻帯であっても、恵信尼さまと共に信仰の道を歩まれた親鸞聖人とは内容が違うといえるのではないでしょうか。

上山 一緒にお念仏を喜ばれたということは、「ともに凡夫(ぼんぷ)である」という前提にたっておられたからでしょうね。とにかく、あの時代に僧侶でありながら結婚生活をするということは勇気がいったことでしょう。
●浄土真宗の魅力
上山 浄土真宗の魅力といえば、どういう点だといえばよろしいんでしょうか。

大谷 親鸞聖人の魅力と重なりますが、世俗生活の中で、如来さまのはたらきを受け取っていくということが大きいと思います。世俗生活を仏教的に導いていったことですね。学問も修行も必要条件になっていません。

上山 学生は、そこのところが分からないというのです(笑)。修行の努力を積み重ねた結果として悟りをひらき、浄土へ到るのなら分かるけれど、それなしに仏になるというのは疑問だと。この点を理解させるのが難しいですね。若い学生は「頑張れ、頑張れ」と激励しないと伸びないし、一方で修行は必要ないという。この二つの面をどう調和させるか…。

大谷 努力できることは、やはり努力しないといけませんね。

上山 学生に信仰をもてとは言いません。しかし、人生にはいろんなことがある。悩んだり苦しんだ時に、こういう考え方をした人がいたということを思い出してほしいと言っています。やはり、最終的には自分が限界にぶち当たらないと分からないことでしょう。

大谷 できる努力をしなくていいわけではなく、若い間はやっぱり努力をして、自分の限界がわかることが必要でしょう。その後で、他力の世界と親しくなるのでいいのではないでしょうか。努力できる人は、まず努力して、努力だけでは収まらないことに気がつけばいい。

上山 学生たちは心の底に「自分はダメだ」という意識をみんなもっています。親鸞聖人が説かれる浄土真宗は、ダメな人を相手にします。「ダメでもいいと言ってくれる人がいるんだよ」というと、途端に目が輝いてきます。「ダメでもいい、それでもあなたが大事なのだ」という言葉をみな待っていますね。
●人間のかたちに合わせて説かれている
上山 遺伝子の研究などがここまで進むと、生命は今の世界だけではないように思えるのです。仏教ではすでに、今日の遺伝子の世界まで説明していたのではないかと思えるのです。肉体を超えた“いのち”が継続していくと思うと死も怖くないんですね。

大谷 そうですね。「来世」「お浄土」といった言葉では、なかなか現代人にはしっくりこないかもしれません。科学時代の表現の仕方があるかもしれません。

上山 観念的な浄土の世界ではなく、やはり形のある世界を思い浮かべたいですね。

大谷 仏さまの教えから、目に見える世界と違うあり方で感じられる仏さまの世界が想像できます。その世界は「不可思議」だと説かれています。仏さまの世界が、私たち凡夫の知識や感覚で直接見えたりしたらむしろおかしいので、分からない面があるのは当然でしょう。
 キリスト教神学では、今の自然科学とキリスト教を統一して理解できるように、一流の学者たちが本気で新しい解釈に取り組んでいるそうです。驚きましたね、キリスト教と自然科学はもともと調和しにくいと思っていましたから。むしろ仏教は「縁起」の思想にみられるように、自然科学と本来衝突するものではありませんね。
 親鸞聖人が念仏してお浄土へ行かれた、私の先祖もそれを慕って浄土へ行ったということは、心情的に考えるとそんなに理解しにくいことではないと思います。
 人間に分かるように説いてあるのが仏教ですから、私たちの思考の構造に合わせて説いてある。体に合わせて洋服を作ってあるだけであって、素材としてはどんな形にでもなるのが仏教ではないかと思います。

上山 考えさせられる例えですね。そうすると現代人にあった洋服に仕立て直さなければならないのではないでしょうか。

大谷 「方便」、すなわち言葉の問題ですが……。

上山 現代ではお浄土を科学的な方便で表現していく必要があると思います。

大谷 そうですね。お経に書いてある浄土は、その時代の人々の知識に合わせて説かれたものですから。
●自己中心性を抑制する教え
上山 話は別になりますが、当時、一向宗徒と呼ばれていた浄土真宗の信者たちは、時の支配者からものすごい弾圧を受けました。それでも信仰を捨てなかった。当時、虫けらのように扱われた人間の存在を肯定し、一人ひとりに「お前こそ大切だ」と声をかけてくださる阿弥陀さまがあるという真宗の教えに出あって人々は本当に嬉しかったでしょうね。

大谷 私たち現代人には想像しがたいことですが、きっとそうだったでしょう。

上山 一人ひとりが大切であるという人間存在の回復は、今、世界で一番大事なことではないでしょうか。それなのに、あちこちで紛争が起きていて、人命が粗末にされている。どうも欧米の思想から導き出された「人権思想」と、仏教がいう「すべての“いのち”が尊い」とする思想とは少し違うようです。欧米の考え方には、やはり人間中心的というか、選ばれたものを優先する意識があるように思えますね。仏教の真の平等思想にもとづいた「人権思想」を主張してもいいのではないかと思います。一番大事なことですから、堂々と主張すべきだと思います。
 それから仏教は「自己反省」を教えます。これは大事な特色だと思います。その極限が浄土真宗でしょう。他の宗教は自分自身を反省することが少ないですね。

大谷 そう思いますね。現代は人間の思い上がりに気づき、欲望を抑制することが大切ですが、その認識が欠けていますね。

上山 仏教が役割を果たすとすれば、まさにその部分でしょう。

大谷 そうですね。アメリカの今の様子を見ていると、その部分が欠けているように見えます。まるでアメリカ人以外は人間でないような…。この傾向にはキリスト教の学者さんも困っているらしいですよ。ブッシュ大統領個人ではなく、その姿勢がアメリカ人全体の流れになっている、と。

上山 あの姿勢は、やはり一神教の性格から来るものでしょうか。世界的な思想の潮流として、欲望を抑制していく東洋の自己反省の姿勢が求められているように思えるのですが。

大谷 そういう考え方をする者同士が世の中をつくっていくという努力が大切ですね。そうじゃないとますます世界は危なくなってきますね。

上山 大谷探検隊が調査した古代中央アジアでは、仏教がつくっていたそれまでの共生の世界を、イスラム勢力が入って全部壊してしまったという経緯があります。
 異なるものを排斥しないで、どの民族でも受け入れて、共生してきたのは仏教だけです。そして、伝播の過程でもその地域の土着信仰を上手に取り込んでいて、争っていないですね。この共生の智恵は現代に生かしたいですね。

大谷 仏教が広がるときは、どちらかというと信者が新しい土地に移住して、生活を共にするなかで自然に広がっていったようですね。アジアで仏教が伝わり始めた頃も、シルクロードなどの貿易ルートにのって仏教徒が移動し、伝播していきました。専門の僧侶や宣教師が乗り込んでいって伝道するというやり方は、あまり仏教的ではないようですね。とくに浄土真宗は信者の動きにつれて異なる宗教・文化のところへ調和を図りながら広がっていきました。

上山 そういう融通性が仏教にはありますね。理論ではなく、生活と密着して伝わっていますね。
●本物を見抜く力を
上山 龍大生は、まじめで礼儀正しいが積極性がないとか、ファイトが足りないというようなことをときどき言われます。
 思いやりや、自分を反省する気持、人との和を大切にする心は結構ですが、もう一つこの厳しい時代を生きぬいてゆく力強さが欲しいのです。..浄土真宗は本来引けた姿勢ではなく、たとえば親鸞聖人の生涯にみるような強さを生み出す教えだと思うのですが、どうしたら学生に積極性を身につけさせることができるでしょうか。

大谷 本物に触れると力が出てくるのではないでしょうか。何が本当だかわからない、あいまいな状態では力が出ません。この世がおかしいと本当に認識したら、自然に何とかしなければならないという力が出てきます。

上山 それが念仏という真実に触れたとき出てくる力でしょうか。親鸞聖人のものすごい積極性は、本物とは何かを知られたことから出てきたものでしょうね。

大谷 ええ、真実に対する自信ですね。

上山 本物を教える教育が大事というわけですね。

大谷 大学は、本物を見抜く力をつけるところです。ひとつの新聞記事やテレビニュースをうのみにするのではなく、多方面から見る目を養い、本当のことは何かを見分けていくことが大切です。学生時代は、本物かどうかを見抜く力を身につける良い時期だと思いますよ。そのための大学だと思います。

上山 この頃は、上手な生き方というか、社会にどう適応するかの技術を学ぶことが主になりやすいのですが、やはりきちんと本物を認識できる人間になることが重要ですね。

大谷 本物を見る目を養うには、単に知識を集めるのではなく、うまく情報を整理する方法を学び取ることも大事です。
 鎌倉仏教もインドの大乗仏教も、すばらしい思想であり今日にも影響力をもっていますが、誕生した当初はそれ以前の宗教や価値観が支配していたわけです。それを批判し、社会的影響力を発揮したのはようやく次の世代においてでした。

上山 ある事が実現するには、たゆまぬ努力が必要ということでしょうか。
 それまでの教科書的な知識や常識をひっくり返してきたという意味で、仏教は常に創造性をもっています。私はいつも龍谷大学では学生を仏教で育成していますから、創造性の点では大丈夫ですと企業の方々にも言っているのです。仏教にもとづいて育った学生たちが、次代のリーダーになって、世界の平和のために大いに力を発揮してほしいですね。
親鸞聖人の生涯
 平安時代末期の承安3年(1173)、京都・日野の里(現山科区)で誕生。父は藤原氏の一族、日野有範、母は吉光女と伝えられる。9歳のとき、東山の青蓮院で得度を受け、名を範宴(はんねん)と改め比叡山にのぼる。以後、20年間、厳しい学問と仏道修行に励んだ。

 建仁元年(1201)、29歳の時、比叡山では悟りに至る道を見出すことができず山をおりた。京都の六角堂で100日間篭っていた時、夢のお告げを受け、当時、東山の吉水で「念仏往生」の教えを説いていた法然上人(浄土宗の開祖・1133―1212)を訪ねた。いかに罪深き凡夫でも、念仏一つで救われるという教えを受け、その教えに帰依した。

 法然上人の教団は旧仏教集団の反発による弾圧を受け、親鸞聖人は越後(新潟県)に流罪となった。これを期に自ら愚禿(ぐとく)親鸞と名のり、「非僧非俗」という僧侶と俗人との隔てのない自由の立場で念仏を広めた。三善為教(ためのり)の娘・恵信尼と結婚、男女6人の子女をもうけた。建保2年(1214)、42歳の時、妻子とともに関東の常陸(茨城県)へ移り、草庵を結び多くの人に「御同朋・御同行」と呼びかけ、念仏の教えを広めた。以後20年間、関東各地を移り住み、教えを聞きに集まる人々を教化した。

 元仁元年(1224)、52歳の時、常陸の稲田で浄土真宗の教えを体系的にまとめた『顕浄土真実教行証文類』(教行信証)六巻を完成した。のちに、この年が立教開宗の年とされる。

 関東20年の滞在を終え、62、63歳のころ、家族を伴って京都に帰る。『教行信証』の推敲とともに、浄土真宗の教えをわかりやすい和文で記した「和讃」など多くの書物を著わした。弘長2年11月28日(新暦1月16日)、京都で死去。90歳。


比叡山には親鸞聖人旧跡の碑がいくつかある。
浄土真宗
 親鸞聖人の開いた浄土真宗は、阿弥陀如来の本願を信じ阿弥陀如来の名号である南無阿弥陀仏を称えれば、生きとし生けるものすべてが過去におかした罪にかかわらず、平等に仏になることができるという教えである。阿弥陀如来のはたらきや、名号のいわれを説きあらわした『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の浄土三部経を根本聖典とする。

 本願寺は親鸞聖人の廟堂(墓所)から発展。京都東山に遺骨と影像を安置し、聖人の遺徳を偲び、遺弟たちが参拝したのが始まりとされる。

 室町時代の第8代蓮如上人(1415―1499)によって、念仏の教えは民衆の間に広まり、本願寺教団の礎(いしずえ)ができた。

 天正19年(1591)に豊臣秀吉の京都市街経営計画により、七条堀川に現在の本願寺が建立された。
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