龍谷 2007 No.63

龍谷人

藤井 勇治さん   龍大で学んだ
「自主性・批判精神・創造力」
を国政で生かす

藤井 勇治
(ふじいゆうじ)さん
衆議院議員
1973年 法学部法律学科卒業
藤井勇治公式ウェブサイト http://fujii-yuji.com

国会議事堂前で
国会議事堂前で
 2005年9月のいわゆる「郵政解散選挙」で初当選。滋賀2区(湖東・湖北地域)では、33年ぶりの地元出身与党国会議員が誕生したことでも話題を集めた。小泉首相(当時)の「改革を推進する新しい政治」に共鳴し、党幹部から熱心に説得された末の出馬だった。

 「知名度がないからと最初は迷いました。家族も親戚も反対。しかし郷土の皆さんの期待は大きかった。一大決心で、やりましょうと立候補したのです」と振り返る。

 30数年間務めた議員秘書からの転身。公設秘書からスタートし、政策秘書という国家資格を得て、大臣や幹事長の秘書官として活躍。1年生議員とはいえ、中央政界でのキャリアは十二分。様々な分野でのパイプも太い。さらに人懐っこい笑顔と明るく大きな声、バイタリティあふれる人柄でも有権者を魅了したに違いない。

 そもそも、藤井さんが秘書になったのは、ひょんなことがきっかけだったそうだ。

 「卒業後、サラリーマンをしていた会社の社長が選挙に当選されたのですよ。そこで、おい、お前、秘書をやってくれ、と指名されて…」と愉快そうに笑う。キラリと光るものがあったのだろう。めきめき頭角を表し、実力派秘書の仲間入りに。

 「向いていたのかな。法律を作ったり、国家予算の配分を決めたり。ダイナミックな中央政界で、生きた政治と行政の真っ只中にいることが面白くなりました」

 衆議院議員となった現在、生活はますます多忙になった。月から金までは朝7時半から党の調査会や部会が始まり、その後、衆議院の各委員会(決算行政監視委員会・経済産業委員会・憲法調査特別委員会に所属)と本会議に出席。金曜の夕方に新幹線に飛び乗り、週末は長浜と彦根にある地元事務所で活動という超過密スケジュールだ。

 「貴重な1議席を預かった気概と緊張感はとても大きい。現代社会は凶悪事件など様々な陰の部分が現れてきました。すべての『いのち』を大切にする教育を進めたいですね。それが家族、ふるさと、国を大切にする平和につながると思っています」と力を込める。

 龍大では法学部の2期生として学んだ。法学部を選んだ理由は、「さあ、何となくかなあ」と首をかしげて苦笑しながら、「ゼミの木坂順一郎教授(現名誉教授)から『いろいろなことに自主性を持ってやれ。物事を鵜呑みにせず批判精神を持て。そして創造性を養え』と激励されたことが心に残っています。自主性、批判精神、創造力の3つは僕の座右の銘になっています」

 現在も、当時の恩師や仲間との交流が続いているそうだ。龍大卒業生では、過去に参議院議員は輩出しているが、衆議院議員は藤井さんが初めて。

 「僕のホームページに、政治家になりたいと龍大の後輩がメールをくれることもあってうれしいですね。どんどん後に続いてほしい」と笑顔で呼びかける。



田中 武志さん   第13回世界剣道選手権大会
男子個人戦で準優勝

田中 武志
(たなかたけし)さん
京都府警・警部補、剣道五段
1998年法学部法律学科卒

第13回世界剣道選手権大会(台湾大学体育館)で記念撮影
第13回世界剣道選手権大会(台湾大学体育館)で記念撮影
残り30秒しかなかった。昨年12月、「第13回世界剣道選手権大会」(台北)男子個人戦のトーナメント2回戦。田中武志さんは韓国の選手に既に1本取られていた。44カ国168人の選手が参加する男子個人戦では、予選を経てトーナメントが6回戦ある。このままでは2回戦敗退という信じられない結果になる。

 しかし、田中さんはただただ平常心を心がけた。相手が守りに入ったと見抜いた瞬間、乾坤一擲けんこんいってきの飛び込み胴が決まった。リスクが大きく、めったに出さない技だ。これで1対1。延長戦で片手突きを決め、見事この難局を乗り切った。剣心一如けんしんいちにょ。剣の勝負は心の勝負でもあることを如実に示す一戦だった。

 田中さんが剣道と出会ったのは小学校1年生のとき。母が勧めた。理由は道場に通う胴衣姿の子供たちがかわいかったからだという。田中さんはめきめき腕を上げ、6年生で全日本剣道錬成大会団体全国2位を勝ち取る。 

 「子供のころから負けず嫌いだったことが幸いしましたね」

 肥後もっこす(頑固者)で、幼稚園のときから正義の味方でかっこいい警察官にあこがれていた正義感あふれる子供だった。中学時代、剣道の名門高校から誘いがかかったときも、「強いところへ推薦で入るよりも、皆と同じ入試を受けて普通の高校へ入り、そこで強くなりたい」と断った。

 大きく飛躍したのは大学時代。高校の先輩の勧めで龍谷大学へ入学、そこで初めて隣があこがれの警察学校や機動隊の隊舎だと知った。この環境が幸いした。監督やコーチだけでなく、京都府警の師範との交流や機動隊の剣道特練生との共同練習もあり、技術のほか人としての道も学べたからだ。その中に世界王者の高橋英明教師七段がいた。その姿にあこがれ、自分もそうなりたいと強く思った。

 剣道王国の熊本で生を受け、母の導きで剣道を知った。先輩との出会いが龍谷大学へいざない、隣の警察との縁が剣道の道を深めた。

 「今の私があるのは、これまでのすべての人や出来事との出会いのおかげです。まさに一期一会。これからも一つ一つの出会い、せっかくあたえられた機会、人生の一瞬一瞬を大切にしていきたいですね。まずは3年後の世界選手権(サンパウロ)で優勝、将来は心・技・体そろった警察官として警察で剣道を教えていきたいと思っています」



大辻 隆弘さん   評論でも活躍する
現代短歌の旗手

大辻 隆弘
(おおつじたかひろ)さん
歌人、三重県立松阪高等学校教諭
1985年大学院文学研究科哲学専攻修了

第8回寺山修司短歌賞の贈呈式で挨拶をする大辻さん
第8回寺山修司短歌賞の贈呈式で挨拶をする大辻さん
現代短歌の世界で今、最も注目を集めるひとり。

 1989年に『水廊』を発表して以来、確かな足跡を残してきた。2003年には第4歌集『デプス』(砂子屋書房・2002年発行)で第8回寺山修司短歌賞を受賞。評論の分野でも活躍している。

 「俳句と間違えてここで一句とか、短冊を持ち歩いていないのですかと聞かれることが多いですよ。まったく誤解されているなあ」と言いながら明るく笑う。

 これまでに詠んだ歌は約7千首。「でも、実感から湧き起こる歌は僕の場合せいぜい35首で終わりました(笑)。後は締め切りに追われ、苦しみ抜いてようやく出来上がります。しかし、気付かなかったこと、忘れ去っていたことが言葉によって導かれるのがスリリング。歌をつくる過程で、えっ、こんなこと思っていたの? と自分の混沌が見えてくる」と短歌の醍醐味を語る。

 初めての作歌は大学院時代。高校教員採用試験を控えて、受験勉強のつもりで聞いたNHKの短歌番組がきっかけ。

「面白いなと思って何首かを新聞に投稿したら選ばれた。『俺って才能あるのかな』と思いましたよ」

  青春はたとへば流れ解散のごと
  きわびしさ杯をかかげて『水廊』
  疾風にみどりみだるれ若き日は
  やすらかに過ぐ思ひゐしより

 若き日の大辻さんが詠んだ歌である。卒業を間近にした若者の青春への決別が表現されている。大辻さんの持ち味は、日常をさりげなく切り取った明るさ、みずみずしさ、透明感……と評価されてきたが、
みずみずしさ、透明感……と評価されてきたが、鋭い視線で社会情勢を批判した歌も少なくない。

 「西洋文明が台頭し、グローバリゼーションが進んで首を傾げることも増えました。教育現場でも市場原理に押されているのが実感できます。本来、歌はそういうものから最も遠いところにあるもの」ときっぱり。

 最近はインターネット短歌が普及してきたが、「すそ野が広がったのは良いこと。しかし、自己満足で終わらずに、自分が気付かない良さや欠点を指摘してもらうには仲間が必要」と力説する。自身も岡井隆氏に師事し、『未来』をはじめ、いくつかの結社に所属。平日は国語の教員として忙しい毎日を過ごし、土日は歌会に通う。原稿依頼やシンポジウムに招かれることも多いが「僕は歌会が好き」。

 龍大時代は哲学を専攻した。「現象学を学んで、本当に楽しく学べた」と振り返る。軽音楽部ではアルトサックスを担当したそうだ。

 「若い頃はあまり思わなかったのですが、年齢と共に龍大が懐かしくなってきました。後輩が活躍したニュースなどを聞くと本当に嬉しい」と満面の笑み。

 今年は第6歌集、評論集、評伝、叢書の4冊の出版が予定されている。歌人・大辻隆弘の世界はますます広く深まっていく。



龍谷人 速報
渕瀬さん、世界陸上選手権大会
代表内定おめでとう!

渕瀬さん、世界陸上選手権大会代表内定おめでとう!
陸上競技の世界選手権代表選考会を兼ねた日本選手権女子20km競歩(2007年1月28日(日)、神戸市六甲アイランド周回コース)が行われ、渕瀬真寿美ますみ選手(経済学部2年生)が1時間29分36秒の日本新記録で優勝し、今夏に大阪で行われる世界選手権代表に内定しました。
渕瀬選手は残り8km付近で先頭に立って後続を引き離し、従来の日本記録を1分43秒も更新しました。

[陸上競技部監督のコメント]

 指導する私でさえ考えられない好記録(世界で上位に入る)の優勝である。

 世界陸上、オリンピックイヤーでは、世界、日本中のアスリートが出場権を獲得するために、何年にもわたってトレーニングに励み、大会に臨む。私は先の東京で実施された世界選手権大会に日本のコーチとして参加した時も、日本選手の活躍に眼を見張ったものである。

 今大会では3位までが日本新記録であり、このとき2位となったのが先のアジア大会銀メダリストである。その2位に大差をつけての優勝は絶賛にあたいする。彼女はまだまだ伸び盛り。6ヶ月後の世界陸上では入賞も可能である。また、来年の北京オリンピックの標準も突破しており、期待大である。

 最後になりましたが、陸上部発展にご尽力いただいている職員の皆様、そして日々汗している運動部員の皆様に感謝いたします。

陸上競技部監督  澤田一夫

[渕瀬選手のコメント]

 1月28日(日)に女子20km競歩の日本選手権が行われ、優勝することができ、世界選手権日本代表に内定することができました。

 日頃の練習で苦しい時もありましたが陸上部の監督を始めチームの仲間や両親の支えがあったからここまで来ることができたと思っています。

 世界選手権では日本選手権でたくさんの方に支えられた分、恩返し出来るような試合が出来るように頑張り来年の北京オリンピックに繋がるような試合をしたいと思っています。

渕瀬真寿美




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