ホット・アングル 仏教伝播ルートに新発見!
ケリガン寺院跡全景。南北58m、東西47m。
2階建て。東北と西北の角を切り取った不正六角形をしている。
 
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  壁画があったチル・ボルジ城砦跡。周辺に仏教石窟や寺院跡らしい建造物がある。

龍大OBが遺跡を発見
 世界文化遺産、バーミヤン遺跡。従来、アフガニスタン最西端の仏教遺跡として知られていた――。
ところが2003年6月、アフガニスタンを訪れた本学OBの写真家・中淳志さん(1982年法学部卒業)が、中央部の山岳地帯に住むハザラ族(モンゴル系の少数民族)の情報を得て、バーミヤンから西へ120kmのケリガンというところに仏教寺院らしき遺跡を発見。
 さらに、ケリガンの寺院跡から西へ6キロの尾根の所に、チル・ボルジ(40の塔の意)と呼ばれる壁画を伴った巨大な城砦跡を見つけた。
 その後、10月22日から11月8日にかけて、山田明爾名誉教授(仏教学)とともに調査に入った結果、このケリガン遺跡が巨大なストゥーパと呼ばれる仏舎利塔(釈迦の骨を納めた塔)を伴った仏教寺院跡であることがわかった。
 また、城砦に隣接する区画(一辺100m以上の塀(ぶつがん)で囲まれている)には、中央に仏龕(仏像を安置する場所)を有する構造物を伴う広大な区画があった。石窟寺院も併せて発見され、ここが仏教施設の可能性が高い建物であることが判明した。

 
写真2  
寺院跡の仏塔。鼓胴部に帯状の列龕帯(れつがんたい)がある。中央に盗掘坑が見える。仏舎利塔は高さ8.5m、直径7.7mもある。  
空白の地に新たな光
 これまで、アフガニスタン中央部のバーミヤンより西に仏教遺跡があることは報告されていない。
 つまり、この遺跡は1930年代にフランスが行なった本格的考古調査以後、今日まで発見されていなかった、アフガニスタン最西端の仏教遺跡であるということになる。このことは、バーミヤンより西にもかつては重要な交易路が延びていたことを示すものであり、従来空白だったこの地に新たな光を投げかけるものである。さらには仏教伝播史に新たな展開が予想される。
 今回の画期的な発見を受けて、龍谷大学では調査チームを組織。夏以降、現地で本格調査に乗り出す予定である。大学としては1990年代に行なった「仏教初伝南方ルート調査」以来の大がかりなものとなる。
 調査では、自分たちの地域の歴史について認識してもらうため、現地の人々の手により遺跡発掘する方法を採用し、今後、土地の人々の誇りと生活の安定に寄与することを目指す。さらに100年前、仏教伝来ルートの検証とイスラムによる仏教寺院の破壊の現状を調べるために組織された「大谷探検隊」が断念したアフガニスタン踏査を受け継ぐ意義も併せ持つ。
 古代中央アジアでの仏教伝播史や東西文化史の従来の常識を覆すこの仏教遺跡の発見・調査は、各国関係学者のみならず、多くの分野から注目され、期待が寄せられている。
 
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  アフガニスタン周辺地図。バーミヤンへはカーブルから車で8時間。日本からの直行便はなく、イスラマバードかデリー経由で行く。
日本に対する大きな期待
 中さんは2002年6月、イスラム原理主義勢力タリバンによって破壊されたバーミヤンの仏教石窟群を綿密に調査し、世界で最初にその破壊状況と残存壁画の全般を報告。高い評価を受けた写真家である。
 しばしば現地を訪れ、ハザラ族との交流の中で、「アジアで唯一のG7(先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議)の国として、アフガニスタンの現状を訴えて欲しい」と求められるなど、人々の日本に対する期待は大きいと語る。
 「今回、OBの私が発見した遺跡群を母校が調査することになり、誇りに思います。将来的にここは、バーミヤンからバンティアミール湖を経て、世界遺産・ジャムのミナレット(イスラムの尖塔)を巡る観光ルートに組み込まれることになるでしょう。資源を持たず、貧困に苦しむアフガニスタンは、エジプトやネパールのような『観光立国』を目指すしかない。雄大な自然を満喫しつつ数多くの遺跡を結ぶこのルートは、充分に魅力があります」と調査の進展やアフガニスタンの将来に大きな期待を寄せる。
写真4
緊急報告会を開催
 
 1月10日、毎日新聞オーバルホールで『バーミヤン西方仏教遺跡が語るもの』と題し、500人近い満席の会場で緊急報告会が行なわれた。まず中淳志さんが現地の写真を紹介しながら報告を行ない、山田明爾名誉教授の基調講演ののち、入澤崇経営学部教授と樋口隆康京都大学名誉教授を交え、パネル討論が行なわれた。来場者は、日本から約7千km彼方の地に思いを巡らせていた。
 
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