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経営学部 佐藤研司教授
広告代理店勤務の後、96年龍大着任。企業の具体的な戦略事例を中心に、実務経験に基づいた独自のマーケティング論を展開。01年、02年RECセンター長を務め、REC京都オープンに際しては地域企業のビジネスサポートに主眼を置く。
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佐藤 今日は在学中、あるいは卒業後、「起業」という形で自らの目標や夢を追いかけている方々に集まってもらいました。座談会というより”雑談会“として、日頃感じていることを好き勝手に話し合う場にしたいと思います。まず、自己紹介をかねて起業のきっかけを教えてください。会社を立ち上げた順番でいきましょう。
渡辺 96年に起業しました。ウェブマックスという主にホームページをつくる会社をしています。僕は歴史が好きで歴史学者になろうと思って龍大に入り、博士課程まで修了したのですが、ぶっちゃけ、仕事がなかったんですよ。
ある時、非常勤講師として歴史を教えていた高校で情報教室を立ち上げることになって、唯一、コンピュータがわかるのが僕だった。月給12、〜13万円で授業もコンピュータのシステムづくりもやっていたのですが、友人から「その仕事なら相場は1日30万円やで」と聞いてびっくり。値上げを要求したところ、4月から上げてやるといわれて期待していたら、逆に授業が減って7万円になっていた。その7万円を握って「会社つくります、教えてください」と法務局に行ったのがきっかけ。ホームページづくりの経験があったので合資会社を立ち上げました。歴史学者になる予定だったのに、7万円で急に人生が変わってしまいました(笑)。
笠嶋 僕は00年の立ち上げです。大学院の時で、瀬田キャンパスにあるレンタルラボに入れてもらってシステム開発の会社を始めました。最初は企業の受発注管理などのソフトウェア開発が中心だったのですが、現在はハードも手掛けるようになり、大学とも共同開発を進めています。
僕の実家は北海道のお寺で両親ともに龍大出身。しかし、そのままお寺を継ぐだけが僧侶の道とは限りません。幸い、寺は弟が継いでくれることになりました。
土井 01年、4年生の時にインターネットなどの電子媒体を使った出版を支援する会社「電版」を立ち上げました。今
、大学は休学中で、たぶん7年生ぐらいになっているのでしょうが、年齢も分からなくなっています(笑)。大学に戻ろうと思いながら急に仕事が入ったりして、予定が狂った結果です。
父が龍大文学部で『情報出版学』を教えていました。96年、97年頃はインターネットが急速に普及して盛り上がった時代。父と僕は仲が良くて、いつもこれからの情報とは何か、とか話し合っていました。父がガンになった後、父のビジネスプランで会社をつくる約束をしたのがこの電版。父の理論と僕のコンピュータ技術、両輪で走るつもりが、父が亡くなって片輪になってしまいましたが、とにかくやるしかなかった。お金を稼ぐために突っ走ってしまった今、反省をしているところ。最初の方向に戻したいと思っています。
森下 03年の秋に、伏見区の商店街で委託販売の小箱ショップ「たまり場」を友人と始めました。ゼミで地域活性化のために竜馬通り商店街に通うようになっていたのですが、空き店舗が1つあった。後先考えず手を上げたのがきっかけ。起業が目的だから何をしたらいいかわからない。小箱というスペースを貸して、委託販売するという今の形態に決めるまで、ずいぶん悩みました。
渡辺 てっきり箱を売っているのかと思った(笑)。
近藤 僕は04年龍大を卒業して、4月に株式会社の登記をしたばかり。活動を始めたのは昨年の8月からで、オフィス街に車で出向いてコーヒーを1杯100円で販売しています。フランチャイズ化もスタートし、7月からは店舗事業も展開するつもりです。
起業という意識を持ったのは、3年生の時にRECが主催する学生の起業を支援するための「プレゼン龍」に優勝したことが大きかったですね。駅のトイレで用を足している間、目の前に液晶広告を展開するというプランでした。今の仕事とは関係ないですけど、あの時のうれしさが自信につながったのだと思います。
佐藤 渡辺さんの場合は7万円を握っての起業で必然といえば必然。他にないよね、選択肢は(笑)。皆さんは就職という選択肢は?
笠嶋 ゼロでしたね。資本を得たいという目的で起業しましたから。好きなことしかしないのがポリシー。クライアントや社員と一緒に楽しんで仕事をしたい。僕は養護施設をつくりたいという目標を持っています。採算も十分に考えたプランはすでにできています。
近藤 就職の内定をもらっていましたから、僕の場合、選択肢はありました。起業のきっかけは、知り合いにいいコーヒー豆を卸している会社があったこと。とてもおいしい、売ろうじゃないか、ということで友だち4人と始めました。店舗をつくるにはお金がかかるので、車で売り始めたのです。 |