龍谷 2006 No.61

HOT Angle / 龍谷大学第1次アフガニスタン学術調査隊 バーミヤーン西方で、新たな仏教遺跡を発見

「サレ・スム石窟」の全景
今回新たに発見された仏教遺跡「サレ・スム石窟」の全景。内部は通路でつながれ、4層7窟からなる

 龍谷大学第1次アフガニスタン学術調査隊は、バーミヤーン石窟の西150kmのバンデ・アミール川沿いに、土地の人から「サレ・スム」と呼ばれる石窟(右写真)を発見した。
 この石窟は、今回の調査結果などを踏まえると、8世紀ごろの造営であることや仏教に関連した遺構を持つことなどが確認された。また近年、上流域のヤッカウランガ周辺からも仏教の特徴を示す遺跡・遺構や出土品が報告されており、今回発見されたサレ・スム石窟を含め、そこにはバーミヤーンとは異なる未知の仏教圏が存在したのではないかと思われる。
 今回の調査は、2005年2月、本学がアフガニスタン情報文化観光省国立考古学研究所と締結した5カ年にわたる学術協定に基づくもの。今回の調査隊は、代表である入澤崇教授、山田明爾名誉教授、井上陽研究員、写真家の中淳志氏の4名と、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の支援の下、アフガニスタン情報文化観光省やこれに属する考古学研究所の研究員たちで編成された。調査期間は2005年10月下旬から11月上旬の2週間、その目的は「バンデ・アミール川上流域における古代ルートと遺跡の調査」であった。

第1次アフガニスタン学術調査隊
第1次アフガニスタン学術調査隊(チル・ボルジ城砦跡前)

内部の通路で連なる石窟

 サレ・スム石窟を発見したのは予定の調査日程をほぼ終了し、バーミヤーンへの帰路に着いた11月1日のことであった。ヤッカウランガの西40km、ケリガン仏寺跡の西1km、チル・ボルジ城砦跡の東10km弱、バンデ・アミール川を挟む山の北壁に穿たれていた。
 サレ・スム石窟の構造は、不規則に並んだ石窟が通路によって繋がる4層7窟からなる。第1層に主窟、第2層に踊り場、第3層に通路2ヶ所に明かり窓を伴い並行して3窟、第4層に大きな1窟とその横にもう1窟がある。第1層の石窟は奥行き約16m、幅約4.6mの長方形で、かまぼこ形の天井を持ち、全7窟中で最大である。また、奥壁には幅240cm、高さ120cmの仏像を安置するための龕が設けられている。これを含め龕を設けた石窟は全7窟のうち4窟に見られる。
 この石窟の何よりの特徴は、不規則に並んだ石窟が通路によって繋がっていることである。この特徴を示すものはバーミヤーン石窟にも見られ、ガズニ近郊のカラバーグ・ジャーグリー地区の石窟群、さらにアフガニスタン北西部からトルクメニスタンへ流れるムルガーブ沿いの石窟とも共通する。仮にこれらの石窟が相互に関連する仏教施設だとしたら、それらをつなぐ「道」を抜きに語ることは不可能である。今後の調査によっては、従来、考えられてこなかった新たな仏教伝播ルートを提示することにもなる。
 しかしながら、アフガニスタンの砂漠世界は人を容易に近づけるものではない。かつて「文明の十字路」と呼ばれたアフガニスタンにあって、仏教は確実に根を下ろしたが、時はその姿を砂の中に埋めてしまった。覆われた砂を取り除き、その全貌を明らかにするにはかなりの時間を要するであろう。
(調査隊員・本学研究員 井上陽)


アフガニスタン学術調査報告会を開催
アフガニスタン学術調査報告会 1月12日、大宮学舎清和館にて、今回の学術調査にかかる調査報告会を開催した。報告会では、調査隊のメンバーら4人がそれぞれ講演し、新たに発見した「サレ・スム石窟」の概要や仏教西伝の可能性、仏教とイスラームの共存などを現地の写真や図などを交えて詳しく報告した。

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