座談会 変わる法曹界
法律家は社会の幸せの総量を増やす仕事だ
写真1平野哲郎 伊藤真 億智栄 村井敏邦
村井 司法制度改革、法科大学院(日本型ロースクール)設置の動きの中で日本の法曹界は、質、量ともに拡大し、変化しようとしています。本日は、司法試験を経て法律家になられた龍谷大学に関わる若い方々にお集まり願い「法律家が魅力ある仕事だ」ということを語っていただこうと思っております。伊藤さんは司法試験受験指導校の塾長として名高い方で龍大の客員教授でもある、平野さんは裁判官を退官されて龍大で教えておられる、そして億さんは龍大卒の弁護士…それぞれ年齢も立場も違うので、面白いお話が聞けるのではないかと期待しています。
志望動機は様々でも、「正しいことを実現したい」は同じ
写真 伊藤
伊藤 真
1981年司法試験に合格。以後司法試験受験指導を開始。司法研修修了と同時に弁護士登録。司法試験、司法書士、公務員講座のほか、企業法務研修なども務める。1995年、司法試験指導のキャリアを活かし「伊藤真の司法試験塾」(現「伊藤塾」)を開塾。弁護士業務を休業し指導に専念。2001年、大正大学課外学習講座非常勤講師、文京学院大学生涯学習センター講師。2002年、龍谷大学客員教授を務める。
村井 最初に、なぜ法律家を目指したのかをうかがいたいと思います。私も司法試験に合格していますので、まず、私からお話しします。法律家という道は夢にも思わず、一橋大学の商学部に学び貿易をやろうと思っていました。卒業間際にNHK教育テレビの番組で『弁護士プレストン』という連続ドラマを観て、「おっ、弁護士という“商売”もいいな」と思ったのです。地味なドラマだったのですが、社会正義がにじみ出ていましてね。司法試験が大変難しい試験だということも知らずに、貧しい親に2年間だけチャレンジさせてくれと頼み法学部に学士入学しました。私の動機はそうしたミーハー的なものです(笑)。

 司法試験に合格して3年目です。亡くなった父が政治的な話が好きで、幼い頃からテレビのニュースを観てあれこれ意見を言い合うような家で育ちましたから、なんとなく法律を勉強したいと思って法学部を選びました。父は在日韓国人でしたから、私が受かったことは望外の喜びだったようです。きっと「敵討ち」を果たしたような気持だったのでしょう。学歴はありませんが、よく勉強して知識の豊富な父に、うまく踊らされてここまで来たような気がします。

村井 億さんが弁護士になろうと決めた時は、喜ばれたでしょうね。

 合格したら、裸になって逆立ちをして地球を1周回ると言いました(笑)。約束は果たしてもらっていませんが、私の知らないところで嬉し泣きしていたそうです。

伊藤 私は、中学時代に父の仕事の関係でドイツに2年住んだのですが、外国から日本を見て、その良さがわかるようになりました。歴史書を読み明治の志士たちに憧れて、この国のために何かしたいという気持が子ども心に芽生えたのです。
 当時、日本はエコノミックアニマルとか言われ外国からあまり理解されていませんでした。日本の素晴らしさを外国に発信したい、日本と世界の掛け橋になりたいと、外交官になろうと決めて大学受験勉強を始めました。ところが、小さい頃から機械いじりや科学の世界が好きで、国語が大の苦手でした。でも、予備校のある講師に「国語は理屈だよ。数学と同じ」といわれてパッと開けた。国語が得意になったのです。
 東大に入学後、外交官試験の勉強を始めようとしたのですが、外交官の仕事の実際は、新聞を切り抜いて翻訳したり、国賓を接待したり、どうも自分の思い描いていたイメージと違う。じゃあ商社マンになろうと。その人脈づくりのためという口実で遊びまわっていたとき、アメリカのロースクールで学ぼうとしている友人から、アメリカには法学部というものがなくて、色々な経験をした人がロースクールで学んでロイヤーになっていることを聞きました。
 彼が私に、日本の憲法で一番大切なことは何かと聞くのですが、なんせ遊びまわっていましたから答えられない。国立大学生のお前ひとりにどれだけ税金が使われているのか知っているのか、と怒られてガーンときましてね。大学3年になって初めて、憲法には核になる「個人の尊重」という価値があることを知って、憲法が好きになりました。
 それまでは、人の人生を左右するような仕事はおそろしくて自分にはできないと逃げていましたが、頑張って勉強して5年生の時に合格しました。
素晴らしい憲法が最初にあった
写真 平野
平野哲郎
1991年司法試験合格。1994年裁判官に。横浜・札幌・大阪地裁で主に民事事件を担当。2002年龍谷大学法学部助教授に。専門分野は、公法学、民事法学、司法制度論。
村井 弁護士としてスタートされたのに、受験指導校で教える側になろうと思われたのは?

伊藤 自由に生きたいと思っていましたから、裁判官や検察官でなく自由の幅がある弁護士を選びました。依頼人に憲法の話をして「人と違う人生でいい。あなた自身の生き方でいいのです」といつも言っていたのですが、よく考えたら一生のうちに依頼人は多くても2000人か3000人…。それよりも、法曹の場で活躍する人を送り出す方が憲法の価値観を広められると考えました。司法試験を目指す後輩に教えることも好きで、二足のわらじを履いていましたから。
 教える道を選んだ理由は3つあります。まず、自分にしかできないことをしたいということ。裁判官、検察官、弁護士には私以上に優れた方は大勢います。しかし、法律に全く縁のない人に、法律を伝え、やる気にさせて法曹の道へ進ませることなら、私は日本一だと。それに、私のような理科系だった人間や、社会人を法曹の道へ導くことをひとつのミッションだと考えています。
 2つ目は、法曹教育という場で憲法の理念をもっと伝えたいからです。受験勉強の中で憲法の理論を学び、もし不合格になっても満足してもらえる教育をしたい。そして3つ目は、“法学教育の研究”をしている人がいないことです。何をどういう方法で、どういう順番で…法律の教え方を形にしたいと思ったのです。

平野 伊藤先生のお話が楽しくて、つい聞き入ってしまいました。というのも僕は伊藤先生のミッションの対象であり、伊藤先生を信奉して、先生のテープを聞いて司法試験の勉強をしていました。当時付き合っていた彼女から「私と伊藤真先生とどっちが大事?」と怒られたこともあります(笑)。今、こうして龍谷大学で一緒に働けるなんてとても光栄です。
 法律家を目指したのは、小学校の時にイジメがあり、子ども心にこういう人間関係のあり方はおかしいと疑問をもったのです。なぜ、おかしいのか納得できる理由がわからない。いじめられている子をかばいたいけど腕力がないので、何度か一緒にいじめられたことがあります。5年生か6年生の社会科で憲法の基本的人権の尊重を習い、憲法という最高のルールでイジメが間違っていると言っている、自分がおかしいと思い続けたことに初めて納得できたのです。それ以来憲法に惚れ込みました。
 でも現実はイジメもなくならない。現実を憲法に近づける仕事がしたいと思い、最初は政治家になりたいと思いました。しかし、ニュースで見る政治家は汚職など悪い事ばかりしていると思い、やめました。子どもですから(笑)。次に、世界中に日本の憲法を伝えたいと外交官を目指しましたが、どうも平和とか共存という高邁な理想からは程遠い仕事も多いようだ。高校時代に、ある裁判官の自伝を読みまして、裁判官なら良心に忠実に仕事ができる、憲法に照らして仕事ができると裁判官を目指すことにしました。
 大学1年の時から、伊藤先生のカセットを購入して、4年生の時に合格しました。
身近な弱者のお手伝いを
村井 対象になるものに対して向かっていったのが平野さん、対して、億さんは自然に道筋がついた…。

 母は日本人なのですが、小さい頃からアイデンティティに対して、漠然とした得体の知れないものを感じていました。思春期の頃から「個人」とか「平等」が自分のテーマだ、何があっても考えることをやめない生き方がしたいと思ってきました。でも今、ようやく経済的にも安定して、家族もいて、私自身腑抜けてきたと反省しています(笑)。伊藤先生や平野先生が憲法に魅かれたとおっしゃった意味はよくわかりますが、私の場合は社会正義というより、小市民のお手伝いができないかなという動機です。

村井 憲法が真っ先にあったのが伊藤さんと平野さん。億さんは育ってきた環境で法律家を目指した。私も家が花柳界の真ん中でおしるこ屋をやっていましたから、苦労している人たちが周囲にたくさんいて、何とかしてあげたいと思った。当時、法律というのは強い人のためのものという先入観がありました。ところが市民法と社会法があって、社会法は弱者保護法だと知って、少し法律に関心が湧いたのです。

伊藤 ドイツでは日本人ということでいじめられましたし、移民の人たちもいじめられていました。でもドイツ人にもいい奴もいるし、とんでもない奴もいる。肌の色や国籍は関係ないな、一人ひとりが大事だなと思いました。僕の周りには小さい頃からアイツは変だといわれる友だちが寄って来た。人と違うことをすることが悪いことだという価値基準はもともとなかったのです。むしろ憲法は、私の場合も後からついてきたこと。
 学生にもよく言うのです。いろいろな経験をした人ほど法律は面白いし、役に立つ。もし、中学や高校で嫌な思いをしても、それを生かすことができるのが法律家です。大学入試に失敗してもそれが生きる仕事です。
多様な人が法律家になり法律を学んだ人が様々な世界で活躍する
村井 学問の基本は、いろいろな角度からいろいろな手段を使って見ること。でないと全体がつかめない。どこから見るのが一番かという富士山論争のように(笑)。多彩な専門の多彩な人が関わることでより深いものになる。研究者の抽象化した提案と実務家の具体的な経験とが相まっていいものができるはず。今日はうまい具合に4人ともそれぞれ動機や、やってきたことも違う。いろいろな経験が多様な法律家を形成するように、法律学という学問や教育もそうしたものだと思う。
 文学部や理工学部の出身者、社会経験を積んだ人に集まって欲しいし、教える側もいろいろな人が集まって教える。それが本来のロースクールだと思う。

平野 法学部から進む人も、自分の得意分野をつくって、いろいろな角度から事件を追う目を養うことができます。

伊藤 卒業した後の道も多様であって欲しいですね。世界では法律を学んだ政治家がたくさん活躍しています。私の塾の卒業生も、司法研修の後にベンチャーを起こした人もいます。NGO・NPOを含めて幅広いところで法律を生かして欲しいと思います。
実務家と研究者が互いの成果を生かし合う
写真 億
億 智栄
1992年龍谷大学法学部卒業。1997年司法試験合格。2000年、司法研修修了後、弁護士登録。大阪弁護士会所属。
村井 平野さんは大学で教鞭をとるために裁判官を退官された。伊藤さんも実務と手を切られた。

伊藤 どっちも中途半端になりますから、現在は塾での教育に専念しています。開塾当時は現実問題として、宣伝ということを弁護士法では禁じられていて、“伊藤真の司法試験塾”という掲げ方が問題になっていました。

 じゃあ、純粋な実務家は私だけ?

村井 そうなりますね(笑)。

 実務についておられないことは、コンプレックスになりませんか。教える時に、依頼者とのややこしい人間関係など、具体的な話はできないのでは。

伊藤 そうですね。そういう具体的な部分は現役の人にフォローしてもらっています。しかし、現役の弁護士であってもそれぞれの専門があるので、自分の経験の枠の中でしか教えられないし、すべての実務家が教えられるかというとそうではない。それぞれ限界があることを前提に話をするのが大事です。限界を知りつつ、それを打ち破って新しいものをつくるために得意な部分を持ち寄る――まさに龍大の法科大学院が目指そうとしている試みです。

村井 私がなぜ弁護士にならなかったかというと、司法修習生時代の研修先の弁護士があまり良くなかったから失望した(笑)。どういう理想で進むべきか、確たるものが見つからなかったのです。これまでは実務家と学者の理論がお互いに背を向けてきた、これからは両方が助け合う時代です。私も実務をいつかはやりたいと思ってきました。資格はあるけどさらに勉強したいという道や、実務家が大学へ戻って勉強し直すという道も法科大学院ではあり得る。
 ところで平野さんは実務を経験してから大学へ戻ってこられたわけですが、他の研究者とちょっと違うと思われる部分はありますか。

平野 そうですね。僕が研究して書く場合は、実務で必ず役に立つテーマで、実務家の解決のヒントになるような論文にしたいですね。

村井 それが実務をやっている人の感覚ですね。ずっと研究をしていた人はもっと形而上学的、現実はもっとどろどろした形而下学的。その中でより妥当なものは何だろうかという解決法を学問や理論の世界で反映していくべきですね。

平野 大学では、実際の判例を批判の対象としてきて、研究が実務に受け入れられるかどうかはあまり気にしないこともあったように思います。実務家と研究者が一緒に学生を育てていくロースクールは画期的であり、期待するものは大きいですね。

村井 これからは、教育実践での評価が要求されます。教育をきちんとやって成果を上げていく。法学教育をいかに行なうかという真剣なテーマのもと、大学教員も謙虚に受け止めて、相互に法学教育のあり方を構築していく必要がある。

 私も実際の事件で、学者や専門家のアドバイスが受けられたらどんなにいいだろうと思うことが度々あります。産学交流のように、相談しながらやっていければ訴訟も変わってくると思います。

村井 伊藤さんの立ち上げた「憲法研究所」はそういう性格があるわけですね。

伊藤 はい、まさにそうです。第一線の実務家と研究者がお互いの成果を生かす場でありたいと思います。憲法は抽象的ですから、実務の世界では憲法をテーマにすることはほとんどない。法廷で憲法を持ち出したら、負けと認めたようなものです(笑)。しかし、それは間違っていると思う。憲法の理論を堂々と掲げて、実務家と研究者の橋渡しをしたい。そして市民の方にも利用していただきたいと思っています。

村井 龍大では私がセンター長として「矯正・保護研究センター」を開設しました。我々の研究会は、弁護士さんなどの実務家から素材を提供してもらって考え方を深め、それを実務へ提供するという相互関係で進めています。具体的な事件の場合もそういう関係が密にならないといけない。平野さんが中心になって作ろうとしているのもそういう法律事務所ですね。

平野 アメリカのロースクールに付属する「リーガルクリニック」のように、龍大が運営する法律事務所をつくりたいと思っています。実際に相談を受けて学生が応対して書面を作成したり、法廷に行ったりする「臨床法学教育」です。大学としても地域に貢献できますし、教員と学生が協力して新しい実務を創り上げていきたいですね。

村井 トータルに機能することで可能性が広がります。
「覚える」のではなく「考える」力を導く
写真 村井
村井敏邦
1964年司法試験合格。1968年司法修習修了後、一橋大学法学部助手に。1973年同大講師に。1978年助教授。1984年教授。2000年4月、龍谷大学教授に。同年5月より日本刑法学会理事長。専門分野は刑事法。
伊藤 司法試験対策としても、具体的なイメージをもって勉強するのは効果的です。机の上で問題を解くだけではなく。

平野 自分の勉強が現実でどう役に立つのか目の前で実感できる…。よく誤解されるのですが「司法試験合格のために六法全書を丸暗記したの?」って(笑)。暗記は必要ではない。どこにどの条文があるかわかっていればいい。

村井 むしろこの条文は何のためにあるのか、自分なりに考えること。それが法律の基礎です。

伊藤 最近、何人かの弁護士の答えが分かれるのを面白がるテレビ番組がありますが、いいことですね。正解は一つではないということを一般に知らしめてくれた。法律は人間の生き方の投影であり、自分の価値観でいろいろな経験をすることが大事です。

村井 司法試験の勉強を始めたばかりの学生が「いろいろな説があって覚えるのが大変」と言うので、「覚えなくていい。どう考えるかだよ」と答えています。いろいろな考え方があるのを知って、分かれ道でどう選択するかがむしろ重要。

 ある意味、受験指導校では、すがりたい一心から“思考停止”に陥る部分があると思う。私は勉強の途中で引越しをしたのですが、いろいろな本をダンボールに入れてしまって手元にあったのは六法全書だけ。それだけで済むと思いましたね。思考停止をさせないような教育をしないと、いろいろな説に振り回される。
 そのためには個人的な指導が必要です。私もそばについてくれて目を開かせてもらった人がいます。思考停止すると与えられた知識が動き出すための扉が開けられない。

伊藤 幼稚園から日本の教育の問題点がそこにありますね。正解なんかないよ、自分で考えろと言われてもできない。教える側の工夫も必要で、若い人は純粋でいいものをもっていますから、それをうまく引き出してあげることですね。

 脳みそを耕してくれる人が必要です。スパイスになったり、扉を開ける方法をアドバイスしてくれたり。私の場合も曲がり角に3人くらいいました。

平野 教える人にとっても議論が役立つと思います。学生から思ってもいなかった意見が返ってくることもあります。

村井 そうですね。我々が当たり前に思っていたことが、学生に言われてそうではないとわかることもあります。教育はまさに相互関係です。受験指導校の友だちが大事というのも、年齢や立場に関わりなく相互に影響を受け合うから。柔軟な人を作ろうといいながら、教師の側の頭がまだまだ固い。

平野 裁判官もすぐ思考停止してしまう危険があります。過去の判例を見つけたら鵜呑みにしてしまう。僕も頭でっかちで論理的に割り切った思考パターンをもっているので、そうならないように反省しています。トラブルを抱えている人の立場になり、自分も被告人になり得るのだという姿勢をもたなければ。
法律のない社会が究極の理想
伊藤 法律は強い力をもっていますから、使う人はそれに比例して謙虚でないといけない。それを忘れると成長も止まります。法学部で法律を学ぶ人は人間を知り、謙虚な姿勢が大切です。素晴らしい法律があっても、もともと人間は不可解なもの、決して単純ではありません。そしてなおかつ、いいものを求めていく貪欲さも忘れてはならない。

 ロースクール構想は他人事と思っていたのですが、まさに自分の問題。弁護士だけの狭い世界にとどまっているのではなくもっといろんなところへ飛び出さないとダメだということがわかりました。弁護士というプライドだけで生きていく人は少数派になるかも知れない。私は53期の合格者ですが、もはやオールドタイプだと突きつけられている気がします。謙虚にならざるを得ないというか、怖い。

村井 そのためにまず、お互いを「先生」と呼び合うのはやめにしましょう。それが狭い社会をつくってきた要因です。たいへん難しい試験に合格したのですから、尊敬を受けて当たり前という意識を打破しないと、知識人の中で謙虚さは生まれないと思う。

 私にはとても村井さん、伊藤さんとは呼べません(笑)。

村井 同僚ではないですか。学生が教員を先生と呼ぶのは別です。“さん付け”でいきましょう。伊藤さんは、常々「法律家は社会の幸せの総量を増やす仕事である」とおっしゃっていますが。

伊藤 理不尽なことに対する解決に、まだまだ法律家が介入していません。人間は理不尽さを解消しないと、負のエネルギーがたまり妙な方向へ爆発して進んでしまいます。日本や世界中から理不尽を感じている人を減らすことが、幸せの総量を増やすことになるのです。

村井 そうですね。究極は法律のない世界が理想です。すべての人に幸せを行き渡らせると我々は失業するが、それが理想です。

 今の私は“トラブルが飯のタネ”なのですが(笑)。
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