龍谷 2007 No.64

教員NOW 『源氏物語』を読み解いていくことは、自分を問い直すこと。それが古典研究の醍醐味


安藤 徹 文学部日本語日本文学科准教授
安藤 徹(あんどう とおる)

岐阜県大垣市生まれ
名古屋大学文学部文学科国文学専攻卒業
名古屋大学大学院文学研究科修士課程修了、文学修士(名古屋大学)
名古屋大学大学院文学研究科博士後期課程修了、博士(文学)(名古屋大学)
日本学術振興会 特別研究員(PD)、
龍谷大学文学部講師、同助教授を経て
2007年4月より龍谷大学文学部准教授 現在に至る

京都市では本年、京都府、宇治市などと協力して「源氏物語千年紀」の各種事業が展開されている。平安時代の文学を専門とする安藤准教授の『源氏物語』研究も正念場を迎える。

『源氏物語』
源氏物語繪巻(龍谷大学大宮図書館蔵)

試作機の外観
宇治橋西詰に佇む紫式部像の前で、宇治十帖
の物語を解説する安藤准教授
魅力は二つ
内部へと引きつける「求心力」と外部に放出していく「遠心力」す


 安藤准教授が『源氏物語』と初めてじっくり向き合ったのは、大学の卒業論文の研究対象に決めたときであった。なぜ古典だったのか。「私にとって、現代や近代の作品は距離がとりにくく対象化しにくかった。それに対して、『源氏物語』は千年も前に成立した文学。その隔たりがあるからこそ、近づきたいと思う。そうして、近づいてみると、遠い世界であるはずの人物の感情までが伝わってくるような現実感に気づかされる。そこが、古典に惹かれるゆえんです」。即座に、答えが返ってきた。
 『源氏物語』の魅力には二つの側面があるという。その一つ目は、読み手を作品の内部へと引きつけていく「求心力」。古い作品であるにもかかわらず、読んでいくうちに作中人物とともにその物語を生きているかのような感覚になる。同時に、作品そのものが、それ以前の物語や日記、和歌や漢詩、歴史などを貪欲に吸収し、引用しながらひとつの世界を作っているということもある。「その成り立ちこそが、どの時代の人々をも引きつけずにはおかない魅力となっているのではないでしょうか」。
 二つ目の魅力は、外へ外へとエネルギーを放出し、新たなものを作り出す「遠心力」。『源氏物語』の補作を書かせたり、新しい物語を書こうとさせる。『源氏物語』以降の物語で、この物語の影響を受けていないものはないと言われるくらい、新しい文化を生み出していくための震源になっている。
 「これらの二面性がなぜ他の作品よりも強いのか、どのようにしてそうした力が発揮されるのかを明らかにしていきたい」。それが当面の研究テーマである。

 龍谷大学の文学部日本語日本文学科は一学年約100人。その中で、安藤准教授が専門とする平安時代の古典文学を専攻する学生は例年10人程度。「この時代の魅力を伝えきれていない。教員も反省しなければいけない」と苦笑する。
 しかし、ゼミに入ってくる学生たちは平安文学が好きで、研究対象として学び、その集大成としての卒業論文を書こうという熱意や意欲に充ちている。
 ただ、研究となると、一読者として面白いと言っているだけではいられない。読者と研究者としての視点の違いを埋められるかどうかが、卒論のテーマにまで持っていけるか否かの分かれ道。それでも、毎年、2、3人が『源氏物語』に挑戦している。そして、「これまで、1人として同じ視点で研究する学生はいない」。それだけ、奥が深いということか。

異分野の情報や知識を取り入れながら自分にとっての『源氏物語』を追究

 では、龍谷大学における古典研究の今後の方向性はどうだろう。それには、まず「大宮図書館に所蔵されている貴重な書籍や各種資料の活用」を挙げる。「これこそが龍大ならではの研究と言えるし、これまでの古典研究に一石を投じるくらいの可能性を持っていると思います」。
 また、自分自身の研究の延長線上としては、異なる分野の知識や理論を応用することを考えている。古典の世界というと、どうしても固定観念を持ちがちであるが、それを打ち破り、積極的に使えるものは何でも使う。
 例えば、研究の補助線として社会学を使う。あるいは、同じ文学の領域でも近代や現代の文学、さらには海外の文学研究などをどんどん取り入れていく。

 「それで古典文学である『源氏物語』が読めるのか」という人もいる。それに対しては、「一方で、古典文学といえども現代に存在し、現代の文学として読んでいる。そして、現代の我々でしか読めないことがらもあるはず。現代ならではの異分野の情報や知識も取り入れ、それを道具にしながら作品と対話していく」。それが安藤准教授の姿勢。
 失敗も多いかもしれないが、「これまでにない、あなたにしかできない『源氏物語』の研究をしなさい」と、学生にも安藤流の読み解き方を奨励している。
 作品を読むというのは、物語の中のモノをあれこれ発掘することではなく、対話する中で、新たに何かを作り上げていくこと。「自分にとっての『源氏物語』」の発見なのである。そうすると、そういう風に読んだ自分とは何だという問い返し、私はどんな存在なのかという疑問が生まれる。作品を読み解いていくことは、自分を問い直すことなのである。
 「新しい自分の発見。それが古典研究の醍醐味」。これからも、安藤ゼミでは、自分を問い直すための研究が続く。



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