龍谷 2007 No.63

いのちの絆 自殺をふみとどまるために

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 自殺は、現実世界で抱えきれない問題を解決するためにとる最後の決断です。
 どうすれば自殺にいたらずに、ふんばれるのでしょうか。自殺にはどこかに苦しみの終了を急ぎ求める気持ちがあります。ひとは独りで生きているのではありません。他の誰かに生かされています。一人のいのちは、自分だけのいのちではなく、愛する人々にとっても尊いいのちです。心が塞がれても、身体は生きようとしています。悩んでいても、お腹がすき、トイレにも行きたくなります。どんなに悩んでいても、身体のなかから、「生きたい」と叫んでいるのでしょう。その時は、自殺しか解決の方法がないように見えても、身体の声を聞き、日月の光を受けて、あなたが生きることそのものが、本当の解決になることを信じてほしいと思います。そのときどれだけ未来が閉塞しているように思えても、縁によって、これからどんな人生が開けてくるかはわかりません。あなたがそのままで願われた存在であることを仏は黙って微笑んで知らせてくれます。

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宮沢賢治の物語

 いじめの虚しさと人間の尊さを考えさせてくれる物語に、宮沢賢治の『虔十公園林けんじゅうこうえんりん』があります。
 虔十はいつも縄の帯をしめて、笑って森の中や畑の間をゆっくり歩くのが好きな子どもでした。風がどうと吹いて、ブナの葉がチラチラ光るときには、虔十はうれしくて、はあはあ息をついて笑うのでした。そんな虔十を見て、村の子どもらはばかにして笑うものですから、虔十はだんだん笑わなくなります。
 虔十の家の後ろに大きな野原がありました。ある日、虔十が、杉苗七百本を植えたいと家族に打ち明けます。お父さんが賛成してくれ、お兄さんも杉苗を植えるのを手伝ってくれました。七、八年後の、杉を枝打ちした次の日のことでした。学校帰りの子どもたちがたくさん集まって、一列に並び、号令をかけて、喜んで笑いながら、杉の木の間を行進しているのでした。虔十も喜んで、杉のこっちに隠れながら、口を大きくあけて、はあはあ笑いました。それからもう毎日毎日子どもたちが集まりました。
 ところが、ある霧の深い朝、いじめっこの平二がやってきて、「虔十、きさんどこの杉をきれ」「おらの畑の日陰にならな」とどなりました。「切れ、切れ、切らないか」という平二の脅しに対し、虔十は、「切らない」と泣きだしそうになりながらいいました。それは虔十の一生の間のたった一つの、人に対するさからいの言葉でした。ところが平二は急に怒り出して、いきなり虔十のほおをどしりどしりと殴りつけました。虔十はほおに手をあてながら、黙って殴られよろよろしました。すると平二は気味が悪くなり、急いで腕を組んで霧の中へ去っていきました。
 やがて年月が経ち、虔十も平二も亡くなった後のことです。その村からでてアメリカで大学教授になった博士が、久しぶりに故郷に帰ってきました。村には鉄道が通り、工場や家ができてすっかり町になっていました。ただ、虔十の植えた杉林だけは、そのまま変わらずに子どもたちの遊び場となっていました。博士は、虔十の林の方に行き、こう話します。
 「その虔十という人はすこしたりないと、わたしらは思っていたのです。いつでも、はあはあ笑っている人でした。・・・・この杉もみんな、その人が植えたのだそうです。ああ、まったくたれがかしこく、たれがかしこくないかわかりません」こうして、その杉林は「虔十公園林」と名づけられ、いつまでも子どもたちの美しい公園地となりました。

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いのちの絆

 この物語のなかで、虔十が抵抗せずにいじめられ殴られる場面には、胸が痛みます。この世は、勝ち組や負け犬という二つに色分けできません。長い年月で見れば、ある時代に勝ち誇っていた人が、社会ではその傲慢さのゆえに孤立したり、学校時代にいじめられていた人が、ひとの繊細な気持ちのわかる人になったりすることもあるでしょう。尊卑賢愚は誰にもわからないことです。虔十は、優しくて、大切なものを守りつづけた聖なる人です。また虔十は、お父さんや家族の深い愛情に育てられています。虔十が病死した後も、その杉林を守ったのは、年老いたお父さんでした。この物語は、人の尊さが周りの人々や自然によって育まれてくることを教えてくれます。
 支えあって生かされているから、一つひとつのいのちが尊く輝いていきます。自分と誰かとのいのちの絆、自分と宇宙とのいのちの一体感が、生きる強さを生みだすのです。

■鍋島直樹(なべしま・なおき)
法学部教授。人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター副センター長。龍谷大学ボランティア・NPO活動センター長。専門は真宗学。
鍋島直樹

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