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この地図は、明の建文4(1402)年、李氏朝鮮で作成されたもので、現存最古の世界地図だ。地図の下段に記される由来によると、朝鮮使として明に派遣された金士衡という官僚が、1399年に2種類の地図を国へ持ち帰った。それは李沢民の『声教広被図』と、仏僧である清濬の『混一疆理図』で、それらを合わせ、さらに朝鮮と日本を描き加えたものである。 ここには、西はアフリカ大陸、ヨーロッパ、中東から、東は中国、朝鮮、日本まで、北はロシア、モンゴル高原、南は東南アジア、インド洋までが描かれている。この基となった地図は、13〜14世紀に朝鮮半島からビルマ、タイに至る巨大帝国を形成したモンゴルが、その統治下の中華地方で作成され、民間にも流通していたとみられる。 この地図には不思議な点が数多く存在する。まずは、日本列島。九州を北にして90度傾いた南北に長い国として描かれている。魏志倭人伝では、邪馬台国が北九州沿岸の国から、南の方向にあると記述されているが、この地図で南に進むと畿内方面に至ることから、「邪馬台国畿内説」の論拠の一つとなっている。 それでも、なぜ日本列島が南に転倒しているのだろうか。それは、15世紀の初頭に、李氏朝鮮の廷臣である権近が、西を上方にして描かれた日本を具体的に書き表した最古の地図「行基図」を、不用意に挿入してしまったためだそうだ。 日本の向き以上に注目したいのは、西方である。ヨーロッパには地中海が描かれ、アフリカが海に囲まれて描かれている。ヨーロッパ列国が、新航路・新大陸を発見した大航海時代の最中、ポルトガル人のバルトロメロウ・ディアスが喜望峰を発見したのが、1488年のこと。その発見よりさかのぼる80年以上前、この地図にはその姿がハッキリと描かれているのだ。さらに、描かれた大地そのものが、その三方を海に囲まれている。今では当たり前のことだが、600年以上も前、モンゴル帝国統治下であった中国では、すでにユーラシアとアフリカが海洋を巡らしていたことをしっかり認識していたのだ。 このように、ここには、歴史が塗り替えられてしまう大発見が、数多く潜んでいる。時間や空間を超え、多様で膨大な情報が盛り込められた、まさに巨大な「歴史文献」と言えよう。
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