龍谷 2006 No.62
シリーズ 龍谷の至宝3 『三十六歌仙畫帖』

シリーズ 龍谷の至宝3 『三十六歌仙畫帖』 シリーズ 龍谷の至宝3 『三十六歌仙畫帖』

 『三十六歌仙絵』は、平安時代中期の歌人藤原公任が三十六歌仙を撰んだ『三十六人撰』に基づいて、その歌仙の姿と詠んだ和歌を書いた「歌仙絵」の代表的な作品である。そもそも「歌仙絵」は歌合形式に歌人の姿と和歌を描いたもので、平安末期から盛んに作られるようになったものである。
 これは平安末期以降の歌合や肖像画の隆盛に相まって盛んになったものであるが、鎌倉・室町時代には、『新三十六歌仙絵』『中古三十六歌仙絵』『女房三十六歌仙絵』など次々に新種の「歌仙絵」が作られている。
 『三十六歌仙絵』の現存本で最も著名なものに、鎌倉時代の画家で歌人の藤原信実が描いたとされる佐竹本『三十六歌仙絵』がある。時代は下がるが、本学図書館にも、江戸時代に絵を狩野益信が描き、和歌を賀茂真渕が書いたとされる『三十六歌仙絵』二巻が収蔵されている。
 さて、この度紹介する『三十六歌仙畫帖』は、折帖装の一冊、表紙は唐草模様の緞子装、見返しは金泥模様入、裏には金切箔を散らしている。歌仙の絵は絹本に彩色され、和歌は金の霞を散らした料紙に墨書きされている。見開きに和歌と絵が対になる形で貼り込まれ、絵の左下に「探幽」の正方形の朱印の落款がある。巻末には「飛鳥井雅章卿三拾六人歌仙」と墨書きされた古筆分家の極札が貼付されている。
 和歌を墨書きしたとされる飛鳥井雅章(1611〜79)は、古今伝授を受けた江戸時代前期の歌人で、後水尾院の古典講釈の聞書などを残した公家である。その筆跡から極礼の鑑定にほぼ間違いないものと思われるが、絵を描いたとされる狩野探幽(1603〜74)については、落款はあっても確証が持てない。しかし、歌仙の絵は、衣装や調度の細部まで精密に描かれた美しいもので、和歌の筆とともに小品ではあるが雅趣に富んだものである。
 ここにあげた絵と歌は本画帖の中、「六歌仙」並びに「三十六歌仙」の一人、小野小町のものである。和歌は小町の代表作で、百人一首にも入っている「花の色はうつりにけりないたづらにわが身よにふるながめせしまに」の歌である。自分の容色のおとろえを嘆く意と、散りゆく花を惜しむ意を重ねて詠んだ名歌である。
(文・大取一馬文学部教授)



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