龍谷 2007 No.64


早稲田大学総長 白井克彦 対談 龍谷大学学長 若原 道昭
知識基盤社会を支える21世紀型市民の養成と高等教育の責任

知識基盤社会を支える21世紀型市民の養成と高等教育の責任
今日、大学を取り巻く環境は厳しさを増し、社会的責任を果たしていくためには、私立大学それぞれが持つ建学の精神に基づいた確かな教育を施していくとともに、次代を担う人材を養成していくことが不可欠な要素となっています。
これからの時代に求められる大学教育の在り方、そして高等教育の責任について、早稲田大学の白井克彦総長と若原学長との対談を行ない、龍谷大学がめざす教育の方向性や社会に対する使命などを探りました。
それぞれに百年を超える歴史を刻む大学として、これまで育まれてきた伝統を活かしながらも、次代を見据えた変革への取り組みを通じて、社会の要請に応え、高等教育機関としての責任を果たしていくその姿をお伝えします。

若原 道昭 白井 克彦
●龍谷大学学長
若原 道昭(わかはら どうしょう)
1947年生まれ。
京都大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。
1982年、龍谷大学短期大学部講師に就任。
助教授を経て1992年から教授。短期大学部長や副学長を務める。
2007年4月から学長。専門は教育哲学。
●早稲田大学総長
白井 克彦(しらい かつひこ)
1939年生まれ。
早稲田大学大学院理工学研究科博士課程単位取得満期退学。
理工学部電気工学科教授、理工学部情報学科教授などを経て、2002年11月、早稲田大学総長に就任。
専門は知能情報学・音声科学。

新しい時代を築いていくために今が大学変革のチャンス

若原 本日は貴重なお時間を割いていただき、誠にありがとうございます。
早稲田大学は、日本のリーディング・ユニバーシティーとして常に教育、研究の新機軸を打ち出され、多くの大学の目標となっています。また、昨年は創立125周年を迎えられ、盛大な式典が執り行なわれました。
龍谷大学は来年、全学的な行動計画として推進している第4次長期計画が完成年度を迎えます。2010年以降、新しい大学像を創造していくための節目を迎えようとしています。
そこで、早稲田大学の総長である白井先生に、いろいろとご教示いただければ幸いに存じます。早速ですが、18歳人口が減少し、大学全入時代を迎えたといわれている今日、いずれの大学も、大学の改革に向けて真剣に努力をしています。このことについて、早稲田大学の事例も含めて、ご意見をお伺いしたいと思います。

白井 龍谷大学は来年、創立370周年を迎えられますが、建学の精神に基づいた大学改革を進められていると伺っています。本日は、ぜひ貴学の事例などもお伺いしたいと存じます。私は、総長になる以前に大学運営に8年間携わり、その後、総長として5年が経過しました。私が総長になった頃は、18歳人口の減少傾向が顕著になり始め、国の文教政策も大きく方針転換が図られ、日本の大学全体が大きく変化する時期でした。言い換えるなら、変革はやりやすい時期だったと言えます。

若原 大学をめぐる経営環境全般において、旧来の価値観が見直され、新たなパラダイムへシフトするそのタイミングを、世間一般で言われている大学淘汰の時代、大学経営の危機ではなく、逆に大学発展のチャンスとして捉えたということですね。

白井 今もそれが続いています。教員の意識もそうだし、社会からも「時代の変化に対応していくこと」が期待されている。知識基盤社会といわれる21世紀の日本社会を支える人材を養成していく立場にあるという意味においても、また、社会的責任、説明責任を果たしていくという意味においても、大学の役割が大きく変わってきているのです。もちろん、チャンスがある反面、それにはリスクも伴います。

若原 私はいつの時代も新たな価値を創造し、社会にこれを還元していく役割、そして時代を切り拓き、築いていくエネルギーを創出していく中心は、大学だと考えています。我々は、自らの大学が持つ使命や建学の精神に基づき、独自の教育・研究・社会貢献活動などに取り組んでいます。また、これらの活動をより高度化していくために、先進的な取り組みをしている大学を参考にしながら、経営改革に取り組んでいるのも事実です。早稲田大学の場合は、モデルがないところで新しいものを自ら見出していくことが求められると思いますが、その新たな価値や仕組みを創造していく過程においては、相当な苦労があるのでしょうね。

白井 確かに私たちが大学改革に取り組むにあたって、適切な方策や指針が見えているわけではありません。しかしながら、それぞれの大学には長年の歴史で育まれてきた組織文化とでもいうべき校風があり、また、それぞれ強みとする特徴や個性がある。その独自の個性をより強めていきながら、それが社会に支持され、また、学生が集まってくるようなモデルをつくらなければなりません。
日本の総人口が減少している今、5万人もの在学生を有する本学においては、これ以上規模を拡大していく時期ではない。むしろ中身を改編し、充実させていくべきだと考えています。既存の教学組織において、時代に合わなくなった部分を改編し、時代の要請に適う新たな学部・学科に改組していくということです。
大学院においては、専門職大学院という大きな流れがあるため、ビジネススクールや法科大学院など、新設が相次ぎましたが、学部教育においては一部を除き、基本的にはリニューアルにとどめ、質的な充実強化に努めています。

若原 大学には伝統的に学部自治というものがあり、それぞれの学部の教授会の意向が尊重される点が、大学経営の特色としてあります。良い意味で学内全体の総意を反映する民主主義的な意思決定のあり方ですが、時代が大きく変化し、その変化のスピードも加速度的に強まっている状況にあって、これまでの意思決定のあり方は、社会に対する責任を果たしていく上でも、改革が必要な状況を迎えています。しかし、そうは言いながらも、個々の学部に関する改革をトップダウン的に断行することは難しいと思います。早稲田大学が取り組まれた学部再編は、学部の中から自発的に出てきたものであったのでしょうか。また、再編の立案や合意形成は、どのように行なわれたのでしょうか。

白井 早稲田大学も学部自治が強く、旧来から言われている大学経営の典型的な要素を持っています。したがって、頭ごなしに改革を命令しても、それは有効には機能しません。重要なことは、現状の学部教学の内容について、社会への説明責任を果たしていく上では足りない部分があることと、学部改組の必要性について粘り強く説明していくことであり、当該学部が理解するまで何度も学部教授会に出向き、互いの意見をぶつけ合い、具体的な改組のプランが、当該学部の内部から自発的に出てくるように働きかけました。昨年改組した文学部では、学部内にいくつかの検討グループを設け、これらがコンセプトをつくり、充分な議論を尽くして学部改組の原案を作りました。これに基づいて、全学部的に議論を行ない、文学部の再編を果たしました。

若原 ボトムアップを基本としながらも、トップダウンとしての要素も有効に機能させている。本来的な意味でのユニバーシティ・ガバナンスを果たしていると思います。その一方で、新しい学部をつくる場合、あるいは複数の学部にまたがる再編を行なう場合は、やはり大学執行部が主導的な役割を担いながら意思決定を図っているのでしょうか。

白井 人間科学部から独立してスポーツ科学部を設置したときは、専門分野の教員が足りなかったこともあり、新たに学部の中心を担う教員を外部から招聘するとともに、既存の人間科学部からの教員も合流して設置しました。 また、国際教養学部を設置したときは、学内のすべての学部から関連する分野の教員を集めて新しい学部として設置しました。これらを大学執行部として、全学的な討論を行ないながら、意思決定を進めていきました。

若原 早稲田大学でも、意思決定には時間がかかり、学内の議論を二分するようなときもあり、また、意思決定の方法も様々なものがあるのですね。
また、大規模大学であるがゆえの意思決定の困難さもあるのではないでしょうか。

白井 理工学部を3つの学部に分けるときは、6年から7年の長い議論を要しました。また、アジア太平洋研究科を設置するときは、早稲田大学にとって初めて学部を附置しない大学院のみの教学組織であったことから、学内の合意形成がなかなか進みませんでした。同じ意思決定、トップマネジメントといえども、それぞれのケースによって、少しずつニュアンスが違っているのが現状であり、早稲田が特別に他の大学と違うということはないと思います。

若原 昨今ではステークホルダーという言葉が注目され、学費負担者である保護者や、受益者である学生に対する説明責任、そして、社会に対する高等教育機関としての役割・使命といったものを念頭に置いた大学経営が求められるようになりました。そういう意味では、内発的な改革・改善の風土を醸成していくことも、総長や学長という立場としての役割であると考えます。

白井 意欲的な大学は他にもあり、本学はまだ、改革半ばにあると考えています。学内には「受験生はたくさん来てくれるし、質もそこそこだから変える必要はない」という保守的な意見も無いわけではありません。しかし、今のままでは数年後には陳腐化してしまう分野があることも事実であり、現状のままで安閑としているわけにはいきません。

若原 道昭 白井 克彦

世界を視野に入れたところにめざす未来がある

若原 今日の社会情勢に鑑みると、大学改革の目的の一つとして、少子化、大学全入時代への対応ということがあります。しかし、そのようなネガティブな外部環境の変化への対応策だけではなく、世界を視野に入れた、グローバルな視点での改革方策が求められていると考えます。

白井 早稲田大学の教旨の一つに「模範国民の造就」があります。現代的に読み替えると「地球市民の育成」となり、人類社会に貢献できる人材育成をめざしています。グローバル化に対応するために、日本人をどう教育するか、どういう人材を養成するか。それは、私たちの重要な課題であり責任であると認識しています。
  また、2つの意味から留学生を増やそうと考えています。その一つは、これからの時代は情報化も含めて、より世界との距離が縮まっていくと考えられ、グローバル社会に通用する人材の育成が急務であること。そのためには、自国をベースにしつつも、異文化を理解でき、他の文化圏の人たちとコミュニケーションできる能力を身につけることが大切であり、そのためのカリキュラムを全学横断的に編成し、同時に留学生を多く受け入れています。これは大学のミッションとしての話です。
  二つ目としては、少子化の問題を俯瞰した場合、国内からは受験生はますます減っていくことになります。これまで同様に学生を確保しつつも、教育・研究の質を維持していくためには世界に向かって門戸を広げざるを得ない。これらの2点を理由として、留学生数の増員を図り、学内全体をグローバル化しようと考えています

若原 確かに、現代という時代は国という枠組みを超越したグローバル化が進んでいると思います。龍谷大学でも、一昨年にアメリカのカリフォルニア州に海外拠点を設置し、その拠点を活用した短期・中期留学プログラムを全学的に展開し、学部を問わず多くの学生が国際的視野を養うことができるようにカリキュラムを充実させました。留学生の数も、1996年に国際文化学部を設置して以降、500人を超える規模にまで増え、学内の国際化も進めています。
  早稲田大学では創始者である大隈重信先生の「人間の寿命は125歳である」という説により、125年を早稲田大学の第一世紀と考え、それを成功裡に終えられました。そこで、次は、第二世紀、第二の建学という言葉を使われています。そして「日本の大学であるという在り方を超える」とも。

白井 地球上の至る所で、人類と地球社会に貢献できる人材を育成していく、というのがこれからの方向性です。世界のあらゆる地域から学生や研究者が集まる大学をめざしています。
  本学の留学生は年々増え、現在は2700名です。それをいずれは8000名にもっていきたい。学生総数5万名のうちの8000名というのは、非常に難しいことです。だが、これに取り組まなければならない。

若原 それが白井先生の追求されている「客観的かつ公正にものごとを考える仕組みを大学が備え、自己の立場や利害を超えて考えることができるスケールの大きい人材を育てる」ことの一環なのですね。しかし、これを実現するためには、増加する留学生の受け入れ体制を整備する必要があります。

白井 今日、日本の大学の多くが、寮のようなものを持っていません。私がここ数年、力を入れている課題の一つが寮の整備です。

若原 寮というのは寄宿舎のような古いイメージが伴います。また、今の若者は小さいときから個室を与えられ、共同生活に慣れていません。拒絶反応はないのでしょうか。

白井 あるかもしれませんね。私がイメージしているのは、単に留学生のための寮というものではなく、地方から来る日本人の学生と留学生を、一緒に寮に入れて、生活面でも1、2年、しっかりとトレーニングするというものです。それくらいの期間なら、学生も耐えられるでしょう。また、学生の健康問題についても重視しています。疾病はもちろんのことですが、メンタルな面を含めて、健康な学生生活を送ってほしい。

若原 昨今の学生は、小さい時からTVゲームに興じ、また、大人たちも「地域社会が子供たちを育てる」という古くからの伝統的習慣が失われ、その結果として子供の頃から豊かな人間付き合いをしてこなかった学生が増えてきた。そういった学生たちに、社会人としての基礎力をつけるためのトレーニングをする。一種のキャリア教育をやろうとなさっているのですね。

白井 これまでも、多くの大学においてキャリア教育は取り組まれてきました。しかしながら、これらは知的動機づけを細かくし実践力を養うなど、専らスキル面を中心に取り組まれてきました。それも重要なことですが、これからは豊かな人間性や倫理観など、メンタル面を含めた総合力を養成していかなければならないと考えています。

若原 人間性や倫理観といったものは、人間として、また、高等教育を享受したものとして、備えておくべき基本的な要素であると思います。そういう意味では、浄土真宗の精神を、建学の精神として掲げ、教育理念の根底に人間教育を位置づける本学と、大隈重信先生の教えを建学の理念とする早稲田大学とは、その手法やプロセスは異なれど、めざすべき人材育成像は共通するものが根底にあると言えますし、このことは、ある意味ですべての高等教育機関の使命であるともいえます。

若原 道昭 白井 克彦

地球社会に貢献する人材の養成それこそが私学の役割

若原 早稲田大学や龍谷大学のように私立大学というのは「建学の精神」に基づき設立され、それを実現するために日々努力しています。その中から特色や個性が育まれ、その大学の特徴となっています。
  しかし、今日、多くの大学は複数の学部を設置し、総合大学化が進んでいます。総合大学化していくことと、特色化、個性化を図ることには矛盾があると思います。私学における高等教育の役割を、どうお考えでしょうか。

白井 それは本学の悩みの一つでもあるのです。抽象的な大学全体の雰囲気というのは創出できますが、5万人もの学生に対して、「一様の目標を持って学べ」というのは難しい。それぞれの学部には、それぞれの個性があり、大学全体を通じて一面的に大学の特徴を定義することは難しい。社会科学系の学部はそれぞれの専門教育、色彩を持って教育を行なっている。国際教養学部は、アメリカのリベラルアーツカレッジに近い教育を展開している。いずれの学部も、在学中の4年間の教育は、どちらかといえば教養教育に軸足を置いたものとなりつつある。それぞれの学部のディシプリンとしての特徴は、これからも一定保持されるが、教養教育の色彩が増え、多様化が進んでいくと思われます。

若原 早稲田大学はもちろん、本学を含めて、日本の大学は教育大学と研究大学という2つの役割を担っています。その一方で国の文教政策は、それぞれの大学が教育、研究、社会貢献、地域振興など、7つの形態にゆるやかに機能分化し、それぞれを組み合わせながらもどこかに軸足を置いた大学になるように求められています。このことに対し、早稲田大学はどのように考えられていますか。

白井 研究大学として見たとき、専門教育は大学院から上の課程がその役割を担うという傾向があります。本学は研究も重視していますが、しかし、「教育の早稲田」も標榜しており、高等教育機関の使命として、教育に責任を持って取り組んでいきたいと考えています。

若原 大学に教養的色彩が強くなればなるほど、専門教育は大学院でということになるのでしょうが、特に私学においては、大学院は苦戦しています。博士後期課程に至っては、定員を満たすということすら難しい状況があります。
  我が国の高等教育の構造は、私学がおよそ7割の学生を受け入れ、高等教育全体を支えている状況があるにも関わらず、国庫による私学助成額は不十分である上に、今後、さらに緊縮財政が求められていく状況にあります。「私学にお金を注いでもザルのように漏れてしまうから無駄だ」と言う議員もいるそうです。そう言わせないためにも、私立大学として、教育の質を保証するために大学の外部評価に努めていく必要があると思います。

白井 国公私立の設置形態を問わず、大学はそれぞれに役割を担っており、様々な立場と能力を持った学生が、それぞれの大学に学んでいます。偏差値の高低や研究業績の多寡といった、一面的な視点だけで、大学の評価は決められるものではありません。私は、日本をよりレベルの高い社会にしていくために、大学は人材教育の場として、それぞれの学生のレベルに合わせて多様にファンクション(機能)していくことがいいと思います。

若原 国の文教政策として、一方では21世紀は知識基盤社会だといって、全体の知的レベルの底上げを提唱しておきながら、他方で、大学全入時代にあって、大学への補助を大幅に削減しようとする動きがあります。しかし、世の中の知的レベルを向上させるということは、高付加価値を持った人材を養成することに繋がり、結果として、労働生産性を向上させ、国のGDP全体のレベルを底上げすることにも繋がるものなのです。日本経済が先進国特有の成熟した低成長期にある中で、社会レベルそのものに限らず、国民所得や消費レベルを向上させ、国全体を活性化させる上でも、高等教育が果たす役割は極めて重要なものがあるのです。

白井 社会が成熟し、高度化が進めば、これに合わせて知的レベルの向上が要求されます。あるレベルを満たしていないとだめだというのではなく、国は集められた税金を有効に投入し、どの大学においてもいい教育ができ、レベルを上げられるよう仕向けていかなければならない。学生確保に苦しむ地方の小規模単科大学があったとしても、その地域における高等教育を展開する拠点として重要な役割を担っています。むしろ、こういった大学に助成することを通じて、質の高い高等教育が横方向に広がりを見せ、結果として、国全体で高等教育の質的レベルがボトムアップしてくことに繋がるのです。日本の大学は、これから淘汰されていくのではなく、むしろ、海外の大学とも協力しながら「地球社会に貢献する人材の育成」に努めなければならないのです。

若原 白井先生がご教示くださったように高等教育機関として、次代を担うリーダー、地球社会に貢献する人材を養成していくことが大学の役割であると考えています。
  私も龍谷大学の学長として、様々なご意見を参考にさせていただきながら、同じ未来を共有できるよう、その責任を果たしてまいります。
  本日はありがとうございました。


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