![]() |
理工学部、社会学部に続いて瀬田キャンパスに 国際文化学部が開設されてちょうど10年。 その背景には龍谷大学の大きな夢があった。 国際文化学部開設の意図やその後10年の歩み、 そして来るべき10年に向けた学部改革の構想について、 開設検討時の学長と新学部設置委員会委員、 そして歴代学部長に語ってもらった。 壮大な夢と共に生み出された新たな学問分野「国際文化学」
信楽 龍谷大学は深草へ進出してからさまざまな学部を新設、大学院を設置するなど、前向きに走り続けてきました。大学創立350年の節目として平成元年に設立されたのが瀬田キャンパスです。当時、武村正義・滋賀県知事が経済学部の非常勤講師だったこともあって、滋賀県と大津市から理工系学部を新設してほしいとの誘いがあったんです。瀬田キャンパス6万坪を無償で提供、60億円の資金も提供するからと。瀬田以外に湖西にも候補地(後に成安造形大学が進出)がありましたが、千葉乗隆学長の判断で瀬田になりました。湖西の候補地は立地として北過ぎるし、学長の専門的見地から湖西の地は遺跡が出るかもしれないからと。 河村 龍谷大学第二次長期計画(1985〜1990)での西本願寺の精神的バックグラウンドは大きくて、理系、それも医学部などの生命系の学部を持ちたいというものでした。でも、結論は財政的にムリ。当時考えていた新設学部は宗教学部と社会学部のどちらかで、まずそれを新設、資金を蓄えた後、21世紀になってから理工学部や生命系の学部をつくろうと考えていました。そう決定しかけていた1985年1月、滋賀県から理工学部を設置してもらえないかの打診があり、それに乗ったのです。 当時、瀬田キャンパスは龍谷大学にとって、とても重要で実験的意味合いの強いものだと考えており、将来は理工学部以外に増えていくだろうから、新たな可能性を開く学部として社会学部も設置しようということになりました。社会学は人間の日常生活での現実的な問題を扱う実践的側面がありますから。ここまでが第二次長期計画による動きですね。 上山 新しい学部をつくるのは大変なことで、最初は滋賀には醸造や薬品の産業があるのでバイオテクノロジーをやろうという話も出ましたね。 信楽 いろいろ調査しましたね。 河村 瀬田キャンパスを実践と直接結びついた学問の場、新しい学問分野をつくり出す場にしたかったこともあって、国際文化学部もこれまでにない学問分野の創出を狙いました。理工学部をつくった時に、理学と工学が融合した新しい学問分野をつくろうとしたように。 国際文化学部は、「文化」「国際」「情報」をキーワードに、既存学部との連携を勘案した文理融合の学際学部です。現実に存在するのは個々の文化であり、世界中のどこを探しても「国際文化」なる文化は存在しません。これを異文化のコミュニケーションと理解して、異文化間の意志の疎通を図る学問の樹立を目指したわけです。方法論はコミュニケーションとしての語学と、コンピューターを使った分析能力。 そして、あくまでも現場とリンクした学問であり、カリキュラムも従来の学部とは違うものにしたいと考えました。これまでは国際関係を政治・経済中心に見てきたけれど、これからは文化を中心に理解できる人間が大切だと考えたからです。 精神的な面を含めた人と文化の交流、国際協力が緊急の課題だと考え、互いの固有の文化を尊重しながら、全人類が共存しうる新しい世界、新しい価値観の創造を狙ったわけです。 信楽 当時、私がお願いしたのは、龍谷大学の建学の精神である仏教と、キリスト教、イスラム教の3つを国際文化の基本の柱にしてほしいということです。21世紀は宗教の世紀ですから。最終段階で文部省(現文部科学省)の委員会へ出席して、「国際文化をテーマにした学部は既にたくさんあるが、よその大学では成立し得ない学部をつくるんだ」と一席ぶったのを覚えています。 御前 他大学の国際文化は外国語学部や一般教養の作り替えでした。宗教を核に据えてコンピューターを使ってのコミュニケーションまで含めたものは、他になかったですよ。 上山 信楽先生がおっしゃったように、3つの宗教が根底にあるから、これを忘れないようにしないといけない。文化は平面的に考えるのではなく、必ず宗教の底辺があって文化が形成されている。宗教が分からずになぜ文化が分かるのか、それをここで学ぶんだ、と。 信楽 今一番問題になっているイラクの問題だって、結局は宗教問題ですからね。私は国際文化学部は仏教学科を包み込んで立ち上げたかったんです。仏教学科を核にしてやれば350年の伝統が生きますから。だから大宮キャンパスの仏教学科は瀬田に出てくるべきだと主張したんです。 上山 仏教学は瀬田へ来いというのは信楽先生のすごい発想でしたね。 信楽 実現しなかったのはとても残念ですが…。 須藤 アフラシア平和開発研究センター(本誌P24参照)が今年4月から動き始めています。これと国際文化学部、研究科が連携した活動が動き出すと思いますよ。 信楽 あと数年で親鸞聖人が往生を遂げられて750年を迎えます。2009年には龍谷大学は370周年を迎えます。このときに龍谷大学のさらなる発展のための動きが国際文化学部であればいいですね。 上山 これまでの学者は欧米的な発想法と価値観で研究をやってきた人がほとんどです。でも、これからはなぜ東洋か、なぜ仏教かを真剣に考えていく必要があると思いますね。 河村 龍谷大学の国際文化学部が他大学と特に違うのは一般教養の焼き直しではなく、私たちの理想や夢をすべてぶち込んだことでしょうね。理論的にもきちんとプレゼンテーションできています。 しかも、コアになるシニアの先生以外は原則公募。そのための新聞広告も出しました。「国籍、性別はもちろん学歴も不問。しかし、こういう熱意のある人…」という異例の広告でした。教員のリクルートの方法でも、これまでの日本の大学の在り方を変えたいと思ったからです。 教員の公募には1000人が資料を請求し、最終的には600人近い人が応募してくれました。まず、各要素を数量化して面接する人を選抜、人事委員会は数量化で落とした人を復活させるのが仕事でした。最終的に60人ほどを面接して34人を採用しました。アフリカやフランスに滞在の人にも旅費を払って来てもらい、面接しましたね。3分の1は女性、3分の1はノン・ジャパニーズの採用方針を貫き、結局、採用教員34人のうち9人が女性教員22人が外国籍で、日本人の教員もほとんどが英語を自由に使いこなせる人たちでした。 須藤 実は私も応募したうちの1人で、面接官は御前先生でしたよ(笑)。それにしても、これほど大きな夢を持って国際文化学部が設立されたにもかかわらず、そのことは学部の先生もほとんど知らないのではないでしょうか。ちょっと残念ですね。 夢を実現させるためにはカリキュラムの構成がとても大切です。コース分けは日本文化、アジア文化、欧米文化の3つ。欧米をひとくくりにして、アジアと日本はそれぞれ独立させたのが特徴です。そして、それぞれのコースに生活、芸術、文明、思想の4つの領域を重ねて、12元マトリックスのカリキュラム構成をとりました。語学には日本語、英語、フランス語、中国語のほかにコリア語も入れました。 基本的には異文化を理解し、尊重する人材を育成するのが狙いで、そのために語学は道具として絶対に必要であり、必ず身に付けてほしいと。これにコンピューターの基礎とそれを使った社会調査法の基礎を必修科目にしたんです。 念願の国際文化学会も誕生10年で確立した学問的基盤 須藤 国際文化学部が誕生して4〜5年たったころ、松井学部長の時代に3つのコース分けを廃止しようということになりました。学生がコース分けに縛られて、自分の学びたい学問が学べないからと。今は、基本的な部分は踏襲しながらも、コース制を取り払ったものになっています。 松井 国際文化学部の理念とカリキュラムは素晴らしいものだと思いますね。特に文化を生活、芸術、文明、思想の4つの領域に分けるコンセプトはユニークです。 ただ、問題は集まってきた先生方が各々の専門分野を持っていて、「国際文化学部って何ですか」というところからスタートしなければならない点。理念と現実のギャップですね。先生も戸惑いますが、学生も戸惑う。カリキュラムはできても、それを理想どおり展開できないきらいがありました。先生も国際文化学とは何かを学生と一緒に学ぶくらいのつもりで取り組む必要がありました。 上山 大学院で学位論文を書くとき、各分野をつまみ食いしたような専門性の少ないものが散見されます。現在、学位は専門性に対して授与されます。現在の国際文化学部では方法論と専門性の確立が課題であるような気もしますね。学際的領域での専門性の確立は、現実的な必要性は非常に高いにもかかわらず、難しい問題ですからね。 松井 比嘉正範初代学部長が書かれた「国際文化学部でやらなければならないこと」というA4判1枚のリストがあり、私はそれを実現することを目指しました。15項目ほどあって、例えば「国際文化学会をつくりたい」は、2001年11月に実現できました。学会ができて以来、国際文化学とはどういうものか、かなり輪郭がはっきりしてきました。深みのある学問なんです。 新しい試みとしては、まず、学生の就職のことを考え、学芸員や英語の教員免許の資格を取得できるようにしました。また、英語をネイティブとする先生が多い点を活用して、プロフェッショナル・イングリッシュコース(以下PEC/原則として4年間すべて英語による授業とする)で、ビジネスの現場で実際に役立つ英語を学べるようにもしました。 しかし、これまでになかった学問分野を開拓しているだけに、学部生、大学院生ともに就職活動では、その内容説明に時間がかかっているようです。 留学生が多いことも本学部の特徴ですが、その9割が中国人なので、もっといろんな国から受け入れて多様化する必要もあるでしょう。そのために日本とアジアの文化について、英語で勉強ができる半年のコースやJASプログラムも作りましたが、これは半年のコースで海外から留学生に来てもらおうというものです。 河村 従来の学問分野は専門性を深めた上で視野を広げていくスタイルです。一方、国際文化学部は幅広い研究の中から深い専門性を追究していくスタイルだと言え、逆のアプローチ故の強味があるのではないでしょうか。 御前 国際文化学部は、これから学生が育って社会の各分野で活動していく中で初めて、学問領域的にも教育的にも確立されていくんじゃないですか。社会、特に就職先からも、こんなすばらしい活躍のできる人材を育てる学部として見直されるんだと思います。 松井 国際文化学と近い既存学問分野に文化人類学、国際関係論、比較文化、文化理解などがあります。そこでさらに専門性を深めるという道もあります。しかし、できるだけ早く、国際文化学が社会的に認知され、これを専攻するようなところへの就職が望まれます。 須藤 専門性を意識して学ばないと、なかなか自分の位置が見えにくいですね。就職活動の面接で「要するに何を勉強してきたか」を問われて、考え込んでしまう学生がいます。 河村 いろんな分野を多角的に勉強していくために、最初に全体像、構造を理解させることが肝心です。例えば、「文化の構造として生活、芸術、文明、思想の4つがあり、全体の社会を理解する上で重要な要素になっている。それらを自分のものとするためには、コミュニケーション能力としての言語、さらには分析能力があって初めて可能になる」という前提のうえで、自分は今コレを勉強しているんだ、と。そうすれば「何を勉強したのか」という迷いはなくなると思います。 松井 1年生の基礎演習で半年かけて「国際文化論」というテキストを使い、国際文化とは何かの講義をしました。すると、文化ってこんなに深いものだとは知らなかったと言う学生がいました。最初に全体像をきちんと提示することは極めて大切なことです。 上山 そのためには、例えば仏教1つとっても、仏教だけを教える先生ではなく、文化とからめて教えられる先生が必要ですね。 松井 私も国際文化学部に来るまでは、国際文化学とはどういうことをやるのかを知りませんでした。やってみて、これまで自分がやってきたことと深い関係があることが分かりました。今はこの10年間に自分で学んだことを生かして論文を書こうと思っています。 国際文化学は学問の中の学問という感じですから、既に法学や経済学を修めた人、一度社会に出て再び大学で学ぶ人などに向いている学問かもしれません。 信楽 海外の大学のプログラムもどんどん利用したらいいと思いますよ。 河村 現在、国際文化学部から常時30名ほどが北米へ留学しています。 信楽 逆に日本の仏教を学びたいという海外の学生を受け入れる場としても、国際文化学部は最適だと思いますね。 須藤 今年は8名受け入れてますが、すべて文学部で学んでいますからね。 上山 今、国際文化学部はこんなことをやろうとしている、こう変わりつつある…といった意欲が外部の人に見えるようにすることも大事でしょう。 教員間の連携によって、国際文化学の方法論を強化する 須藤 現在、国際文化学部のこれからの10年をどうやっていくかのプランを検討しています。 壮大な夢の一方で、現実として乗り越えなければならない問題が出てきているのも事実だからです。それは学生の基礎学力の低下。学生の専門知識や職業に関する専門技術の欠如です。 また、教員も一人ひとりは素晴らしい先生でも、教員間の連携がなかなかうまくいかず、学生たちはここで何を勉強するのか、勉強してどうするのかなどのロードマップができていないきらいがあります。個々の先生の努力によって成り立っているのが現状だけに、教員が力を合わせて教育や研究面で特色を出していかなければなりません。学生の目標設定とその目標を達成するためのロードマップの作成、つまり、入口から出口まで、どういう形で学生を指導していくかの問題が今、クローズアップされてきています。特に2006年度には「ゆとり教育を受けた学生」が入ってきます。学生間のばらつきが一層大きくなりそうで、この問題は急務と言えるでしょう。 また、開設後10年たったため、定年で辞められる先生が大量に出ている点も考えないといけません。補充人事をするには学部の目標を明確にする必要があります。定員360名で出発した国際文化学部の定員を他学部と足並みをそろえて500名近くにするにも、学部の目標設定が不可欠です。 そこで、具体的に3つの目標を設定しました。1つは「語学を活用して仕事ができる職業人の育成」、2つ目は「国際協力にかかわる職業人の育成」、3つ目は「異文化を理解・尊重できる教養ある人材の育成」です。 学部構成も、PECを学科として独立させ、現場を大事にする考え方から国際協力平和学科を創設し、これに従来の国際文化学科の3学科制にして、それぞれ60名、60名、300名、これに15名の編入を加えて435名の定員にしてはどうかという案が出ています。 もう一つの案は学科を国際協力学科と国際文化学科の2つにして、前者にPECと語学教育コース、国際協力コース、後者に表現・メディアコース、芸術・思想・文化、地域・生態の3つのコースを設けるというものです。 さらに、アジアとアフリカを含めた「アフラシア」の専門領域をつくり、京都学、近江学からアフラシアまで幅広い領域を用意して国際文化学科の足元を固めるなど…。 河村 学科制は外から見ると分かりやすいのですが、あくまでも運営は学部単位でやったほうがいいでしょう。学科制はどうしても学科ごとの利害集団化しがちですから。 御前 最近では文部科学省も柔軟化していて、本学がコース制に託した目的が学科分けのもとでも叶えられるようになってきたですね。 須藤 入学式後の保護者との懇談でよく指摘されるのは、「国際文化学部で何を勉強するのかよく分からない」という点です。国際文化学部は「何かありそうだ」「新しい分野だ」ということで注目されてきたのですが、そろそろ内容をより明確に提示する時期になっていると思います。 信楽 特進コースなどをつくって、授業料以外に多少お金がかかってもいいから、1年か2年海外で実地研修をするといった、思い切った内容のカリキュラムをつくるのも手でしょう。本人に確実に還元できる出費だと分かれば、多少のお金は出すものです。 河村 子どもの関係で全米大学機構のオリエンテーションに行って知ったのですが特別の費用を払うと、修士を取った日本人をアドバイザーに付けてくれ、3回生の夏には就職の特別サポートまでしてくれるプログラムも提供されます。龍谷大学でも、特定のプログラムを作って独自の対応をしたらどうでしょうか。 それと、PECを学科にするのではなく、国際文化学部に入りさえすれば、誰もがPECを利用できるチャンスがある方がいいでしょう。PECにはそれだけ値打ちがあると思いますから。 信楽 大学の単位がムリなら学部独自でやるくらいの気持ちで思い切ったトライアルを断行、新たな夢を掲げるべきでしょうね。ちょうど10年前に壮大な夢を掲げて国際文化学部が誕生したときのように。 須藤 貴重なご意見をいただき、本日はどうもありがとうございました。
|