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旅順博物館所蔵の大谷探検隊収集品の調査が2002年8月より本格的に始まった。竺沙雅章京都大学名誉教授の話に耳を傾ける日中双方の若手研究者たち(旅順博物館で)
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―先生ご自身にとって大谷光瑞とは?
こんなエピソードがあります。橘瑞超(第2・3次大谷探検隊)隊員に光瑞師が「砂漠はどうだった?」とたずねた。橘隊員が「砂ばかりでした」と答えたところ、「どんな砂だった?」と聞いたそうです。何も答えられなかった橘隊員はその後東京大学で地質学を勉強するのですが、とにかく徹底して物事を追求した方ですね。
伏見区桃山に、もと大谷家の別邸「三夜荘」が現存していて、先日、調査をする機会があったのですが、床下からヨーロッパ製の養蜂機材や東南アジアの鉱物資料が出てきました。地質学、教育学、言語学など多岐にわたって本物を求めた方ですから、人物像の全容も捉えきれていないのでは。探検隊が収集した植物標本も、専門家の方が見たらすごい価値があるものだとわかりましたから、今後も新たな発見があるでしょうね。
―ところで11月、龍大の山田明爾名誉教授と写真家の中淳志さん(龍大OB)が、バーミヤンより西にある遺跡を発見し、シルクロードの新ルートと話題になりましたね
シルクロードはインドから日本へ通じる“東”の研究は進んでいましたが、アフガニスタンのバーミヤンより“西”は確認されていませんでした。今回の発見は、仏教の伝播ルートを解明しようとした大谷探検隊の意志をつぐもの。光瑞師はアフガニスタンにも関心をもっていて、1896年ロシア留学に向かう渡辺哲信(第1次大谷探検隊)隊員にアフガニスタン調査を命じたのですが、国情が悪く入れなかった経緯があります。まだまだ“西”の遺跡はいくつか残っているはずですよ。
―今後の研究のゆくえ、そして龍大の使命は?
中国、韓国、ドイツと共同研究をさらに進めていきますが、それぞれの国同士はあまり交流がありませんから、龍大がイニシアティブをとって進めていかなければならないでしょうね。国際的な共同研究で飛躍的に解明が進むことが期待できます。そして、中国・韓国・日本の大谷コレクションが一堂に会し、公開できるようにしたい。この3年間はまさに“新たな始まり”を実感させてくれました。龍大は「中央アジア出土の生の資料」をもつ日本で唯一の研究機関ですから、その責任は大きいと感じています。
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